Ⅰ
その日の夜。
ガロウは飛び起きた。
わんわんとうなる頭に、ひりひりといたむ手の甲。それはまるで、全身に針が刺されているかのようないたみと熱さをともなって、ガロウを苦しめつづけた。
(いたい。いったい、なにが起こっているんだ...?)
いきなりのことで困惑する頭は、もはや脳としての機能をなくしたかのようで、なにも考えることができずにいる。あまりのいたみに悶えつづけるも、けっして止むことのないそれは、だんだんと意識を持ち去ってゆく。
「あ、くっ、ッツ!」
唇よりもれでる音は、もはやなにを語っているのだろうか。それさえも分からなくなっていることに気付き、ガロウは漠然とする。
そうしてしばらくのあいだ苦痛はつづき、夢の世界より一転し、いたみと向き合ったガロウの気力がほとほと尽き果て、ついには意識さえも刈り取られんとされたときに、ようやくいたみは過ぎ去った。
(いったい、なんだったろう...?)
ふらりふらりとゆれるような気分の優れなさを感じつつ、ガロウの頭は疑念をいだく。
けれど、疲労困憊したからだは言うことを聞かずにいて。まともに考えることもできずに、すうっと意識は眠りへ入った。
月のほほえみにてらされて、ガロウの右手がキラリと光る。
...と、ここまでがエピローグとして。
この日、サァレット村のきこり...の孫、ガロウは、現実ではぜったいにあり得ないことを体験した。というよりも、ふつうありえないだろう。
起きたら自分の手の甲に宝石がありました、なんて奇妙な体験はそうそうあるものじゃあない。しかも、あるなんてなまやさしいものではなくて、どちらかといえば埋め込まれているに等しいのだ。
右の手の甲の中心には、赤くて大きな宝石が埋めこまれていて、そのまわりをぐるりと12の石がとりかこんでいる。それだけみればまるで時計のようだとおもえるが、ひとまず話はそんなことではなく、このとつぜんあらわれた不思議なものだろう。現にいま、ガロウは混乱のさなかにあった。
「な、な、な...なにこれ。俺、こんなのしらない!うわーー、なんだよ、異世界転生のあげく俺に魔王退治でもしろというのか?さいっあくだ。とにかくこれはゆーめーだー!」
起きて早々、きゅうにジタバタと暴れだす家の中の孫にかおをしかめて、斧をふるっていた老人は家の扉を思いきりひらいた。
「やかましいぞ、ガロ...。」
「ジジイーー!俺、俺、俺...勇者になったみたい...っていっってぇぇ。」
「寝ぼけたか、アホ孫が。お前の脳のバカさ加減はよぉくわかったわ。お前みたいなアホなんぞが勇者になれるはずもないじゃろう、たわけ。とっとと着替えて働かんか!」
老人になぐられた頭をおさえて、ガロウはうなる。
「うう"っ。アホじゃない。俺、ほんとうに...。」
しかし、かさねた言葉もあきれたため息とともにながされて、ふたたび高々と老人が杖を振り上げてみせれば、いそいそとガロウはねぐらからはいだした。
そうしてからガロウはじっと手の甲をみつめて、かるくそれをこすってみる。けれど、しっかりと根付いたような石たちはおちることなんてしらないようで、ガロウはひしと自分の頭をかかえこんだ。
「どうすればいい?いったいどうすれば...。」
老人は、しゃがみこんでなにやらブツブツとつぶやきはじめた己が孫をみて、どうしようもなく疲れた気分におちいった。はあっ、とふかぁいため息をひとつつけば、またもや杖を振り上げて、目の前のまぬけの頭部にポカリと落とす。
今度は涙目でこちらを向いてくる孫にたいして老人が冷たい一瞥をむければ、すこし怯えたようにガロウは後ずさった。
「はぁ...。もう、いいわい。とりあえずあさげの用意じゃ。それが終わったら町にでも行ってもらうからの。」
ぱんっと両手をあわせて音をだし、ちっとも動きそうにないガロウのからだを解凍させて、老人はガロウをおいたてるのだった。
町についたガロウはどことなく機嫌が悪く、町のひとらはそのようすに、いつものことかと苦笑をもらした。
ガロウはそれに気づくようすもなく、ただたんたんと町のなかを歩いていく。
サァレット村の町なみは、いかにも昔の西洋の田舎といった感じのどこか、陽気さが全体に広がるところだった。
ガロウが前世の記憶をもって生まれてから早16年。前世を地球という球体世界で日本人として生きていたガロウも、今ではこの世界になれつつある。
前世は娯楽の多い世界で、この世界のように機械といったものがほんとうに少なく、その機械といえば、せめてでもたいへん高価な時計といったようなところに生まれたのは、はじめガロウにとって最悪の一言にかぎる出来事だった。仕事も力仕事が多く、文句を言ったことも数知れない。
けれど、だんだんと暮らしていくうちに、あまり前世では感じえなかったひとの暖かみというものにふれられて、案外ここも悪くないのでは、とガロウは感じはじめていた。と同時に、前世の世界はここに比べてとても甘かったのだと痛感した。しかし、ここにきて前の世界で得られなかった広がりのすべてが、今世で親を持たないガロウには心地よいものであったことも、たしかに事実だった。
「ガ~ロウ。なにしてるの?」
ぴょこんっととつぜんあらわれた人影に、ガロウは驚いて声をあげた。
「なんだリーテか。おどかさないでよ、もう。」
少し怒って言えば、リーテは面白いといったふうでカラカラと笑った。
「あら、前方に気を配らないガロウが悪いわよ。あたしの性格なんてじゅうぶんにわかっているはずでしょうに。」
まったく反省する気のない幼なじみの様子に、ガロウはあきれたように幼なじみをみやった。
栗色の髪を編み込んでいるこの少女はブリューテ-ターチェルといい、残念なことにガロウの幼なじみだ。村一番の可愛らしい容姿だが、なかみはどうしようもないほどのおてんば娘で、小さいころは親にも手を焼かれていた。
成長するうちにそれは幾分かましにはなったものの、いまだ本質的な意味ではかわりないのである。
ちなみに、その性格からかガロウが彼女につけたあだ名は猿山のボスだったりするのだが、それは心のうちでぜったいに知られぬようこっそりと毒づかれている。
「ガロウ?いまなにかいわなかったかしら?」
リーテの言葉にギクリとし、ひそやかに冷や汗をたらしながらもガロウは必死でわらった。
「いっやだなぁ。ハハ...。そんなわけないだろう?」
そんな単純にも分かりやすいガロウに、リーテはなまあたたかな半目を向けてから、半ばいぶかしげにつぶやいた。
「ふぅん。まぁ、ならいいわね。」
そうしてリーテは、聞くことをやめたかと思えばとつぜんガロウをぐいぐいひっぱった。
「ねぇ、トムさんのところにいくんでしょう?だったらあたしもついていくわ。」
「あ、ちょ、ちょっとリーテ!落ち着きなって。俺、べつにひとりでじゅうぶんだぞ。」
あわててガロウが言えば、リーテは急に足を止める。ガロウが思わずこけてしまいそうになるのを冷ややかに見ながらも、リーテはすねたようにツーンとかおを背けた。ガロウはリーテのそのようすを不思議に思い、どうしたのかたずねようとするが、それもこんどのリーテの言葉にさえぎられた。
「あ、そーですかー。昔はあたしがいないと駄目だったくせにねぇ。よく言うわ。」
ツーンとますますかおを背けたリーテがなんだか起こっているように見えて、自分がなにかしたのだろうかと思いながらガロウはリーテに声をかけた。
「あの、リーテ、怒ってる?」
「怒ってなんかないわよ、ガロウのバカ!」
かおを真っ赤にして怒鳴るように言ったリーテの言葉を皮切りに、周りで見ていた野次馬たちから笑いの声が上がる。
「おいおい、ガロウ。おまえってやつぁよぉ。」
「カッカッカ。嬢ちゃん形無しってか。おっもしろいねぇ。これぞ青春!ってな。」
ハハハ、ハハハと広がる笑いに、リーテは顔を真っ赤にさせて握ったこぶしをふるわせた。
まずい、と思ったガロウは距離をとろうとするも、それさえもむなしく広場にはビターンッというなんとも痛々しそうな音がなりひびいた。
「ガロウのすっとこどっこい、おたんこなすぅうーー!」
走り去ってゆく幼なじみを唖然とみつめて、ガロウはいちょうのできた赤い頬をおさえた。
「俺、なんかしたっけ...?」
そのようすにまたなにを思ったのか。広場には男どもの盛大な笑い声と、女らの非難めいたしせんが飛び交っていた。
「ガロウ...。」
ぽん、と肩におかれた手にふりかえれば、そこにはあきれた顔をした宿屋のおかみさん...リーテの母がいた。
「すまないけど、追いかけてもらえるかい?あんたが行ったほうが、あの子にとってはいいのだろうよ。...トムんところのパンはとっとくから。」
チビのときからお世話になってきたひとだ。ガロウの母親がわりでもある。
「分かった。俺、行ってくるよ。」
よくわからないが、断るのも忍びなくて、ガロウは走りながら、リーテの消えていったところを追うのだった。
そのうしろで。リーテの母は、多少情けなくなりつつも首を左右にふって、ガロウの後ろ姿を見送るのだった。
「あいかわらずだねぇ、あんたも...。」
村の人たちはそんなおかみさんのようすに、苦笑しながらも口をひらいた。
「あんなんじゃあ、ブリューテのところに婿が来んのも遅くなりそうじゃねぇか、なぁ。」
余計な口を叩く男をひっぱたいて、おかみさんはふんっ、と鼻息あらく去っていった。
「あ~あ、ほんとさね。あの調子じゃあいつかなんてもんもあるのかどうかだよ、まったく。」
夕日は静かに村をつつみこむ。
あのあと、リーテを見つけたガロウはぷんすかとしたリーテをなだめすかすのに必死で、今朝の包帯をまいた右手は、だれにも気づかれることなく、この1日は終わった。
日がくれないうちにと、おかみさんにもらった林檎とパンをもって森のなかを急いで歩きながら家に戻り、そうしてガロウは今日の思い出に酔しれた。
「女って、やっぱり分かんないや。」
ねぐらにもぐりこみつつ、ガロウは小さな声でつぶやく。
夜の帳は落とされて、朝日とともにめざめるのがガロウの日常だ。
なにも言われなかったことにほっとしつつ、小心者のガロウは、まるでそれを願うかのようにして、手の甲の石をなんでもないものと判断する。
ガロウの過ごす第二の世界は、やっぱり今日も平和で一日を終えられたのだ。
安心しながらもまぶたを下ろしたガロウの手には、赤い光がうかんでいた。
どこかでふくろうの、鳴き声がする。




