トナカイと消火器
これは困った、正直に言って面倒だ。出来るだけトナカイを傷つけずに、抵抗を振り払って着座するなんて無理だろう。座るという行為をする前に奴らは絶対に振り払ってくる。嫌がっているトナカイの上の乗るなんて、上空から接近でもしないかぎり近づけもしない。
角での威嚇、荒い鼻息。まるで俺を意地でも合格させないと言わんばかりの勢いだ。合格者などで出るのだろうか。
トナカイを説得して乗るのが正解か、嫌がるトナカイを無理矢理乗り込むのが正解か。雪山の中で俺は佇み考えた。それを国谷は楽しそうな目で眺めている。
さて、トナカイに話し掛ける作戦だが、サンタのトナカイということで言葉が通じないということはない気がする、先ほど試験官の怖い爺さんが、『特殊な訓練を受けている』と言っていた。それは言葉である程度、命令が出来る動物であることを現していると思う。
動物が人間の言葉を分かるというのは、何も超常現象ではない。犬だって『お座り』だの、『お手』だのが可能だ。俺の相棒の佐助のような忍犬ならどんな複雑な命令でもしっかり分かってくれる。何も犬だけではない、インコだって声の響きを認識し復唱する技術を持っている。つまり動物は言葉を理解する能力があり、それに対するアクションも可能だ。訓練されたトナカイなら言葉くらい分かるというのは確信していいと思う。
問題は何を吹き込むかだ。『いい彼女紹介するよ』とか、『今度、飯をおごってあげよう』とかで、素直に背中に乗せてくれるとは思わない。だからといって、今からサンタになる俺が、トナカイに対して何か利益になりそうな物を持っている訳がない。トナカイ相手に八百長は難しい。
じゃあ実力行使だろうか。俺のポケットには様々な忍具が入っている。その中には前回で仇となった睡眠弾も入っている。……人間用だよ、トナカイには効果ないよ……きっと。じゃあ戦うしかないだろうか、俺ってあんまり戦闘向きの忍者じゃないんだが、トナカイとサシで戦って勝てるかな。
と、いつもの長考タイムをしていると、後ろから何者かに肩を叩かれた。
「おい、餓鬼。やらねぇならそこどいてくれよ」
先ほどの足の骨を折るだの言っていた、金髪のマッチョだ。筋肉ってああ見えて全く防寒効果ないらしい、この男もよく服を着込んでいる。何故、服を着込んでいる相手を筋肉質の人間だと見抜けるかと言うと、俺が忍者もどきだからだ。服の上からでも相手の筋肉の付き方くらい分かる。
「おい、そこのねーちゃん。今からそこの鹿に乗るから見といてくれねーか」
「構いませんが、その手に持っているものは?」
奴の左手には赤い胴長の円柱が……あれは消火器だ。火災が起きそうになった時に拭き掛ける消防用設備だ。あいつ、施設からあんな物を持ってきたのか。確かにある物なら何でも使っていいと言っていたが、これは予想外だ。
まさか、トナカイに消火器を振り掛けるつもりなんじゃ……。
「おい、お前。まさかそれを」
「あぁ、鈍器として使うんだぜ」
思ったより、こいつ馬鹿だ。そんな重い物を振りかざしたところで、避けられるだろう。大人しく飛び道具として利用すればいいのに。
「いくぜ、鹿野郎。うおぉぉぉぉぉぉぉ」
勢いよく突進していった金髪、消火器は本来は大人でも振り回すのは困難な代物であり、それを肩の上まで振り上げて軽々しく振り回せるのは評価しよう。だが、走って逃げられた。筋肉は鍛えていたようだが、脚力は鍛えていなかったようだ。トナカイのスピードに全く追いつかない、ついに息切れして倒れ込んでしまった。
「くそぅ……馬鹿野郎!! 勝負しやがれ」
俺がトナカイでもそんな勝負はしない。あいつ本当に何も考えていないんだな。トナカイの方は余裕の表情で、距離感を保っている。流石トナカイと言えど試験官、完全に逃げたりはしないんだな。
さて、俺はどうすべきか……。このまま観察を続けても、時間が無駄になるだけだ。何か方法を見つけないと、意味が無い。その為にはやはり当たって砕けろ作戦から入るべきだな。
「あのぅ、金髪のおっさん。使わないならその消火器、借りてもいい」
「勝手にしろ、こんな使い物にならない物いるか!!」
まあ、こんな物をただ振り回すだけじゃ駄目だってのは、俺も同じだ。いや、奴のように筋力がない分、俺の方が向いてないだろう。だから、先ほど奴が使わなかった消火器を消火器本来の使い方で戦ってみようと思う。粉末を被るくらいは、動物虐待にはならない……はず、心は痛むが有効打が無い今の俺に選択肢はない。
「すまねぇ、あとでお詫びする!!」
そう言いつつ、俺は消火器の安全栓を素早く抜くと、ホースを外しノズルをトナカイに向ける、。奴はこっちを静かに見つめ全く動こうとしない。俺は思いっきりレバーを外して、薬剤を放射した。舞い上がった粉の勢いで、辺りが良く見えない。
ふと、お父さんの言葉を思い出す。煙玉などの目晦ましを発動させた際に、敵の動向を察知出来なければ、その術に意味は無い。必ず敵よりも先に目標を目視し、素早く勝負を決めろ。
俺は早急にトナカイの上の乗るべく近づいたが、奴の姿はどこにもなかった。雪の上に逃げた痕跡になる足跡すらない。まさか、地面に……、いや違う。
「上だ!!」
金髪の叫び声と共に上空を見渡すと、そこには俺の頭上を優雅に駆け回るトナカイの姿があった。そうだった、サンタのトナカイは飛べるのだった。