嫌な空気は伝染している
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「やっと、落ち着いてくれたか」
奴は余裕綽々で俺たちの橇に追いついた。そこから予想を裏切るように、怒りも見せず、涼しい顔で橇に乗り込んだ。部外者は乗ってくるなって叫びたいところだが、今は奴に殺されるかもしれない恐怖で胸が一杯である。なにせ数分前に俺は奴を本気で殺そうとして、殺人未遂になっているのだから。反撃にでないのが不可解でならない。
「あの焦りよう。俺のことを随分と警戒しているようだが、別に俺は君を殺そうとか思っていないよ。大切な弟だからね。それと……俺の教育感にピッタリなんだ」
弟というのは舎弟という意味だろうか。弟分とか、そんなニュアンスで言っているのだろうか。もしかして……こいつは俺の姉ともっとよからぬ関係になったんじゃ……。
そんな意味のない打算をしている場合じゃない。殺されるかもしれない相手が目の前にいるのだ。冷や汗が垂れる、きっと俺の顔は恐怖で歪んでいるだろう。万策尽きた、仕留め損なった。忍者において一度の失敗も命取り。そもそも短期決戦にならなかった時点で、もう事態は最悪を通り越している。嫌な空気は伝染している、アデライトさんも美橋も全く口を開かない。
「まあ、殺されかけた好だ。雑談に付き合ってくれよ。ちょっと体育教師になったつもりで話を聞いてくれないか。走り幅跳びと立ち幅跳び。それぞれ子供達のどんな力を探ろうとしていると思う?」
……立ち幅跳びはただのジャンプ力、あとは体を振って前に倒す力とかだろうか。走り幅跳びは、そこに助走を加えた場合の腕試し……って、緊張感を紛らわすために、なにを質問に答えを考えてしまっているのだ。
「正解を言うよ。立ち幅跳びは瞬発力と筋力だ。走り幅跳びは……瞬発力と筋力も関わってくるんだけど、もっと他に大切な物を調べているんだよ」
もっと大切なもの? ただの助走で勢いを付けるだけだろう。
「タイミングとバランス間隔さ。今の子供達は……走り幅跳びを苦手としている。それは決して『良い結果がでない』とかじゃない。もっと深刻で恐ろしい現状だ。そもそも踏み切るラインで飛ぶことすらできないんだよ」
……あ゛ぁ? そんな馬鹿な。俺も忍者しながら学校に通っていて、体育の授業中に走り幅跳びの授業は体験した。しかし、そんな間抜けは一人もいなかったぞ。確かに上手い下手はあったし、良いスコアが出ないやつもいた。しかし、飛べない奴なんかいなかったぞ。
「タイミングを合わせ、バランスを保つには……人間が目標となる物体の遠近間を正しく視認する力。いわば、立体動体視力が必要だ。今の子供たちは、それが見張るほど欠落している」




