さぁ、自己否定の時間だ
奴の見解をすべて否定するつもりはないが、随分と考えたかが横暴に感じる。自己否定だと……? この私が間違っているだと? そんなことを考えたら面白くないだろう。
「まだ分からないという顔だな。いいでしょう、具体例を出そうか。現代っ子の代表的な頭の悪い台詞。『自分には関係ない』、それと『俺は事実を言っている』。これを取って考えてみようか」
人殺しの代名詞がなにを心理カウンセラーの真似事みたいなことをしているのだろうか。こいつの言葉は納得はできるのだが、妙に気に入らない。
「『事実を言っている』は本当に滑稽な言い訳だよね。物事の本質を見抜けていない馬鹿の台詞さ。誹謗中傷している咎を責めているんだが、それがわからないんだ。デブにデブというのは、日本の法律上では立派な名誉棄損罪に該当する。でも、子供は自己否定ができない。大人が仲介しない限り、自分の間違いに気が付けない」
こいつの言い分から察するに、傷つける所まではデフォルトだ。……だから間違いは正す必要がある。他でもない自分が。自己否定ができないから、自分の言い訳に陶酔する。有りもしない優越感と正当性に心が染まり、誰かを傷つけたという事実から逃走している。
「次に『自分には関係ない』。現代っ子の奥義だ。自分以外の誰かを悪者に仕立て上げて、責任を押し付け合い、自分から注意を逸らす。さぁ、制覇ちゃん。誘導はお終いだ。この原理を否定してみせてよ」
…………こいつ…………。
「関係ない人間なんかいない。例え関係が薄くとも、『ごめんなさい』を言わなくてはいけない場面がある」
「そうだね。責任が問題じゃないんだ。問題は連帯性さ。『喧嘩』や『いじめ』は傍観者も罪人だとニュースで言われるだろう。第三者に関係者だと思われた時点で終わりなんだ。状況や責任は着眼点じゃない」
子供は大人のそういう部分が嫌いだ。ドラマで『客に頭を下げる父が恰好悪い』とかいうシーンがそれだ。そうじゃない、恩赦と敬意を込める、謝罪による相手の怒りの鎮静化を図る。自分が誰かを傷つけた事実を正直に認める。そういう生物なのだからと自覚する。それが出来るのが大人だ。
「人間は助け合って、傷つけ合う生き物だ。関係ないなんて言葉を使って生きるなら、人間など辞めてしまえ。動物園で暮らしたほうがいい。人間の本質は悪だ。何かを破壊しなくては生きていけない。誰かの損害無しに利益は生まれない。そこに関係が生まれる。そこに気づくかどうか」
そこに気が付くかどうか。見知らぬ誰かに頭を下げられるかどうか。自分は生まれながらの破壊者だと言えるかどうか。そしてそれを防げるか。
「桜台制覇ちゃん。さぁ、自己否定の時間だ」
破壊活動を未然に防いでみなよ。自分の良心でさ。
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なんか私、こういう文は得意です
道徳……?




