胸の中に残る罪悪感が消えないんだよ
熟慮病……ってなに? そんな病名は始めて聞いた。俺の姉は気だるい感じで机に突っ伏すと、死線を俺に合わせてきた。やさくれているのだろうか。なんか物欲しそうというか、羨ましそうな顔をしている。
「お前……忍者の世界から脱却できたんだよ。お前は私と違ってね」
「なに? お姉ちゃんは忍者を辞めたいって思っているのかよ」
忍者が隠居するのは死んだ時だけだ。忍者が途中で挫折することは許されない。腐っても暗殺集団である。一般の世界になど、無条件に戻って来れるわけがない。溶け込むことはできても、依存することは不可能だ。
「忍者は試験に合格したら……いや、『忍者』を目指した瞬間から逃げ道は存在しない。もう絶対に引き返せない。それなのに……頭の中では試行錯誤が永遠と地獄のように続く」
思考錯誤……俺の姉が……? 人殺しの大名手であるはずの殺人を目的として教育を受けてきた俺の姉が? 冗談にしては極めて笑えない。
「お姉ちゃんが悩むことなんかないだろう。俺みたいに忍者の試験に落ちて、職場を失ったわけでもあるまいし。どうしてお姉ちゃんが思考錯誤なんて言葉をいうんだよ」
……感覚が鈍ったのか? 現場と訓練場は次元が違ったというのか。確かに俺だって本物のサンタクロース来襲という予想もしないアクシデントに見舞われたから、現場の恐ろしさというものを嫌というほどに味わったが、俺みたいな不出来な忍者じゃないお姉ちゃんなら、きっとそんなギャップは感じなかったはずだ。
「どうして……」
「怖くなった。忍者であることに……」
忍者であることが怖い? どうしてだ?
強さに象徴ではないか。忍者であるからこそ、自分が一般人よりも超越した遥かな強さを持っていると自覚できる。強さを確認するステータスとして申し分ないはずだ。それが怖い? なにを恐れることがある。
「忍者であることは、別に吸血鬼だの狼男だのと違って、人間をやめることではないんだよ。怖いんだ……そして名誉も感じない。初期の頃はようやく実践で役に立つことが嬉しかったんだ。仕事を完遂する自分が誇らしかった。でも……徐々に自分が分からなくなった……」
確かに殺人を喜ぶようでは忍者には向かないかもしれない。こっちは仕事でやっているのだ。殺人鬼は快楽で成していることなのかもしれないが、忍者は任務でやっているのだ。だから、任務以外のそっちのけの行動は慎むのが常識である。
「なにも嬉しくないんだ。最近は誇らしくもない。忍者なんて肩書きを当てはめても、自分を肯定できないんだ。胸の中に残る罪悪感が消えないんだよ」




