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銀の王冠  作者: 樅野 梢
〈銀の王冠Ⅰ〉
3/3

第二話 ナブラの呪い



 ある小さな町が在った。何処にでも有りそうな、辺鄙な田舎である。


 町の北側には暗く、陰鬱とした雑木林が広がっていた。橡や小楢、欅などの木々が人によって開かれた小路を覗き込むようにして立ち並んでいる。深い溝や皺が刻まれたそれらの幹は、まるで何十年も此の場所に住まう寡黙な老人たちのように見えた。


 細い小路を進んでゆくと、林の奥にぽっかりと木の生えていない空地があり、其処には古びた一軒の家が建っていた。


 よく見ると灰色に塗られた外壁は其れほど歳月を経ていないようだが、館の正面に構える錆びた鉄格子の門が何処と無く不穏な印象を与えていた。

生い茂った葉によって日光は遮られ、雑木林のなかは日中にもかかわらず薄暗かった。

何かの拍子に何度か、ギィ、と啼き声が聞こえ、木の枝々から野鳥たちが飛び去って行く。その跡には黒濡れの羽根が舞っていた。

 町の住民は気味悪がって、誰一人近付こうとはしなかった。



        ○



 ある日、洋館の前に、小さな人影が在った。影に溶けていた片眼が金色に煌く。

すると、門は訪問者を歓迎するかの如く、不吉な旋律を奏でながら、独り手にゆっくりと開いた。小さな人影はさして驚きもせずに、開き切った門を潜り抜けて這入って行った。

重い扉を開けると、湿っぽくひんやりとした空気が流れてきた。古びた床板は歩く度に軋み、曇った窓硝子がかたかたと鳴っている。


 洋館の一階は棚やショーケースを据えた商店のような作りになっており、部屋の奥にあるカウンターの側には机と豪奢な椅子が置かれていた。


 棚に処狭しと並ぶのは瓶詰めにされた乳白色の球体──それは紛れもなく人間の目玉だった──で、とろりとした琥珀色の溶液に浮かぶそれらは、もう何も映してはいなかった。


 瓶の他には、頭の無い蝙蝠の標本、得体の知れない頭蓋骨、黒く変色した血のようなものが満たされた硝子の容器などが無造作に並べられていた。天井の梁には蜘蛛の巣が掛かっていて、魔の巣窟のような雰囲気を助長している。

 

 入口近くの壁には大きな鏡が立掛けられていて、その中を一人の美しい少年が悠然と通っていった。


 黒地に銀糸で刺繍を施したヴェロアのコートを羽織り、厳めしい革靴を身につけた其の姿は、先程の小さな人影であった。端整で麗しい彼の相貌は、押絵に描かれた美しい人形を思わせた。年は十歳程だろうか。整った顔付きはまだ幼いものの、相手を射抜くような眼をしていた。


「まさか本当にやってくるとはね」


 不意に、暗がりから誰かの声がした。少年は黙ったまま、その闇を睨み据えて居る。

声は続く。


「――いや。よくいらっしゃいました、と申し上げるべきでしょうか?」


 嗄れてはいるが、年老いた感じのしない高めの声だった。わざとらしく語尾をやけに強調しているような、可笑しな抑揚がある。


 奥からぬっと出てきたのは、一人の若い男だった。


 長く伸びた前髪で目元は隠されているが、顔は病人のように青白い。被るには小さすぎるシルクハットが癖のある黒髪の上に乗っていて、銀の腰鎖には大量の鍵を下げている。裾の長い、烏の羽のような漆黒の服を身に付けていた。


「お前がアトレッドか」


 少年が問い掛ける。


「いかにも。ようこそ、我が館へ」


 アトレッドと呼ばれた男は口元を歪めた後、恭しく礼をした。


「親父は今、どこにいる」


 少年は不気味という文字を実体化したような男の出で立ちにも物怖じせずに言った。アトレッドは勿体ぶるように肩をすくめて、


「残念ながらその質問にお答えすることは出来ません。彼の消息は私自身も存じ上げておりませぬ故。それに……」


 アトレッドは少年を横目でじろりと見下して、にやりと口角をひしゃげて言った。


「貴殿が此処へいらしたのは、そんな事を訊く為ではないのでしょう?」


 少年は、薄く唇を噛んだ。


「……俺が果たすべき〝依頼〟には力が要る。俺には誰にも負けない、強い力が必要なんだ。お前の処へ行けば、それが手に入ると聞いた」


 アトレッドは真紅のビロード張りの椅子に腰掛けて、じっと立ち尽くす少年を見やった。その眼差しは興味と嘲りに充ち溢れていたが、同時に、真意というものを一切滲ませなかった。


「俺は、力が欲しい」


 少年の言葉には、誰にも崩すことの出来ない固い決意と、誰にも明かすことの出来ない大きな屈辱が秘められていた。


 自分は力を持たないということを知り、認めることの出来る人間が、この世界に何人いるだろうか。アトレッドは目の前の少年に自然と旧友の姿を重ねていた。


「本当に、君に良く似ている……」


 彼がぽつりと落とした独り言に、少年は怪訝そうな顔をした。

 アトレッドは続けてくつくつと笑うと、机に身を乗り出した。


「では、私と取引をしませんか?」

「取引?」

「ええ。それも契約付きの正式な取引です」


 そう言うと、アトレッドは机の上に手を翳し、ある呪文を口にした。


《 オペ・ノイン 》


 淡い光と共に机の上に現れたのは、鉄製の錠が付いた木箱だった。蓋の部分には「Ⅸ」という数字の焼き印が入れられている。アトレッドが懐から鍵を選び取って施錠を外すと、中には一冊の本が入っていた。


「……黒本」

「御察しの通りで御座います」


 アトレッドは黒本と呼ばれた分厚い本を箱の中から取り出した。


 魔法の構造・効果・用法の全てが網羅され、詳細に記されているのが魔導書〈グリモワール〉である。一般的に黒い布で覆われていることから黒本とも呼ばれ、魔法の名を示す表題の判が白いインクで押されている。


 魔導士は黒本を熟読し、理解することで初めてその魔法を使うことが出来る。つまり、黒本の譲渡が魔法そのものの譲渡と同意であったことは言うまでもない。尤も、その魔法が扱えるかどうかは魔導士の力量によって異なる。


 アトレッドが手にしているグリモワールの表紙には、釘で引っ掻いたような直線と点で構成された複雑な文字で表題が記されていた。少年の目が文字を追う。


「クラ…ウディス?」

「ほう。古代エラム語をその年にして読めるとは流石、最年少で学士院〈アカデミー〉を卒業しただけはありますねえ」


 アトレッドはそう褒め称えたが、その言葉には少しも敬意が感じられなかった。

 古代エラム語は、遥か昔に滅びた国家の言語である。現在は魔法学で暗号代わりに用いられるが、その難解さに読むことの出来る者は一握りの魔導士のみであった。


「これは四聖剣の一つ。夕雲の剣〈クラウディス〉のグリモワールでございます」

「四聖剣って……大昔に神が四匹の悪竜を封印した御伽噺に出てくる、あの?」

「ええ」

「実在したなんて聞いたことが無い」

「私も驚きましたが、グリモワールの内容といい、明らかに本物でした。きっと残りの三つもこの世界の何処かに存在するのでしょう」


アトレッドは少年の目の前に黒本を掲げ、


「貴殿にはこのグリモワールを差し上げます。その代わりに──」


 指でロアの顔を指し示した。爪は長く伸び、黒く塗られて妖しく光っている。


 少年は警戒心から、ぐっと息を呑んだ。


「貴殿の目を頂きます」


 少年は一瞬だけ目を見開き、一歩後退りをした。アトレッドは更にずいと顔を近づけて真正面から少年の顔を覗き込んだ。口元には奇怪な笑いが浮かんでいる。


「目は契約に必要なだけですから、ご心配は無用です。私の商売の基本は〝等価〟……つまり互いの利益は均等でなければならない、という事を信条にしています」

「何が言いたいんだ?」

「目には目を、という言葉があるのはご存じでしょう? ですから、グリモワールにはグリモワールを頂かなくてはね。……それも、これは四聖剣のグリモワール」


 前髪から覗く翳った緑色の瞳が、微かに閃いた。


「なあに、今すぐにとは言いません。私もこの四聖剣のグリモワールが実在すると知ったのは最近の事ですしね。ですからここは六年以内に、残り三冊となった四聖剣のグリモワールから一冊を探し出し、引き渡して頂くという条件はどうでしょう?」

「……」

「ただ、私としても何の保証も無しに貴殿とこの取引をするのは、少し気が引けます。そこで、期限内に四聖剣のグリモワールを見つけられなかった場合、その代わりとして貴殿の左目を頂く、という契約を結んで頂きたいのです」


 少年は訝しげにアトレッドを見つめた。確かにこの条件は、グリモワール同士の交換という点で、等価交換という理念を忠実に守っているかに見えた。しかし、期限と保証まで付けた複雑な取引は、虫が良すぎたのだ。


(こいつの狙いは何だ?)


 少年はじっと相手を睨み、答えを探していた。単純に目が欲しいなら初めからそれを交換条件に持ち出せば良いだけの話だ。だが、こうも簡単に夕雲の剣を引き換えにするアトレッドが、四聖剣のグリモワールを本当に欲しがっているとは思えなかった。


 少年が口元に手を添えると、唇がやけに乾いていた。これは罠かもしれない、という気懸りはあった。しかし、選択の余地は無かった。彼の心は初めから決まっていたのだ。


「……わかった。その契約、取り結ばせて貰う」

「流石、貴殿は話が早い」


 そう言う口の下から、アトレッドはある呪文を唱えた。


《 ナブラ・ウル・アルファーダ 》


「な……っ」


 ドクン、と血が沸き立つような感覚の後、立って居られないほどの目眩に襲われ、少年はその場に膝をついた。


 そして、痛刻な叫び声を必死に噛み殺していた。膝をついて屈み込んだ後、六本の針で内側から左目を貫かれたような感覚が走ったのだ。突き刺すようなその痛みが襲うたび、激痛に耐え、少年はぐっと目を押さえた。手のひらを見るが、血は全く出ていない。


「これはナブラの呪い」


 少年が痛みに息を切らせながら、ふと横を見ると、立て鏡に移る自分の姿があった。何時の間にか、左目の下には烙印のような、逆三角形の小さな痣が一つ出来ていた。すぐ傍に立つアトレッドを睨み据えたまま、少年が途切れる声を繋いで言った。


「何の、つもり、だ」

「この逆三角形の契約印は三年ごとに一つ、二つと増えていきます。そして、三つ目の契約印が現れたその時が時間切れです。この時、左目は強制的に私の手元へと移ります。所謂、時限式の魔法だと理解していて下さい。大切な保証品が万が一傷付くといけませんから、その保護も兼ねています」


 少年は次第に目が霞んでゆくのが分かった。しかし、徐々に視界を塗り潰す闇の浸食を止めることは叶わなかった。


「六年以内に四聖剣のグリモワールを見つけ出し、私に手渡すことが出来なかった場合、その時点で貴殿の左目は私の所有物となりますので、ご了承下さい」


 闇の中で、アトレッドの言葉が反芻する。


「私の契約は〝等価〟を信条としています。決してお忘れにならぬよう」


 少年の意識が、そこで途絶えた。


「次にお目に掛かれる日を愉しみにしています。ロア・ハースヴィン男爵」



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