第八話 崩壊
図書室前。
俺は見せたいものがある、と読書部のみんなに言って、再び部屋の外に出ていた。
「準備はいいか?」
哲は静かに頷く。ちなみに、古城には帰ってもらった。邪魔だからな。
ふう、俺は一つ息を吐き、図書室の扉を開いた。
図書室では、皆がそれぞれ椅子に座っていた。俺は哲を手で呼ぶ。皆の視線が入り口へと集まった。
「えっ……志比君それ……」
桜倉川が立ち上がる。俺は一度哲を想像実現で作り出している。だから、最初は疑いの目で見られても仕方ないだろう。
「桜倉川、それにみんな、これは俺が作り出したものじゃない、正真正銘本物の形並哲だ」
「嘘……」
葉桜が声を詰まらす。他の三人もただ唖然としていた。
「本物か、本当に哲なのか?」
南里が哲を見て言った。
せん……ぱい、と哲は目に涙を貯め、四人の元へと歩いてゆく。葉桜、南里も立ち上がり、桜倉川と共に哲の元へと駆け寄った。
何か、本物の哲だという証拠も根拠もない。だが、彼らにしかわからない何かでも感じ取ったのだろう。桜倉川は哲に抱きつき泣いている。葉桜も南里も……。
「お前が存在を戻した……わけじゃないよな」
何時の間にか、浅原が俺の所に来ていた。
「ああ、違うよ」
俺は素直に答える。浅原は、それ以上俺に何かを聞かなかった。
四人は暫くの間、哲との再会を楽しんだ。
ーー久々の再開も、もう十分に楽しんだだろう。終わりだよ。読書部も、この幸せな時間もな……。
俺は五人の元へと向かう。
「さて、そろそろいいか?」
「ん? 何がだよ?」
南里が笑顔で言う。
「犯人について」
哲を除いた、四人が一斉に此方を向く。
「犯人……はもういいよ。こうして、哲も戻ったことだし」
笑顔で葉桜が言った。
「そうだな。でも、そうもいかないんだよ。なあ哲」
哲は黙って俯く。
「お前らにとっても、流していい問題じゃないんだよ」
「それってどういう……」
桜倉川が笑顔を引っ込め聞いた。
哲、お前の出番だ。
「俺の存在を消したのは……」
哲は少し間を置き、言った。
「浅原……先輩です」
瞬間、この場の空気が止まったように感じた。しかし、当の浅原は表情一つ崩してはいない。他の三人の表情は固まっていたのに。
「何……言って」
少しの沈黙(だろうが長い時間が経ったように感じた)の後、葉桜が口を開いた。
「哲の言ってることは本当だ、まあ証拠は無いが……でも哲が嘘をつく理由がないからな」
俺は続ける。こういうのは先手必勝だろ。
「だから俺は哲を信じることにした。信じたくはないけどな……」
俺は視線を下げる。我ながら良い演技だ。
「本当……なの?」
桜倉川が哲に聞く。哲は小さく頷いた。
哲の性格は活発? だったか。しかし、今はだんまりだ。多分、本人は嘘をつくことに後ろめたさがあるから、ここまで黙っているのだろうが、それが今は良い方向に向いてる。この状況で哲が冗談を言ってるようには見えないだろう。
「公治……お前は」
南里が浅原の方を向く。依然として、浅原は表情を崩さない。にしても肝が据わってるというか……こうなる事がわかっていたのだろうか?
少しの沈黙の後に、浅原は静かに口を開いた。
「俺はやっていない」
静かに、しかし力強く浅原は言った。こんなに力強い言葉を、浅原から聞く事になるとはな。さて、ここからだ。他三人がどちらを信用するか……。
俺は浅原以外の三人に目をやる。
やっと冷静になってきたのか、表情から固さがなくなったように感じた。出来れば困惑した状態で答えを出して欲しかったが……まあ無理か。
「私は……公治を信じるよ」
暫くの沈黙の後に、葉桜が言った。いってしまった。
最初の一声が、浅原につくものになったか。桜倉川や南里なら説得しようと思うが葉桜、はなあ……今色々言ったら、今後がな。さて、どうするか。
ふと哲と目が合う。まあ落ち着け、と俺は目で合図する。通じたかどうかは知らんが。
「どっちを信じりゃ……」
南里が呟く。
しかし、今となってはあまり答えを急ぐ意味はない。もし、桜倉川と南里が哲を信じたとしても葉桜が考えを変えるとは思えない。何か根拠があって、葉桜が浅原の言葉を信じたわけではないからだ。ただ好きな人だから、想いを寄せる人だから、信じる理由はこれだけだろう。つまり、ここで多数派というものは意味を持たない。
じゃあどうするか。一番手っ取り早いのは、浅原の口から自分は犯人だと言ってもらうことだが、これは当然ながら不可能だ。じゃあ、他に方法は……。二人が答えを出す前に、何かいい手を考えなくては。それにこの事を哲も感づいてるはず、早く手を打たねば、哲がもたないかもしれない。
「どうして、奏ちゃんはそう思うの?」
ずっと何かを考えている素振りを見せていた桜倉川が言った。
そうか、この手があったか! いくらなんでも『好きだから』を理由には出来ない、しかし何故信じたか具体的な理由はない。これなら上手くいけば葉桜を中立に戻せる。
「理由なんてないよ、ただ私がそう思っただけ……」
葉桜は桜倉川と目を合わし、言った。
力が抜けるようだった。葉桜は、この上なくストレートに言ったのだ。感情論を。
「そう思ったって……」
「だってそうでしょ? 公治がやったかどうかなんて、今は言葉しか証拠がない。でも、言葉なんて証拠にはならない」
葉桜は今の状況を冷静に分析しているようだ。これなら、私情で浅原についたとは誰も思わない。
仕方ない、俺も参戦しよう。これ以上は誰がなんと言おうと、葉桜の考えを変えることは出来ない。
『嫌われても、修復すればいい』
好きな人の為に、好きな人と戦おう。
俺は沈黙を破り、切り出した。
「言葉しか証拠が無いのは、浅原も一緒だろ」
「それは……」
葉桜は黙ってしまう。
「たしかに、葉桜の言うこともわかる。でも、じゃあ哲はどうなる?」
葉桜は哲の方を向くも、哲は俯いたままだ。
「同じ読書部員だろ? なんで、今の状況で先ず浅原の言葉を信じたんだ?」
葉桜は俯く。勢いで言ったため色々不安はあったが、効果はあったようだ。
そもそも、この五人の絆は思った以上に強い。なら私情だけで、こんな簡単に結論を出すとは思えなかった。何を焦ってる? もしかして浅原が犯人だと思ったから、あえてこの行動を取ったのか? 浅原を庇うために……。
「わからない……私にはどっちが本当かなんて……」
桜倉川が口を開く。
確かにそうだ。しかし、今ここで結論を出さなければならない。じゃないと何処かで計画が狂ってしまう。
「お前等なら、わかるんじゃないのか? たった半月とはいえ、一緒に居たんだろ?」
取り敢えず時間を稼ぎつつ、方法を模索しなくては……。でも、どうすれば……。
「公治……本当にお前は何もしてないんだな」
唐突に、南里が浅原に詰め寄った。
「ああ、俺じゃない」
浅原ははっきりと答えた。南里は次に哲に詰め寄る。
「哲、嘘は言ってないんだな?」
哲は小さく頷く。次に南里は、俺の方を向いた。
「お前は哲を信じてるんだよな? どうしてだ?」
こいつ、難しい質問を……。さっきの葉桜への発言の事もある、ここで適当な事は言えない……。
『言葉しか証拠が無いのは、浅原も一緒だろ』
まさか、自分の言葉に首を絞められることになるとはな……。
「お前は何がしたいんだ、さっきから色々聞いて……」
何とか誤魔化せないか……。
「別にいいだろ、でどうなんだ」
無理か……そうだよな。さて、どう言い訳したものかな……。もう矛盾とか気にせず発言してやろうか。
「奏にあんなこと言ったんだ、お前ならそれ相応の理由を持ってんだろ?」
そうだよなぁ、ちゃんと聞いて理解してりゃそういう疑問を持つよなぁ……。ん? そういえば俺が、あの時言ったのは……。
『哲の言ってることは本当だ……嘘をつく理由が無い』
だったか? 確かこんな感じだったよな。俺の記憶が正しければ、断定はしてないのか。なら……。
俺は一つ息を吐いて、切り出した。
「俺が哲を信じた理由は、哲には嘘をつく理由が無いこと、でも逆に浅原にはそれが有るからだよ」
博打だ。裏が取れてない情報を使う。
「浅原が嘘をつく理由はあるのかよ」
あるな、と俺は即答する。
「浅原が嘘をつく理由、それにはまず二つの前提がいる、一つ目は浅原が存在抹消を使えること、二つ目は……」
俺は言葉を詰まらす。言いたくはないが、今はそんな私情は邪魔なだけだ。
「葉桜のことを、浅原が好きなことだ」
葉桜は、どんな表情をしたのだろうか……。
南里も桜倉川も黙ったままだ、この事を知っていたのだろうか……。
「一つ目はともかく、二つ目は……そうだと思う」
だよね、と桜倉川は浅原を見る。浅原は小さく頷いた。
……まあ、今更驚きはしねえけどな。
「で、仮に一つ目もクリアしたとして、どうして哲を消す理由になるんだ?」
俺は哲の方を向く。哲は小さく頷いた。
「哲も葉桜の事が好きだからだよ」
これには、南里も桜倉川も驚いた表情を見せる。そうか、この事は知らなかったか。
「で、浅原がその事を知っていたとすれば?」
俺は広野の推理を引用する。
「いや待て。その前に、その哲が葉桜の事が好きってのは本当なのか?」
南里の問いに、哲は小さく頷いた。
俺は話を再開する。
「葉桜が哲の事を後輩として接していたとしても、それを浅原が哲に対する好意だと受け取ったとしたら?」
言葉は証拠にはならない。なら、浅原が存在抹消を使えないと言っても、哲の気持ちは知らなかったと言っても、その言葉を信用することは出来ない。
俺は葉桜以外の皆を見る。浅原を除き、困惑しているようだ。
これで、ある程度はこの場をコントロール出来ただろう。後は決めるだけ。浅原が犯人だと証明出来なくてもいい、いや証明など出来ない。この状況で、冷静な者など俺ぐらいなもの。なら、ある程度は無茶苦茶な事を言っても通ってしまう。証拠も無しに、浅原を犯人にすることも可能なはず……。
「違う、そんな……」
葉桜、悪いな。でも仕方ないんだよ。俺は何かを手にするためなら、方法なんて問わないからな。それに大丈夫、お前の心は俺が癒すから……。
「おれが……った」
うん? 誰か何か言ったか??
「俺がやった。お前の、志比の言うとおりだよ」
その場に居た、ある一人を除いた全員が、唯一表情を全く崩さなかった男の方を向く。
「こう……じ?」
「俺が哲の存在を消したんだ」
低い声で、浅原はそう言った。皆に、いや葉桜に……。
俺は浅原が言った『言葉』は理解出来たが、『意味』は理解出来なかった。
「何言ってんだよ浅原、お前なに……」
南里の問いに答えず、浅原は図書室を出て行く。
悪かった、と呟いて……。
浅原が図書室を出て行ったと同時に、葉桜がその場に崩れ落ちた。表情は固まり、目には涙が浮かべて……。横にいた桜倉川は、既に涙がこぼれ落ちていた。
勝った。
ようやく、この状況を俺は理解する。しかし、なんだこの気持ちは。こうなる事は予想出来ていたのに、これじゃ試合に勝って、勝負に負けたのと同じことじゃないか。
誰かの泣き声が聞こえる。どうでもいい。それよりも今はただ、叫びたかった。がらにもなく、叫びたかった。
様々な想いを発する四人、しかし実際に聞こえたのは嗚咽だけだった。