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金魚のセレナーデ(歳時記シリーズ)

作者: 和泉瑚子

 美未は、目の前に置かれた水槽を眺めながら、不思議そうに尋ねた。

「お母さん。これなあに?」

 桃はその言葉を聞くと、懐かしそうに目を細める。

「これはね、お母さんの宝物なの」

「たからもの?」

 小学2年生の美未にとっての宝物は、おととしのクリスマスにサンタさんからもらった、テディベアと今年の誕生日に大好きな祖父母から贈られた、おもちゃのハートのペンダントだ。他にも「これは大事!」というものは、勝手に与えられたお片付け箱とは違う、テーマパークに行った時にとても気に入って、無理を言って買ってもらったお土産の缶に仕舞い込んである。そんな「宝物」のイメージを持っていた美未は、水しか入っていない水槽が宝物だと言われてもピンとこなかった。

 ――もしかして、このお水、とても美味しいお水なのかな?

 そう考えた美未は、手の先をそっと水槽の中の水につけて舐めてみた。そして驚いた。舌先がしびれてしまうような衝撃を受けた。

「お母さんこのお水なんか変!」

 舌先を唇から出してぺっぺっと舐めた水を吐き出すようにしている美未を見て

「何やってるのよ」

 と笑いながら台所に行き、美未が大好きなオレンジジュースをコップに注いだ桃は、一緒に写真立て持って、コップを美未に、写真立てを水槽の前に置いた。美未はオレンジジュースを一気に飲み干した後、その写真立てに目をやった。

「…金魚?」

 そこには、3匹の赤い金魚が写っているだけだった。何故金魚の写真を水槽の前に飾るのか、ますます訳がわからなくなった美未は、自分の母親の顔と写真を交互に見比べた。桃は、懐かしそうに微笑みながら、その写真の表面を指先でなぞっている。

「お母さん、この金魚なんなの?」

「この金魚はね……」

 そう言いかけて、桃はきょろきょろと周囲を見渡した後に

「誰にも言わないでね。勿論パパにも」

 と耳打ちした。美未がこくんと1つ頷くと、美未の母親は1つため息をついてから口を開いた。

「私の耳、よく見るとちょっと変わった形してるでしょ?」

 そう言いながら、桃は綺麗に手入れされたロングヘアを耳にかけた。

「これ、みーちゃんが知ってる形に似てない?」

 美未は桃の耳をじーと見つめ、そしてうーっと唸りながら考えてみたが、なかなか答えが口からでてこない。確かに見たことはある気がするのだが、一体どこで見たのか、そしてどういうものなのかがまったくわからない。桃はちらっと、近くの壁に掛かっていたカレンダーの方に視線を向けた。美未もつられて視線をそちらに向ける。そして気付いた。

「お母さん!3だね!」

娘があまりにも鼻息荒くしながら満面の笑みで言うので、桃は思わず吹き出してお腹を抱えて笑ってしまった。美未はそれを見ながらちょっと不機嫌そうにほっぺを膨らませ、その様子がまたおかしくて、大笑いしながら美未ふくらましたそれを指で押した。ぶぶーという音が出てしまい、美未もそのあまりにもおかしな音にひきずられてきゃははという声をあげた。

 その後暫く時間が経って落ち着いた頃に、笑いすぎて出てきた涙をふきながら、桃は漸く写真の説明を始めることができた。


それは、20年前の夏に遡る。その頃桃は、中学3年で受験の為に必死で勉強をしていた。この日、桃は近所の図書館で自習をしていた。

「雛形さん」

 丁度お昼ご飯を食べようと、図書館内にあるカフェテラスに入ろうとしたときだった。この声は誰のものなのだろうかと、その方向を見ると、桃は心臓が掴み取られそうになるかと思う程驚いた。桃を呼んでいたのは、桃が中学1年の頃から憧れていた野田一樹だった。野田はサッカー部でエースストライカーで、高身長で爽やかな顔立ちをしている為、女子たちの憧れの存在であった。

「野田君?こんなところで何やってるの?」

 桃はなんでもないかのように、平静を装った。

「たぶん、雛形さんと同じ理由だよ」

「自習ってこと?」

「そう。それでご飯を食べにきたってわけ」

「なるほど」

 2人はそのまま食券を買った。桃は大好物のカレーのボタンを真っ先に押したが、一樹はなかなか決まらないのか自販機の前で唸っていた。

「まだ決まらないの?」

「カレーとラーメンが俺を呼んでるんだよ。俺を食べてくれーって」

 真顔でそんなことを言うので、桃は吹き出してしまった。

「あー笑ったな!ほんとなんだぞ!食べて―食べて―俺を食べて―」

 言いながら手をこまねく仕草が、普段桃の中にある一樹のイメージと違っているが、桃にはなんだかそれが楽しくなってしまった。

「雛形さんは何を食べるの?」

「カレー。ここのカレー大好きなの」

「じゃあさ!俺にも少し分けてくれない?」

 思ってもみなかった申し出に桃はびっくりした。

「あっ、嫌だったら別に……」

「いいよ!」

 桃は自分の口から出た言葉を耳で聞いて、初めて自分が言ったことを理解して、一気に赤面した。

「それじゃあ俺はラーメン……っと」

 そんな桃の心情などお構いなしに、鼻歌まじりでラーメンのボタンを押した。

「あ!」

 急に一樹は大声を上げた。

「どうしたの!?」

「……ラーメン…塩ラーメンもあるのに気付かなかった」

「え?」

「醤油しかないものだと思ってたのに塩ラーメンあるならそっちにすればよかったー!!」



「まさか野田君があそこまでラーメンにこだわりがある人だとは思わなかったよ」

「雛形さん、塩ラーメン食べたことないの?」

「ない」

「もったいないよ!絶対食べた方がいい!」

 2人で窓際の席に座ってお昼を食べられることだけでも桃にとっては奇跡だと思っていたのに、憧れていた人の意外な姿をこんな風に見ることができたことが桃は何よりうれしかった。目を輝かせて子供の様に話す一樹の姿に、始めこそ驚きはしたが、生き生きとした表情がとてもかわいいなと、桃は思った。

 一樹はクラスの中心的存在ではあったが、どちらかというと他のクラスの男子よりは落ち着いた雰囲気を持っていた。騒いでいる男子達をなだめたり、かと思えば行事の時はリーダーとして皆を引っ張っているイメージが強かった。そういった面にも勿論憧れた面もあったが、自分には手が届かない存在だからと遠くから見ているだけでよかった。だから、桃は自分のことを覚えていてもらえているなんて思っていなかった。

「雛形さんってさ」

「なに?」

「どうしてこんなに暑いのに髪の毛降ろしてるの?」

 桃の髪の毛は肩より長く背中にはつかない程度の長さだった。室内はクーラーが利いているのでその長さでも問題はないのだが、太陽の光がぎらぎら照らすアスファルトの上を歩くには、首の汗疹は覚悟しなくてはいけない。

「気になるの?」

 桃にとっては、その理由を話すのには少しためらいがある。

「教室とか……体育でもずっと降ろしてるからね」

 まさか一樹が学校でずっと髪の毛を降ろしている自分に気付いていたなんて……と桃は驚いた。その表情に何かを汲み取った一樹は、鼻を手でこすって恥ずかしそうにこう言った。

「最初は、すごくきれいな髪の毛だなって思って見てたんだけど」

 桃は、このセリフを聞いた時の自分の顔は決して見たくないと思った。何故なら、茹だこになっているのは見なくても顔の熱さでわかったからだ。

 その後、一緒に図書館で2人は勉強した。その流れになったのは本当に何気なくだったが、やっぱり桃は嬉しかった。桃も比較的勉強はできる方ではあったが、問題集の進み具合は一樹が少し速くて

――この人やっぱりすごい……

 ちょっと勉強が進むと、ちらちらと一樹の方を見ては、自分も頑張らなくてはと手を進めた。何回か目が合ってしまうことがあって、桃は首をすくめてしまったが、その度に一樹は笑顔を見せてくれた。そのおかげかはわからないが、この日、桃は今までで1番問題集の進みがよかった。


「ねえ、今日この後時間ある?」

 図書館からの帰り道、一樹は桃に聞いた。空は、もうオレンジに染まり、地面の方は微かに紫がかっていた。

「少しなら大丈夫。ただ、8時までには帰らないとお父さんに怒られちゃう」

「8時ね……」

 一樹は左腕につけられた腕時計を見ながらぶつぶつ何かをつぶやき始めた。

「どうかしたの?」

「あのさ……ちょっと寄り道しない?」

「寄り道?」

「そ」

「どこに?」

「ん~……秘密」

 そう言うと一樹は桃が鞄を持っていない方の手をつかんだ。桃は自分に今何が起きているのか全くついていけず、その手と一樹の顔を交互に見た。

「あっ……あの……?」

 一樹はいたずら子っぽい笑顔を浮かべると、桃の手をつかんで今まで歩いていた方向とは逆方向に歩き始めた。


「すごい……」

 桃は、目の前に広がっている光景を見て、思わず感嘆の声を漏らした。一樹が連れてきたのは、近所の神社だった。

「今日、祭があるって知らなかった?」

「知らなかった……。」

 桃はそう言いながら、行く人の姿を眺める。

「浴衣……いいなあ……」

「雛形さんの浴衣姿、きっといい感じなんだろうね」

 一樹が桃を見ながら笑顔で言うので、桃はいたたまれなくなった。

「私、小学3年の時から……浴衣は着ないって決めたの」

 桃の脳内に、あの頃の消したいと願っていた記憶が蘇ってきてしまった。毎日学校に行くのが辛かったあの頃が、桃のこれまでの人生の中で1番辛い思い出だった。

「何か……あった?」

 一樹になら話してもいいのだろうか?ふと今日の出来事を思い浮かべた。子供の様に笑う顔、ふっと見せてくれる微笑み、そして……自分の髪の事を気にしてくれていたということ。桃は思わず口元を緩めてしまうくらい、それらが嬉しくて仕方がなかった。

 だけど、もし話してしまったら、彼はは自分を嫌いになってしまうかもしれない。せっかく仲良くなれたのにそれでは悲しすぎる。前の様にまた見ているだけなんて、こんな楽しいことを知ってしまった後では戻りたくなんてない。そう桃が思った時だった。

「みみ?」

 その声を聴いた途端、桃の顔は一気に青ざめた。声の主は後ろから桃と一樹の前にまわりこみじろっと二人を見比べながらにやりと嫌な笑みを浮かべた。

「なんだ、やっぱりみみじゃん」

「みみ?」

 一樹が不思議そうな顔をして、声の主である同い年くらいの少年を見る。

「原山……」

 桃はなんとか声を絞り出すことが出来た。どうして。どうしてこのタイミングで彼が現れてしまったのだろう。よりにもよって何故……。

「お前が男連れだなんてまじ笑えるんだけど」

 そう言うと、原山は一樹の方に顔を向ける。

「あんたも相当物好きだよな~」

「どういう意味?」

「こいつの耳見たことあるか?めっちゃ変な形してんの」

 そう言って原山は桃の髪を無理やりあげようとした

――やめて!

 叫びたくてもあの頃の事を思い出してしまい、桃は声が出せない。嫌だ。知られたくない。見られたくない。

「やめろよ」

 横から低い、怒りの声がした。桃は声がした方を見る。一樹が険しい表情をしながら、原山の腕をつかんでいた。

「なっ、なんだよお前。いてーよ!」

「お前が彼女にしてることは、こんなことよりずっと酷い」

「なっ……」

 原山は一樹の手を無理に振り払って、忌々しいといった目で桃と一樹を見た。その後1つ舌打ちをして人ごみへと消えていった。


「……大丈夫?」

 青ざめた顔をしている桃を気にして、一樹は桃を連れて人気が比較的少ない小さな祠へとやってきた。その近くにあるベンチに桃を座らせた後に屋台の方へと走り、一樹はラムネを2本持って5分後くらいに帰ってきた。桃は一樹から受け取ったラムネの冷たさがとても心地いいと思った。

「ありがとう…」

 一樹は桃の横に腰かけて、もう一本のラムネを口にした。

「やっぱり、夏のラムネは美味い」

「私もそう思う」

 2人はその会話を交わしてから、ラムネを飲み干すまで口を開かなかった。ただ、2人が飲み干す音と、ビー玉がからころいう音が響いているだけだった。それでも桃は、一樹が横にいるということで、安心感を抱いていた。

「ねえ」

 桃がラムネを飲み干したのを確認した一樹が、ゆっくり口を開いた。桃は、覚悟を決めて1つ頷いた。

「さっきの男、誰?」

 意を決した桃は、一樹の顔を見て、過去を語り始めた。

「……小学校の時のクラスメイト……」


「お前の耳気持ち悪いんだよ!」

「帰れ帰れ!」

「『もも』じゃなくて『みみ』って名前に変えればいいのに」

 桃にとって、そんな罵声は日常茶飯事となっていた。いつから始まったのかは覚えていない。ただ、気が付けば桃は、クラス中の男子から学校に通う度にいじめられていた。原因は、桃の生まれつきの耳の形が少し変わっていたということだった。

 それが始まったのは、桃が小学3年の頃だった。桃は、ポニーテールにするのが大のお気に入りで、その日も、いつもと同じようにポニーテールで登校した。だが、偶然席が隣だった原山が変形した耳を見て

「気持ち悪い」

 と言い、その日から、桃は男子達のいじめの標的となってしまった。女子達は同情してくれてはいたが、原山に逆らうと次の標的にされるということがわかっていたので、桃を助けようとしてくれる人は誰もいなかった。そしてそれは、桃が中学になり市内の別の学区の所に引っ越ししたことで、やっと解放された。

 それから桃は、人に耳を見せることが怖くなった。耳を見せてあのような目に遭うのは本当に耐えられない。そう思い、今までは上げていた髪を常に下し耳を隠し続けた。水泳の授業の時も、極力耳までキャップに入れた程だった。その努力の甲斐もあり、中学時代は耳の事でからかわれることはなくなり、平穏な日々を過ごせるようになった。


「さっき浴衣を着たくないって言ったのは……」

 一樹は先ほどの桃の言葉と今の話を照らし合わせた。桃は頷いて

「そう。髪を上げなきゃいけないから」

「でも上げなくたって大丈夫なんじゃ……」

「浴衣に似合う髪型って、どんな髪型だって耳を出さなきゃいけないの。ただ垂らしてるだけじゃ日本人形みたいになっちゃうもの。」

 桃は、自分の出した例えがあまりにも言い当て妙で思わず笑ってしまった。一樹もそれに合わせて少し笑った。

「それにね、それに……浴衣って、可愛い女の子が着た方がいいんだよ」

 桃はなんだか居た堪れなくなり、ベンチから立ち上がろうとしたが、それに気づいた一樹はその腕を掴んだ。

「野田……くん?」

「雛形さん……。お願いがあるんだけど」

「……お願いって……?」

「君の耳を見せてくれない?」

 そのあまりにも鋭い視線に、桃は顔をそむけることができなかった。一樹の透き通った茶色の目に吸い込まれそうだとも思った。

「嫌われたくない……」

「え?」

「これ見せたら、野田君も私の事を嫌う気がして怖いの……」

「絶対に嫌わない」

 一樹は、そういうと桃の髪の毛に触れる。桃は右の方に顔を向け左の耳を一樹に向けた。一樹はゆっくり髪を上げて桃の耳を出した。そして一樹はゆっくりと桃の耳を見た。

「……これを気にしてずっと髪の毛を降ろしてたの?」

「……うん」

「あいつはこれで、雛形さんに酷いことを?」

「野田君?」

 一樹はその挙げた髪を桃の耳にかけた。そして桃の顔を自分の方に向けさせた。一樹と向き合う形になった桃は、一樹の真剣な顔に驚いた。

――怒っている?

 でもどうして一樹が怒る必要があるのだろうか、そう思うか思わないかの時、左耳が急に熱くなった。

「のっ……野田くん!?」

 一樹が桃の耳に口づけをしていた。


「ごめん、さっきは急に……あんなことして……」

「ううん……」

 桃と一樹は手を繋いで屋台の前を歩いていた。あの口づけが二人の空気と距離を変えていた。

「ちょいとそこのお二人さん」

 しわがれた声の男性の声が二人を呼んだ。男性は金魚すくいの屋台を営んでいた。

「よければちょっとやっていかないかい?サービスするよ」

 桃は金魚すくいなどやったことがなかったのでためらったが、一樹は財布を取り出してポイを受け取った。

「野田君、金魚すくい得意なの?」

「得意ってわけじゃないけど……たぶん大丈夫。雛形さんはそこで見ててくれる?」

 そう言うと、一樹はゆっくりポイを水につけて赤い小さな金魚に狙いを定めた。そして気が付けば器にその金魚が移動していた。

「すごい!」

 桃がそういうと一樹は得意げにポイを持つ手でポーズを取り、それがおかしくて桃は笑ってしまった。

 

 3匹目の金魚をすくったところで、ポイの紙が破れた。ビニールに入れられた3匹の金魚を男性から受け取った一樹は、そのままそれを桃に渡した。

「いいの?」

 桃がそう言うと、一樹は照れくさそうに

「雛形さんにあげたかったんだ」

 一樹は金魚を持っていないもう一方の桃の手を再び握って、また人ごみの中を歩き始めた。

「あのさ……来年の祭は、浴衣着てくれないかな?」

「え?」

「見たいんだ。雛形さんの浴衣姿」

「でも……」

「2人きりだったら……」

「え?」

 一樹はそう言うと一層強く桃の手を握った。

「俺と2人きりだったら……浴衣……着られないかな?」

「野田君?」

「雛形さんの耳、俺は全然変だと思わない」

 一樹は優しい声で自分が思ったことを桃に言い始めた。

「誰にだって、コンプレックスはあるとは思うんだ……。俺にだってあるし」

「野田君にもあるの?」

「勿論」

「それって……私が聞いてもいいことなのかな?」

「雛形さんだから聞いてほしいかな」

 一樹は、桃に自分の頭の後ろを触るように言った。桃はそこをなでて違和感を覚えた。

「野田君……これ……」

「気が付いた?」

 一樹の頭は、触ってようやくわかる程ではあったが、ほんの少しだけ凹んでいた。

「……でも髪に隠れてるから……」

 だから自分とは違うと、桃は言おうと思って……やめた。それはここで言ってはいけないと直感したからだ。その沈黙の意味を知ってか知らずか、一樹は少し苦笑いをして、話を続けた。

「ほんとは俺、野球やりたかったんだよね」

「野球?」

 一樹のこの告白はとても意外だった。サッカー部で輝いているから、心からサッカーが好きなのだとばかり、桃は思っていたからだ。

「長嶋秀雄とか王貞治みたいな、すごい選手になるんだって自分でも思ってた。だけど、今の中学で野球をやるには坊主にしなきゃいけなくてさ……それができなかったんだ。周囲の目が怖かったんだ」

 おかしな話だろ?と一樹は自嘲した。桃にとって、憧れだった一樹。でも、その憧れは別の感情へと移っているのが桃にはもう……わかっている。

「野田君。もういいよ?」

「雛形さん」

「ありがとう。話してくれて。……次は、私の話を聞いてくれる?」

「いいよ」

「私、野田君のことずっと憧れてたの。堂々としてて、大人っぽくてかっこよくて、あんな風になりたいって」

 桃はそう言うと、髪の毛をすべてかきあげて両耳を見せた。

「いつか、こんな風に誰かの隣で髪を上げられたらって、それが夢だった。あいつみたいに『みみ』って馬鹿にしないでいてくれる誰かの横にいられることが……夢だった」

 桃の目から涙がこぼれ始めた。それでも桃は、今伝えたかった。

「野田君、これから、私の横にいてくれませんか?野田君の横で、私は髪を上げたいです」

 一樹は桃の手をゆっくり降ろさせ、それと同時に髪がぱらりと落ちた。

「この耳は、俺だけのものでいいかな」

「え?」

「他の奴になんて見せたくないから」

 そう言うと、一樹は桃の左耳にそっと触れた。その体温が桃には心地よく思えた。


それから、金魚を入れる為の水槽を2人で買った。3匹しかいないからそこまで大きいものでなくていいだろうということで、1番小さいものを2人で割り勘して買った。それらを引き取ったのは比較的動物を買うことに寛容な両親を持っていた桃だった。

 その金魚達は、それからの桃と一樹の分岐点を見守り続けていた。

 2人が初めて長電話をして桃の母親に怒られた時。

 同じ高校に合格して喜びを分かち合った時。

 桃の両親が商店街で当てた旅行に出かけた際、一樹が初めて桃の家で一夜を過ごした時。

 高校3年で、一樹が美容師を目指したいと言いだし、親と喧嘩になって桃の家に転がり込んできた時やその後和解した時。

 そして2人が結婚の許しを得る為に桃の両親に挨拶をした時……。

 2人の分岐点を、この3匹の金魚は見守り続けていた。だが、1匹目は一樹が美容師試験に合格した時、2匹目は2人が結婚した時、そして最後の金魚は2人の子どもが誕生したその日に静かに息を引き取ったのだ。


「つまり、お父さんとお母さんにとって大事な金魚の形見ってとこかな?」

「ふーん」

 美未はあまりよくわかっていない様子で、水槽を覗き込んでいた。

「ねえお母さん、お魚さんはもう飼わないの?」

「そうね……」

 毎年、美未の誕生日である3月3日にこの水槽を出してはあの頃を思い出す。それが桃の習慣となっていた。最初はただ、さびしかったからだ。一樹と心が通じ合ったあの日から2人を見守っていてくれたあの金魚達を、桃はよりどころとしていたからだ。だが、季節が巡り、今では金魚達を思い出すことよりも、一樹や美未への愛しさを再確認する日となっていた。

 そろそろ、この金魚達から卒業しても……良い時期かもしれない。桃は初めてそう思えた。

「帰ってきたらお父さんに聞いてみようか」

「うんっ」

 とその時、ドアが開く音がした。

「ただいまー」

「お父さん帰ってきたね」

 美未は玄関の方に走っていった。桃は夕ご飯の準備をしようと立ち上がり、台所へと向かった。



~Fin~



これ何故やろうとしたかというと



3月3日はひな祭り以外なにもないのか!!?



という、これまた私のアルバイトの都合によってひな祭りがごり押しされていることからの反動…というか反発心からと、久しぶりに小説の練習を徹底してしたいなという理由からです(笑)


今回のお話は3月3日が



金魚の日


という記述を見てぱぱっと思いついたものをプロットなしでささーっと書きました。


プロットを作るのも勿論大事なのですが、これなしでもある程度しっかりした起承転結を作る練習がしたいなと…ね…。結果はまあ読んで戴けて一目瞭然かと(遠い目)一応今回他にベースにしたものは



耳の日→耳にコンプレックスを持ってる少女という設定、美未と言う娘の名前

雛形桃→桃の花、ひな祭り

野田一樹→3月生まれの著名人の名前を組み合わせた


という条件のもとで創りました。




あとこのシリーズ、絶対にやりたいのが「甘甘恋愛もの」です。

実は和泉、意外にも恋愛少女マンガが何よりも大好物で、自分でもそういう「甘甘」かつ絶対ハッピーエンドな話が好きなんです。なので、この歳時記シリーズは絶対のこの条件で作ろうと思っています。



本当にこのシリーズについては趣味に走るつもりでいます。次やるとしたら…3月23日の春分の日か4月1日のエイプリルフールか…まだ悩んでいますが(というか状況が許すか許さないか)、こういった豆知識(3月3日は耳の日とか金魚の日とかね)は取り入れていきたいと思いますので……まあ軽く目を通してもらえるだけでも歓喜乱舞でございます。



あと、私の力不足ではありますが、一樹の桃への気持ち……というものはあまり今回は書けなかったので、来年の3月3日には一樹目線のこの話をやろうかなとか思っています。

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