8話 B4
その夜、リベンは夕食後に自室でうとうとして30分ほど寝た。そして目を覚ましたが眠気が残っているので歩いて目を覚ますことにした。
寮の階段を歩いて途中階にある薄暗いバルコニーに出た。ここは日中はシーツが干されていて、今は何も干していない物干し竿が並んでいた。夜間は共用スペースとして利用可能だ。数人の人影が見えたが、わざわざまだ寒い外に出て風に当たる物好きはそう多くはなかった。
リベンはバルコニーを歩き、手すりの前に立って遠くを見た。
手すりの向こうには煌々と輝く摩天楼が見えていた。窓から見える明かりや街灯の明かり、ビルの上のランプは点滅し、道路を走る車や線路を走る電車の動く光もあり、全体としてはどっしりと動かずにいるが細部は何かしらの動きがあった。
「や、こんばんは」
肩を叩かれ、斜め後ろを向くとパーリラがいた。
「ああ、こんばんは」
パーリラは横にやって来て手すりに肘を置いて前にもたれて街の方を見た。
「あんたも来てたの?」
「ああ。眠気覚ましに外の風を浴びようと。お前こそどうして?」
「勉強のちょっと息抜きに」
「ふうん…」
「……」
2人はしばらく黙って街を眺めた。
「…そういえば学園長ってパーリラのお母さん?ベルウッドという同じ苗字だろ?」
前から知っているから聞くまでもないが、話の起点とするために一応聞いた。
「…そうよ。一応…遺伝子的にはね」
何だか引っかかる言い方だな。母親から生まれるんだから確実に血を引くだろう。仲悪くて母親と思いたくないということか?そのことを深く聞くと話を打ち切られそうだから今は触れないでおこう。
「元々ケンランの選手だっけ?学園紹介にそんなようなことが書いてあったような」
「ええ…。競技性の選手だったわ。31歳で引退して翌年から学園でトレーナーやって2年前から学園長やってる」
「長いこと教頭やってたんだな」
「別に長いってことは無いと思うけど…。今が57歳で50歳の時から55歳までの6年間よ。キリがいいから覚えてる。長いかしら?」
「あ、いや、俺たちの人生の1/3だし…。でもパーリラのお母さんにとってはたったの1/10弱か。はは…」
「まあ私たちからは1/3もって話ね」
あれ?母さんから聞いた話では20年前に既に教頭じゃなかったか?…でも冷静に考えると変だぞ。32歳でトレーナーを始めて37歳で教頭は早すぎる。俺が母さんから聞いた時に「今は教頭をやっている」というのを「当時は教頭をやっていた」といつの間にか間違えて覚えていたのだろうか?確認しようにも母さんはもういないからできないな…。
当時の学園長への恨みについては、もう手を下すまでもなく病気で苦しんでいるからいいと言っていた。当時の教頭については?エジン・ベルウッドへの恨みは言っていたが…他の人は恨んで無かったと思う。ということは当時の教頭は関係ないのか?多分、関係無いのだろう。
「ん?」
あれ?エジンが今57でパーリラは今18だよな。ということは39歳の時の子?遺伝子的に母と言っているから養子という訳ではないようだ。結構高齢で珍しいがありえなくはないか…。
「何?じろじろ見て」
「あ、ごめん」
リベンはパーリラから目を離して街の方を見た。
「もしかしてお母さんに憧れて競技性選手を目指そうと?」
「それは無いわ。仲悪いし」
「そうなのか?」
「そうよ。ほとんど口利かないんだからね」
「仕事忙しそうだもんな」
「学園長だけじゃなくてケンラン協会の何かの委員もやっているから」
「でもそれならどうしてこの学園に?」
「色々事情があるのよ。でも競技性選手を目指しているのは本当。だけどそれは学園長を喜ばせるためじゃない、むしろ逆よ」
「逆?嫌がるってことか?」
「あの人は私に演技性選手の方に行って欲しいのよ。あなたの父親は芸術系の天才でその血を引いているのよとか何とか。競技性選手の道には行って欲しくないみたい」
「自分は競技性選手だったのに?」
「ふっ、だからこそじゃない?」
パーリラは意地悪そうに笑った。
「マジで仲悪いの?」
「そう言ってるじゃない。ただ遺伝的に親子関係にあるだけ」
「そうか…」
情報源として近づこうと思ったのにこれでは…。いや、それでも赤の他人よりは情報を持っていることだろう。しかし嫌っているから話題に出しづらいのは難点だな。
「だから寮暮らしか。親が学園勤務ってことは家近いんだろ?」
「それもあるけど寮の方が私にとってもあの人にとっても良かったから。近いし、食事も風呂も用意されているし、娘のことを忘れて仕事に打ち込めるのだから」
パーリラは皮肉めいた物言いで呟き、溜息をついた。嫌いな人の話と昼間のトレーニングの疲れで口が悪くなったようだった。
「意地悪だったわね。この話はもうやめましょ」
「…ああ」
パーリラは体を起こしてリベンの目を見て伝え、リベンはそれ以上はやめておこうと思い、同意した。するとパーリラはまた街の方を向いて眺めた。
「私たちが帰った後、何か面白いことあった?」
「面白そうだったものなら。トレアルというランキング9位が決闘を終えたところを見た。もう少し早ければ戦っているところを見れたんだがな」
「そう。それは残念ね」
「彼を知ってるか?」
「私と同じく内部進学組よ。先輩たちが抜けて繰り上がって9位になったわ。今も昔も私の順位より上」
「戦ったことは?」
「2度あるわ。でも勝てなかった」
パーリラは声が若干上ずって震えた。
「…そうか。いつか彼と戦ってみたいな」
「…前に私が上位陣とは力の隔たりを感じて諦めていると言ったこと覚えている?」
「ああ」
「彼もそう感じさせた一人。敗北感を深く刻まれたわ」
「ふうん…そんなにか…」
リベンは復讐を忘れて、強い相手と戦ってみたくて声が昂揚していた。しかしすぐに冷静さを取り戻し、目を閉じて小さく首を振った。
「言っとくけど私が諦めムードだった原因はそれだけじゃないんだからね」
「というと?」
「昔、ケンラン協会会長の発言を聞いて甘えちゃったところがある」
「どんな?」
「彼曰く…」
競技性選手は頂点を目指し、その本気の勝負が競技性ケンランを魅力的なものにしています。しかし選手が本気であればそれだけで良いかと言うと、そうではありません。名試合とは実力が拮抗した者同士の間で生まれるものです。逆に実力差が開いていると一方的で面白味に欠ける試合となります。ずばぬけて圧倒的な場合はそれはそれで面白いものですがそんな状況は数年に一度あるかないかでしょう。
つまり運営サイドとしては基本的に、観客が面白いと思える試合を提供するためには実力が拮抗した者が複数いる方が良いのです。
しかしそれは競技性選手が頂点を目指すという目標とは必ずしも一致しません。例えば選手は1位を目指しますが、別に1位の実力が無くとも3位から6位の実力は拮抗していて面白いから運営としては強くならなくて良いという事態が起きます。頂点付近が拮抗しているのが嬉しいですが、そうとも限りません。
しかも強弱関係は成長や衰えで変動して流動的です。面白い試合を組むのは簡単なことではありません。それでも我々は選手と観客のどちらも満足し最高の体験を得られるよう、我々の持つノウハウやテクノロジーを全て活かして取り組んでまいります。
「…とまあ、こんな感じ。これを聞いて観客を楽しませられるのであれば頂点を目指さなくてもいいかな?なんて思っちゃったりして…。そんな腑抜けた考えじゃ駄目ね。1位目指してて尚2位以降がいるのだから、初めから頂点目指さないとついていけないわ」
「そうなのだろうな。前も同じようなこと言ってた」
「いいでしょ、大切なことは何度言っても」
「まあね」
しかしどうなのだろう。会長の言葉の通りなら、ライバルがいれば別に頂点じゃなくてもいい気もする。でもパーリラの言う通りかもしれない。分からないな。
「長話したら喉乾いちゃった。私もう戻るわ」
「うん。俺もぼちぼち帰るか」
2人は館内に戻り、廊下で男子寮方面と女子寮方面に分かれた。
「じゃ、おやすみ」
「…おやすみ」
リベンが挨拶をするとパーリラは若干名残惜しそうに挨拶を返して女子寮へと戻っていった。
彼女は談話室でお茶を飲みながらもう少し話したかったが、さっきの言い方ではもう帰りたいと誤解されたと気づいた。もう今日は会わない挨拶をされて返してしまった以上、これ以上は迷惑かと思い、引きさがって帰ることにした。そして自分の口下手にむしゃくしゃするのだった。




