4話 E2
前日の夜、リベンの従妹クレア・クースは明かりを消した自室で布団を被ってベッドに座っていた。2つ折りの携帯電話をベッドに置き、それを核としてARで宙に黒地に青白い文字で書かれた複数のウィンドウを出し、リベンとのメールのやり取りを無表情で眺めていた。
クレアから見てリベンは従兄にあたり、長らくこの家で一緒に暮らして「お兄ちゃん」と呼んで慕っていた。しかしリベンはユリブラン学園に行き、心にぽっかりと穴が空いたような喪失感を感じて精神が不安定になっていた。
メールはクレアの方から出してばかりで、返事は塩対応だった。そのことを弟のガラン・クースに話すと「兄ちゃんは元からそんな感じだろう。姉ちゃんは考えすぎ」と言われた。両親に言っても「向こうで充実してて暇が無いんだろう」と言われた。
皆お兄ちゃんのことを分かってない。お兄ちゃんのことを世界で一番分かっているのは私。
お兄ちゃんは伯母さんが自殺してから時々表情に影が出来る。不幸で儚げなオーラが見え隠れするから、その寂しさに付け込もうとする輩もいるに違いない。
ユリブラン学園はケンランの選手や経営者を育てるための学園。そこにいる一流のアスリートや役者、経営者の卵たちはテストステロンの多い、つまりは性欲の強い人たちだ。そんな不純な奴らに私の大切なお兄ちゃんは渡さない。
お兄ちゃんが学園に行ったのは伯母さんが学園でやり残した夢を実現するため。お兄ちゃんの邪魔はさせない。邪魔する奴は私が許さない。
時差2時間の距離がある外国だから簡単には会いに行けないけど、いつか会いに行くからね。その時は事前には伝えず驚かせちゃおっと。
一方でセレネベセア、ユリブラン学園。
リベンはまずは目の前の倉庫に案内された。コンクリート造りの無骨で頑丈な倉庫で、コンクリートの床に砂が少し乗っていて、スコップや鍬、桶やブラシなど、様々な道具が保管されていた。
「ここは私たちの部の他、園芸部や掃除部の備品がある共同の倉庫。借りたものは返すこと。これ何か分かる?」
メランドは円柱の上にお盆がついたコンクリートの置物に触れて尋ねた。お盆の部分にはひび割れを塞いだ跡がついていた。
「バードバスか?」
「正解。見たことあった?」
「さっき名前が出てきたし、親戚の家に似たようなのがあった。そこは石で出来てた」
道場の前の庭にあり、練習後に休んでいると小鳥がやって来て水浴びしているのを見かけた。
「正解のリベンにはこれを運ぶ大役を任せましょう」
「どういう理屈だ。それに、これ補修したばかりでまだ乾いてないようだし倉庫の中に置いといた方がいいんじゃないか?」
「明日も晴れだし外に出して大丈夫だよ」
メランドはARで天気予報と雲の配置のウィンドウを出し、画面共有でリベンにも見せた。ここには人工衛星から取得した天気に関するデータと人工島にあるスパコンで計算した精度の高い天気予報がある。
「そうなのか?」
「うん」
メランドはまだかなと黙って待った。
「…分かった、持つよ」
リベンはバードバスを掴んで持ち上げた。軽くはないが、特別重くもない素手で運べる程度のものだった。
「おおー、流石男の子。力持ちー、かっこいいー!」
褒められると嬉しい。都合よく使われているのに褒められて嬉しいとは我ながら単純だな…。
「それでどこへ?」
「先導するね。ついて来て」
メランドは部員たちに「バス戻してきます」と言って歩き、リベンは後ろについて運んだ。部員たちは片手を上げたり、「行ってらー」「気を付けてね」など妹を可愛がるように優しい声で返事をしていた。
「あの人たちは何をしているんだ?」
「ああ、掃除部の人たちは色々掃除。私たちの部の部員はバードバスや餌台の掃除してた。それはお盆と一体だから掃除する時は道具を持って行くけど、お盆と別々になってるタイプはああやって洗い場で洗うんだよ。毎週金曜日にそうする」
「成程。…掃除部って何?ロボットや業者が掃除していなかった?」
「ロボットや清掃業者は壁や窓は掃除しないから、そこは掃除部の人たちがやってる。道路を磨いたりもね」
「バイト代が出るのか?」
「ううん、掃除部は綺麗にするのが好きな人たちが好きでやってる。綺麗にするの気持ちいいじゃない?あれが高じた人たちの部」
「ふーん、成程」
まあ料理部とか放送部とか、給料出なくても好きでやる部は他にもあるから普通のことか。
「どうしてうちの部に来たの?」
「長いこと道場やってる親戚の家に住んでたんだけど、さっき言ったようにそこにバードバスがあって、小鳥がよくやって来てたんだ。休憩中や練習後に聴く鳥の囀りが心地よくて、ここでもその体験ができたらなと」
「分かる。いいよね囀り。私も大好き。学園の裏山は緑が豊かだから色んな鳥が来るよ」
学園の裏には緑の生い茂る山があり、一部がトレーニングコースとなっている。坂道での運動は負荷が大きく効果的だ。リベンの部屋からは都心の摩天楼が見えるが、廊下を挟んで反対側の部屋からは山が見える。今は落葉して枝と幹だけの灰色がかった薄茶色の景色が多いが、もう少しすれば新緑に染まる。
「あと、野球部とか合唱部とか大会に向けて大変そうな感じがして」
「あー…、でもこの学園の部活はリフレッシュのためのもので緩いよ。競技スポーツじゃなくて生涯スポーツ的な?大会とは無縁だから。野球部って言いながらほとんどキャッチボールして遊んでるし、合唱部は毎回色んな歌を歌って遊んでる」
「本当に緩いんだ…そんなこと言って実は大変なんだろ?と疑っていた」
「来週の運動科目が始まったら分かると思うけど、そんな余裕ないよ。あ、ここだよ」
立ち止まると、そこは芝生広場の端、幹がゴツゴツとして濃緑色の葉を持つ常緑の木々が植えられている手前だった。地面の芝生には草の生えていない円形の跡があり、そこに石のブロックが並んで置いてあった。
「ここ。ちょっと待ってて」
リベンは近くにバードバスを下ろし、メランドはしゃがんで石ブロックを横に運んでのけた。
「いいよ、ここに置いて」
リベンはバードバスを再び持ち上げて、円の位置に合うように置き、メランドは足元にブロックを置いて重しにした。
「よし、完了」
メランドは立ち上がって手を叩いて砂を落とした。
「お疲れ。そこのベンチに座ろ」
指さした先のベンチに2人は並んで座った。
「水が入っている時は小鳥が水浴びするとこをここから見れるんだよ」
「確かに真正面だからよく見えそう」
「さっきの話の続きだけどリベンは体力ありそうだし、運動科目の授業始まっても悠々とついていけるかも。実技系は大丈夫そう」
メランドはリベンの腕をそっと掴んで握ったりつついたりして筋肉を確かめた。
「経営系の授業が難しそうだな。ちょっと教科書めくって読んだら、呪文が書いてあってつい写真撮ったんだ」
リベンは腕を引いて戻してARでウィンドウを出し、写真フォルダを開いて読み上げた。
「イールドカーブがフラットニングしてロールダウン効果が低下し、キャピタルゲインが減少。逆イールドではマイナス…何語だこれは?」
「債券の話ね。理論的には単純でも現実の動向はよく分かんないよね」
「え?今ので分かるの?」
こいつもしかして頭いい?それとも俺が無知なだけ?
「金利の話なんて初歩でしょ。債券運用の部分は私にはあまり関係ないけど。借入したり社債発行したりする側だし。まあそれでも相手のことを知るのも大事だからね」
「どういうことだ?何者なんだ?」
借入は主に銀行からお金を借りること。社債は会社の債券のことだよな。
「私の家はホテルやレストランを持っていて経営もしてる。ケンラン協会の収入の一つに不動産があるのは知ってる?うちのホテルやレストランの一部は協会から土地やテナントを借りてやってるんだよ。家賃を払ってね。そして私の卒業後は将来社長になるために仕事だよ」
「えっ、つまりメランドは社長令嬢?」
「そうだよ、100人もいない規模の会社だけどね。なのに結婚には家の格がどうとか面倒だね。付き合うだけなら厳しくないけど」
「マジで…?」
「マジだよ」
そんな上に立つ人みたいな落ち着きは無いように見える。プライドは高くなさそうで甘えん坊で人任せだし。いや、人に仕事を任せられる性格という意味では、社長適正があるのか?それに落ち着きが無いといっても、上の地位の人はエネルギッシュなものらしいし、オフの時はこんな感じかもしれない。
「…最初は嘘だろと思ったけど言われてみれば納得」
「分かってるねえ。そんなわけで2年は経営コースに進む予定。一応聞くけどリベンは選手コースと経営コースどっち?」
「選手コース」
「やっぱそうだよね。ちなみに競技性か演技性どっち目指す?両方?」
「競技性の方かな。もしかしたら変わるかもしれないけど」
メランドは目の色を変えて何か言いそうになったがやめた。
「そろそろ行こうか。もっと喋っていたいけど、部室も紹介しなきゃね」
「ああ。頼む」
メランドはぴょんと立ち上がって片足でターンし、リベンが立ち上がったのを見てまたターンして向きを変えて歩きだした。




