13話 C2
休日の朝9時頃、ユリブラン学園の寮前でアペソンが庭木になっている白い可憐な花の写真を撮っていた。2つ折りの薄くて四角いメタリックカラーの携帯電話のカメラ機能を使い、ボタンを押してパシャリと撮っていた。これを実家で暮らす祖父母と暮らしている母に送る。実家から学園までは自動車で1時間くらいとそこまで遠くはないが、何事も無ければわざわざ会いに行かない距離だった。
寮の出入口は少数ながら人が出入りし、4年生も出入りしていた。4年生になると基本的に授業はなく、部長や委員もやらず、ランキングからも外れる。内定先の団体に研修で長期間学園に戻ってこないこともあり、それどころではないためだ。
アペソンは、3年生の自分はこの1年が学園でしっかり過ごせる最後の年だと考え、切なさを感じ、緊張と焦りから飲み込む唾液が苦く感じられた。
そこに寮から出て来た女子生徒が近づいてきて声をかけた。
「おはよう、お姉ちゃん」
「パーリラ。おはよう」
アペソンはパーリラの方を向いて姿を見た。緩い恰好ではなく、しっかりとした外行きの恰好をしているのが目に入った。話しかけられたことで心の内から現実に引き戻されて緊張や焦りは後退した。
「今からお出かけ?」
「うん。友達と買い物に行ってくるわ。服買うの久しぶりだから楽しみ、いいの見つかるかしら」
パーリラが話して待っていると、友達たちがやって来て彼女に声をかけた。
「それじゃ行ってくる」
「気を付けてね」
アペソンはパーリラたちを見送り、寮の中に戻ろうとしたところ、男子生徒に声をかけられた。
「おはようございます。アペソン先輩」
「おはよう。あなたはこの間の…リベン君」
「はい。あの、アペソン先輩はパーリラの姉なんですか?ああいえ、盗み聞きするつもりはなかったのですが、聞こえて来て」
事前の調べではエジンには娘が2人おり、パーリラには1歳上の姉がいたことは分かっている。しかし、その姉は生まれつき障害があり、長くは生きられず1年ともたずに亡くなっているはず。アペソン先輩は3年生で2歳年上だ。パーリラにはいとこもいない。お姉ちゃんと呼ぶのは変だ。
しかし、説明はできないわけじゃない。エジンは結婚していないが子供がいる。どこからか精子を調達したわけだが、それによってアペソンとパーリラが腹違いの姉妹という可能性もある。
「血の繋がりがあるわけじゃないよ。小さい頃に一緒だったから、お姉ちゃんと呼ばれるの」
「そういうことでしたか」
なんだ、近所のお姉さんってことか。深読みしすぎたか。
「リベン君、これから時間ある?」
「特に急ぎの予定はありませんが」
「じゃあお茶でも飲みながらお喋りしましょ。この間の決闘のこと聞いたわ。パーリラのこと気になるでしょ?話してあげる」
「えっと…」
何だか恥ずかしいが、その情報は復讐計画に役立ちそうだ。この先上手くやるためのヒントがあるかもしれない。よく聞いておこう。
「お願いします」
「うん」
アペソンは優しく微笑み、2人は寮に戻って談話室に行き、壁の側にある給茶機の前に来た。横の籠には乾いたプラスチック製のお椀が逆さにそれぞれ5,6個重ねて6つの群に分かれて積んである。アペソンは2つ取って1つをリベンに渡し、リベンはお先にどうぞと給茶機を手で示した。2人はボタンを押して順番にお茶をお椀に入れ、空いている席に向かい合って座った。
「話の前にちょっとごめんね。お母さんに写真送るから」
「どうぞ」
アペソンは携帯を左手で取り出して折りたたみの隙間に親指を挟んで押し込んで開き、ARウィンドウを宙に出して片手でキーを操作した。リベンからはウィンドウの裏側だけが見え、何が映っているか見えていない。
リベンがお茶を一口飲んで待っていると、アペソンは操作を終えて手をくいっと手前に動かしながら人差し指で携帯の背を押してパチンと閉め、スカートのポケットにしまった。
「待たせてごめんね」
「いえ、全然大丈夫です」
リベンはお椀を置き、両手で椅子の肘を掴んで腰を浮かせて深く座り直した。
「あの子の好きな食べ物知ってる?」
「聞いたことはないですが、食堂で見かけるとスズキの料理が好きなのかよく選んでいる印象があります」
「そうね。ベルウッド親子は2人ともスズキが好き。好きなおやつは?」
「分かりません。チョコレートとか?」
セレネベセアの緯度ではチョコレートの原料のカカオは生産できないが、この国では港から入って来るメジャーな菓子である。
「どちらかと言うと好きだけど、積極的に欲するほどじゃないね。あの子の好物はバームクーヘン」
「そうなんですか。競技性選手志望ですから、あまり脂肪分が多いものは好まないのかと。絶対食べては駄目というほどシビアではないですが…」
「だから偶にね。普段は食べないの」
「ああ、それで食べてるの見たこと無かったわけですね」
「その口ぶりだと、リベン君は脂肪分多い食べ物は好みじゃない?」
「そうですね。育った家が道場だったから脂っこいのは食べ慣れてないもので、少量ならいいですが多いと体が受け付けないんですよ。18なのにおじさんみたいなこと言ってますね、はは…」
「それはある意味幸せね。私なんて生クリームをたっぷり使ったケーキが大好きで、見たら食べたくなって誘惑されるもの。リベン君はケーキを見てもそんなことないでしょ?」
「まあ、そうですね。特に何も」
こんなに美味しいのに美味しさが分からないなんて可哀想と言われたことあったな。俺は可哀想だったのかと知れたと昔は思ったものだが、今思えば別に可哀想でも無いな。当時は真に受けてしまったが、あれはオーバーな表現で一般的な軽口だったんだな。
「演技性選手も食事に気を遣うとはいえ、競技性選手ほどじゃないのよね。私は演技性選手志望だからそこまで厳しくないのが幸運ね」
「競技性選手だってそんなに厳しくないですよ。生クリームのケーキだって、あまり勧められませんが一切駄目ということもないですから、特別な時には食べてもいいでしょう」
「うーん、それでも私には厳しそう。とにかく、あの子の好きなお菓子はバームクーヘン。でも競技性選手志望だから気軽には食べられない」
「好物ですがプレゼントしたら嫌がられそうですね。彼女が自分の好きなタイミングで自分で買って食べるのがいいでしょう」
「あなたもそう思う?」
「…?ええ、そう思いますが…?」
アペソンはお椀を持って傾けてお茶を飲み、その姿勢のまま止まって何か考えているようだった。
どうしたんだ?俺は何か変なこと言ったか?消極的な奴だと失望されたのか?でも「あなたも」と、言っていたし…気のせいかもしれないが、あの時の声は自嘲気味だったような気もする。じゃあやっぱり失望された?
アペソンはお椀を置き、リベンの顔を見て再び話し始めた。
「リベン君、パーリラの話を聞きたいだろうけど、ちょっと私の話を聞いてもらってもいい?」
「…?ええ、いいですよ。あいつの話は後でも聞けますからね」
何の話か分からないが心証を良くした方がパーリラの話を詳しく聞けるだろう。それにベルウッド親子と言っていたことからエジンのことも聞けるかもしれない。
「先輩の話とは何でしょうか?」
「さっき言った通り、私は演技性選手志望。演技性選手コースの3年生」
「はい」
「でもその夢に向かって上手く行っているとは言い難いの。劇を実際にやる授業があって、何グループかに分かれるんだけど、去年8回あって1回しか主役が取れてない。取れた劇の演技も他のグループの主役と比べると明らかに劣っていたと自分でも分かった」
「俺は素人だからよく分からないのですが、やっぱり主役取るのは難しいんですか?」
「10人くらいの中から1人か2人だけの競争だからね。私より優れている人がいっぱいいるから全然主役取れなかった。そしてきっと今年も…」
「そうなんですね」
競争で決めるんだ。役のイメージに合う人を選ぶのかと…いや、役のイメージに合うように演じて競うのか。その劇を実際にやる授業では上手い順に重要な役を貰えるのだろう。
リベンは何か励ます言葉をかけた方がいいと思ったが、すぐには思いつかず、とりあえずお茶を飲んで、今は飲んでいる途中で喋れないという理由を作った。
するとアペソンが喋り出した。
「私がこの話したくなったのは、あなたがさっきプレゼントしたら嫌がられそうだと言ったから。それでもしかしたらと思った」
「どういうことです?」




