12話 E4
金曜日の放課後、リベンが部活棟に向かっていると、校舎前で女子生徒たちが言い争っているのが聞こえて来た。
「ちょっと、この壁は私の担当よ。あなたは窓」
「いいじゃんちょっとくらい。私も壁がいい」
「来週もチャンスあるからいいじゃない」
「ケチ。少しくらい譲ってよ」
「ここは私の!」
掃除部の生徒たちが校舎の壁の前で掃除場所を取り合っていた。
そんな取り合うほどのものなのか?確かに汚れを落としたり磨いたりするのは面白い。道場にいた頃に掃き掃除や拭き掃除は面倒に感じていたけど、磨くのは好きだった。動物としての本能なのか光沢は魅力的だ。個人的には窓ガラス磨く方が楽しいと思うけど、彼女らは俺と違う基準で選ぶだろうから、壁の方が人気なのだろう。
リベンは故郷を懐かしみつつ、横を通り抜けて部活棟へ歩いて行った。
そして野鳥観察部の部室の前に来て扉をノックした。しかし、帰って来るのは静寂だけ。「入ります」と言ってドアノブを回したが鍵がかかっていて開かなかった。
こっちには誰もいないのかと洗い場の方に行こうと向きを変えると、メランドが階段を上って来るのが見えた。
「やあ、メランド。久しぶり」
「リベン、お久ー。ランキング戦あるんじゃないの?9位になったんでしょ?あ、部室入る?」
「入る」
メランドはリール付きの鍵をポケットから取り出して部室の鍵を開けて中に入り、リベンも部室に入った。相変わらず穀類のような匂いがする部屋で、ここに来たという実感が湧く。
「昼に1戦、放課後に2戦してきて、今日はもう受付終了した」
「もう終わったんだ。そうそう、言うの遅れたね。9位おめでとう」
「ありがとう」
「ねえねえ、その力で私が困ってる時も助けてよ。お願い」
メランドは両腕で胸を挟みつつ指を組んで、リベンに近づいて上目遣いでおねだりした。リベンはメランドの頭から発する甘い香りとポカポカとした熱気に当てられ、本能を刺激され、冷静さを欠いた。鼻は目と違い閉じられないため、その誘惑から逃れるのが難しい。
「ま、まあ…同じ部の仲間だし…困ったら助けるよ」
「ホント?ありがとう!」
メランドはトンと頭を当ててリベンの胸にもたれかかった。
「期待してるよ」
メランドはそう言うと、ぴょんと体を起こして棚の前に移動した。
メランドはパーリラと違い、助けられることに抵抗がないようだ。当然だけど人によって全然違うな。育った環境の違いか、生まれ持った性格の違いか、それとも両方の影響なんだろうか。
「そうだ。部室の鍵だけど、用意しているからもう少し待ってね」
「ああ。ところで何しているんだ?」
「餌台に置く雑穀を取りに来たの」
メランドはマグカップほどの大きさの瓶にプラスチックのスコップで雑穀を掬い上げて移し、2つの瓶にどちらも8割ほど入れて作業を終えた。
「まだ部室にいる?一緒に外行く?」
「どこに行くんだ?」
「まず洗い場、頼まれた分を渡しにね」
瓶を1つ上に持ち上げて見せた。
「その後は餌台のところに行く」
「そうか。じゃあついて行こうかな。掃除もやらないと」
「分かった。一緒に行こ。まあもう大体終わってるかもだけどね」
「片方持つよ」
「ありがとう。じゃあこっちお願い」
リベンは鞄を部室に置き、瓶を一つ手渡しで受け取った。そして部屋を出てメランドが鍵をかけて並んで廊下を歩き、階段を降り、外を歩いた。
「掃除終わってるかもしれないのか…決闘してて間に合わなかった」
「ランキング入りしてたら仕方ないよ」
「でも何もしないのも悪いし」
「活発なのは学期始めの時期だけ。来月にはそう遅くならないよ」
「ならいいけど…」
「遅くなるなら鍵無いと不便だね。でも私も実家通いで鍵無いと不便だし…。…いいや、私の譲るよ」
「いいのか?」
「その代わり、私が帰る時には一緒に来て開けてもらうね」
メランドは瓶を持つ手を後ろに組み、体を前に乗り出してリベンの顔を伺った。
「そんな帰るの早いということも無いんだろ?」
メランドは体を起こして好感触な返答に上機嫌に微笑み、前を見て歩いた。
「用事がある時だけ早いけど、それ以外はそんなことないと思うよ」
「分かった。じゃあ鍵をお借りするよ」
「うん。今は手に荷物持ってるからまた後でね」
「ああ」
2人は洗い場に着き、そこで一旦別れた。メランドは先輩の女子生徒に瓶を渡して感謝されて素直に喜び、先輩は妹を可愛がるように微笑みかけていた。
リベンは部員たちに聞いて回ったが、既にバードバスや餌台の掃除は終わり、特にやることが無かった。決闘があるから仕方ないと理解されていたが、リベンは罪悪感を感じていた。そこにメランドが戻って来た。
「餌を置きに行くから来て」
「え?ああ、まだそれは見たこと無かったな」
メランドはリベンを連れて行き、広場の端の林の前に来た。僅かに湿度のある風が頬を撫で、姿は見えないが心地よい高音の鳥の囀りが聞こえていた。
手前の木の枝に屋根のついたお盆が吊られていた。お盆はついさっき掃除されて綺麗になっており、メランドはそこに瓶の中身を入れた。
「これでよし。そこに座って待ってよう。鍵もそこで渡すね」
メランドは近くのベンチを指さして歩き、空の瓶を置いてポケットから鍵を取り出して座り、ベルトについているフックのバネを指で押して開いて開けて取り外した。そして横にリベンを座らせてリール付きの鍵を手渡した。
「このリールのキーホルダーは私のだけどおまけで貸してあげる。高かったんだから無くさないようにね」
「ああ、ありがとう」
そのリールキーホルダーはしっかりとした作りで、試しに引いても歪みのない動きで高品質なことを感じさせた。
「私はこう見えてうっかりしていて…」
「こう見えて?」
「むっ…。これで落とさなくなるなら割安だと思って買った訳。割安なだけで値段自体は高いんだからね。あと、変なところにひっかけて巻き込まないように気を付けて」
社長令嬢かつ金融も盛んなセレネベセア人のメランドにとって一般的な買い物の基準は、高いか安いかではなく割高か割安かである。
「分かった」
「あっ、来た来た!」
メランドはリベンの肩をポンポンと叩いて餌台を指さした。そこには小鳥たちがやってきて周囲を警戒してキョロキョロ見ては啄み、ピョコピョコと動いてまた周囲を見回しては啄みを繰り返して飛び去って行った。
そんな様子で小鳥が何羽かやって来ては去っていった。
「かわいい」
「だな」
「……」
2人は口数が少なくなり、小鳥たちが餌を啄んだり、跳ねたり、翼を広げて飛び立たったりする様子をじっと眺めていた。
鳥の囀りと木の葉の掠れる音が聞こえ、うっすらと草木の青臭い香りが鬱蒼とした林の湿度のある風に乗ってやってきた。
いつの間にか空が夕焼けに染まり、長い影が地面に伸びていた。
「ふわ…眠たくなってきた」
メランドはとろんとした目をして口元に手を当てて欠伸をし、両手を上で組んで伸びをした。
「そろそろ帰ろうかな。リベンはどうする?」
「俺はもう少しこうしていようかな」
「じゃあ私も」
「いいのか?」
「今日は急ぎの用事無いし。もう帰るのは勿体ないとも思ってたんだよね」
「そうか…」
リベンは背もたれにもたれかかって息を吐いた。
「あ、そうか。俺が部室の鍵持ってるから俺が帰ると言わないと鞄取りに行けず帰れないのか。誰かいて開いてるかもしれないけど不確実だ」
「そうだよ。瓶も返さなきゃだしね。でも遠慮しないで。こうして過ごすの好きだから」
メランドは体を起こそうとしたリベンの前に開いた手を出して制した。
「リベンと過ごすの好きだよ。一緒に黙って眺めて贅沢に時間を使えるから。喋らないと間が持たない、退屈させちゃう、嫌われちゃうと焦らずに済むもの。私が一方的にそう思っているだけかもしれないけど…」
「…そこまで考えたことなかった。でも言われてみればその通りだ。何か話さなくちゃと焦る気分にはならない。なんだか落ち着く」
「私も…」
それから暫くぼんやりと過ごしていると、まだ日は完全に落ちて無いが街灯が点き始めた。
「ぼちぼち帰ろうかな」
「ん、じゃあ開錠よろしく」
2人は立ち上がって体を捻ってほぐし、歩いて部室に戻った。部屋に入って瓶を棚に戻し、鞄を持って部屋を出て鍵を閉めた。
そして学園内を途中まで歩き、Y字路で別れた。
「じゃあね、また来週」
「またな。部活じゃなくてもどこかで会うかも」
「来週も開けてもらうね。開けてもらう時に呼び出すの面倒だし、のんびりしている時に呼び出されるのも気分良くないでしょ?また一緒に行動しよ」
メランドはそれだけ言って返答を聞かず小走りで校門の方へ去っていった。
親からの大きな期待を背負っている者同士、広い空を羽ばたく鳥が好きな者同士、通ずるものがあるのかもしれない。友情か恋愛感情か、はたまた別のものか、彼ら自身も分からずにいた。




