金魚の眼(まなこ)【夏のホラー2025】
【金魚の眼】ーーーーーーーーーーーーー
提灯の明かりが、湿った夜風にゆらめいていた。
盆踊りの櫓の音頭が遠くで響く中、朱色の布をかけた屋台の前で、透子はしゃがみ込んでいた。金魚すくいだ。
水槽には、夜の闇を閉じ込めたような黒い金魚と、血のように赤い金魚がゆらゆらと泳いでいる。だが、透子の目を釘付けにしたのは、その中に一匹だけ混じる異様な金魚だった。
――目が、人間のそれだ。
真っ白な眼球の中で、赤黒い瞳がぎょろりと動き、こちらを見つめ返している。
透子は背筋が凍りついたが、屋台の主人が、口元だけで笑いながら声をかけた。
「……持って帰るかい? あの子は、よく人についてくるよ」
冗談だと思い、笑い飛ばそうとした瞬間、ポイが手渡された。指が紙の枠を握ったとき、何か冷たいものが腕を這った。振り返ると、誰もいない。
透子は半ば夢遊病者のように、その金魚をすくい上げた。奇妙なことに、紙は破れない。
袋に入れられた瞬間、水面下の金魚の口がぱくぱくと動き、言葉が漏れた。
――ただいま。
透子の心臓が跳ねた。
「今……何て……?」
屋台の主人は答えず、背後の闇に溶け込むように姿を消した。気づけば縁日の音も、提灯の灯も遠ざかっている。
透子は見知らぬ路地に立っていた。家路の方向がわからない。袋の中の水は濁り、ぬるりとした匂いを放っていた。
金魚の眼が、袋の内側から彼女を凝視している。
――おかえり、透子。ずっと、待ってた。
それは幼い頃、溺れた弟の声だった。
夏休みのある日、川でふざけていて、彼を助けられなかったあの日。川面に沈む直前、弟の眼は金魚のようにぎょろりと開き、泡と共に消えていった――。
袋を落とした瞬間、水は破裂し、足元を濡らす。赤黒い液体が土の隙間に吸い込まれ、金魚は跳ねながら透子の足首に絡みついた。
冷たい鱗が肌に張りつき、骨まで締め付ける。視界が急速に暗くなり、縁日の音が再び聞こえた。
だがそこは屋台でも櫓でもなく、水の底だった。無数の金魚が漂い、その全てが人間の眼を持っている。
弟が、笑っていた。
「もう離さないよ、お姉ちゃん」
透子は声を上げたが、口から漏れたのは泡だけだった。
遠くで、あの屋台の主人の声が聞こえた。
「金魚すくいは、命をすくうんじゃない。命を連れてくるんだ」
赤い光が、暗い水底に灯った。提灯のように、ゆらゆらと。
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