【4】 命名の刻、幻想と論理の果てに
時貞は、壇上のコップの水をひと口飲み、静かに会場を見渡した。
「ただし、今ここでお話したことは、あくまでもわたしの想像上のおとぎ話で、現実は全く違うのかもしれません……」
そのとき――
「ちょっと聞いてもいいかね」
静かに挙手したのは、チャンネル9の一条常務だった。
時貞はテーブルの後方に目を向け、軽く頷く。
「古文書にある“信長が見つけた《鬼》”と、
“信玄を襲った《首無し武者》”――
それが同一だという根拠は何かね? 二つを結びつける何かがあるのか」
その問いに、時貞はふっと微笑むと、壇上のスライド装置の前に歩み出た。
「二つを結び付けるものは――」
ポケットからネガを2枚取り出し、映写機にセットする。
「それは、……私たちです」
「君たちが、か?」
「ええ。理由はこちらをご覧ください」
スクリーンに映されたのは、どこかの城のような写真だった。
「これは、織田信長の重臣・柴田勝家の居城、越前・北ノ庄城です。
“鬼柴田”の異名で知られた人物。信長の側近として、数々の戦に共にありました」
時貞がスライドを切り替えると、碧や龍信たちからの驚きの声が上がった。
「……これって……」
スクリーンには、城の写真の一部が拡大表示されていた。
そこに映っていたのは――北ノ庄城の鬼瓦。
だが、その顔に、彼らは見覚えがあった。
多少デフォルメされ、丸みを帯びてはいたものの――
そこに彫られていたのは、紛れもなく、あの“金色の瞳を持つ怪物”の顔だった。
命を懸けて戦った、あの“鬼”の姿――
それが、五百年もの時を超えて、今なおここに、“屋根飾り”として残されていたのだ。
「柴田勝家が、信長と共に“鬼”を目にしていたとしても、不思議ではありません。
その強さ、恐ろしさ――おそらく、彼も肌で感じていたはずです。
だからこそ、その姿を、居城の鬼瓦として刻み残したのでしょう」
スクリーンに映し出された瓦の顔を見つめながら、会場の人々は息を呑んだ。
空気が、静かに、だが確実に揺れ動いている。
「つまり――
信長が比叡山で出会い、勝家の城に瓦として残された“鬼”。
そして、我々が遭遇した、信玄の首を奪った“首無し武者”。
この二つは……同一の存在だった可能性があるのです」
時貞の言葉に、場内が再びざわめこうとしたその時、
一条常務が小さく頷き、低い声で問いを重ねた。
「なるほど。……だとすれば――その“鬼”とは、いったい何者なのか。
一体、どこから現れたのか?」
その問いに、時貞は一瞬目を伏せ、そして顔を上げて、ふっと微笑んだ。
「……それは、私にも分かりません。
残念ながら、そのことは、古文書のどこにも記されてはいませんでした」
「ただ、岩城部長がお話しされた説――“宇宙から来た存在”という考えは、ロマンがあって、私も嫌いじゃありません」
「なるほど。……つまり、異星人……というわけか」
一条常務が目を細めながら、思案するようにつぶやいた。
そして間を置かず、核心を突く問いを投げかける。
「では最後に聞こう。
教授が、“あれは信玄の石棺ではない”と断言した、最大の根拠は何かね?」
――チャンネル9としては、“信玄の墓”という扱いで特集を組む構想がある。
それゆえ、この質問は避けて通れなかった。
「……最大の理由、ですか」
時貞は唇にそっと人差し指を添え、少し考えるように天井を見上げた。
「実を言えば、最初は私も、あの石箱を“信玄の石棺”だと思っていたんです。
でも――調べていくうちに、どうしても納得できない点がいくつも出てきました」
「例えば?」
「まず、箱の中から発見された甲冑姿の白骨遺体です。
信玄の亡骸を納めるだけの墓に、なぜ“武装した兵士たち”が一緒に入っていたのか?
それ自体、極めて不自然です」
「……確かに、そうだな」
「さらに、あの中には――刀、槍、そしてあの膨大な数の鏃が詰め込まれていました。
果たして、墓にこれほどの“武器”が必要でしょうか?」
一条常務は腕を組み、無言のままうなずいた。
「ですが――何よりも決定的だったのは、“構造”そのものでした」
「……二重構造のことか」
「はい。内箱と外箱の二重構造。
しかも、極めて強度で、異常なまでの精度で組み上げられている。
ただの“信玄の棺”を偽装するためだけに、あそこまで大がかりな仕掛けを施す必要が……果たして、あったのかと――」
時貞は、ひと呼吸置いてから――静かに言葉を継いだ。
「そして――その内箱の中には、“信玄の首”を飲み込んだ怪物の死骸がありました。
その腹から見つかった首は、どう見ても“新鮮”だった。
石棺の準備が整うまでの時間を考えれば、到底あり得ない状態だったのです」
そのとき――岩城部長が、口を開いた。
「それは、あの場所で怪物が首を飲み込んだと“考えるから”だ。
もし別の場所で信玄を殺し、そこで飲み込んだのなら――腹の中が保存状態を保ったという解釈も成り立つだろ?」
時貞は、どこか困ったように、しかし柔らかく苦笑しながら、首を横に振った。
「……そう考えると、“あの石箱”は、もはや墓ではなくなりますね」
「……どういう意味だ?」岩城が眉をひそめる。
「つまり――もし信玄が“別の場所”で殺され、怪物の腹の中に納まっていたとするなら……
なぜ、わざわざその怪物を、石箱に入れて湖に沈める必要があったのですか?」
静かに、時貞が言い切ったその言葉に、場が少し揺れた。
だが岩城は、なおも譲らず食い下がる。
「それは……信玄の死を隠すためだ。
信玄を飲み込んだ後、武田の兵があの怪物を倒し、
そして――“怪物ごと”信玄の死を、この世から葬り去るために、あの石箱が使われた。
おそらく、武田家の名誉もあったんだ」
岩城が苦しげに言葉をつないだ。
だが、その直後、時貞が静かに、少しだけ意地悪く微笑んだ。
「それは面白い。さぞかし怪物をあの箱に運ぶのは難儀だったでしょうね。
ですが――そうなると中で白骨となっていた“兵士たちの説明が難しそうですね」
時貞が一歩踏み出し、やや声を強めて問いかける。
「まさか……どこかの場所で、怪物と戦って命を落とした兵士たちを運び込んで、
信玄の“石棺”に一緒に納めた……なんて言いませんよね?」
岩城は一瞬言葉に詰まり、それでもなんとか反論を捻り出す。
「それは……その……ペストとか、コレラとか……」
その瞬間、時貞が小さく吹き出した。
「あはは……これはまた、新説ですね。
“伝染病に罹った信玄たちが、怪物に殺された”――というわけですか」
時貞の皮肉まじりの笑いに、場の空気が少しだけ和らいだ。
だが、岩城部長の顔は赤くなり、目を伏せると、ぽつりと一言。
「……もう、いい」
会場には、微かなため息とともに、再び静かな緊張感が戻ってきた。
そんな中――
「大体、話の全体像は分かりました」
杉山課長が口を開く。
「でも、神童教授の見解には、まだ説明されていない点がありますよね。
たとえば――外箱の石蓋に開いていた“円形の穴”や、内箱の蓋が“脆く作られていた理由”とか」
「ええ」
時貞は穏やかに頷いた。
「……少しお待ちいただければ、その答えも、《《自然と明らかになるはず》》です」
そう呟くと、彼は意味ありげに微笑むと――ほんの少し待った。
案の定――
「ちょっと待て、杉山!」
苛立ちを隠せない岩城が、語気を強めた。
「百歩譲って、あれが罠だったとして、怪物を閉じ込め、蓋をして、湖に沈める……それは分かった。
――だが、そのあとはどうするんだ?」
「はぁ?」
杉山課長が、わずかに首を傾げた。
(さあ、そろそろですね)
時貞は心の中でそっと笑う。
「信玄だ、信玄!……罠にかけたあと、湖に沈める前に、信玄自身が――
あの二重構造の“内箱”からどうやって外に……」
そこまで言ったところで、岩城の言葉が突然止まった。
――何かが閃いた。
「き、貴様! 俺に……!」
怒りで顔を真っ赤にし、立ち上がった岩城が、時貞を睨みつける。
思わず拳を握り、机を叩いた。硬い音が、会議室全体に鋭く響いた。
「ありがとうございました」
まるでそれを待っていたかのように、時貞は静かに頭を下げた。
その顔には、涼しげな余裕の笑みが浮かんでいる。
「外蓋の中心にぽっかりと開けられた《《人の出入りができるほどの円形の穴》》。
そして、その穴から木槌で軽く打ち込めば、《《砕けるほど脆く作られた内箱の蓋》》。
……まさか、その理由を、“聡明なる岩城部長”に先に言い当てられてしまうとは。
私としては、少々悔しいところです」
時貞は、そう言って、あらためて会場を見渡した。
その瞬間――
「バンッ!」
岩城部長の拳が、無言の怒りを込めてテーブルを叩いた。
その音はまるで、“試合終了のゴング”のように、重く、はっきりと会議室に響いた。
――岩城部長、これにて二敗目。完敗だった。
テーブルの下で、一織が小さく、だが確かなガッツポーズを作った。
(よっしゃー……!)
しかしその向こう、源次の背後で――
「よっしゃあああああッ!!」
翔太が、思い切り立ち上がり、全力のガッツポーズ。
勢いで椅子が後方に転がり、ひっくり返った。
その様子を見て、碧と一織は思わず顔を見合わせて微笑む。
源次は頭を掻き、龍信は苦笑しながら、小さく頭を振っていた。
会場の最後列。
水篠会長と一条常務が、満足げに頷いていた。
――こうして、あの“石箱”は、正式に名づけられた。
『信玄の陥穽』――
つまり、敵を待ち受けるために用意された、計算された“落とし穴”である。
壇上では、時貞が静かにマイクを外し、水のコップを持ち上げる。
それを口に運ぶ手元には、ようやく訪れた静けさが宿っていた。
会場には、しばし沈黙が流れていた。
物語が終わったというのに、すぐには席を立てないものが多かった。
まるで――
そこに語られた《幻想》が、まだ舞い残っているかのように。
ビデオカメラが、まだフレームの中に時貞の横顔を捉えている。
彼はもう、何も語ってはいなかったが――
その沈黙こそが、まるで“最後の一言”のように、会場を包んでいた。




