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【2】 おとぎ話の扉、時貞ワールド開演

時貞は、壇上に置かれたグラスの水を静かにひと口飲んだ。


「神童教授も、あれは信玄の石棺だとお考えなんですか?」

進行役の杉山課長が、やや前のめりに問いを投げる。


グラスを置いた時貞は、「いいえ」とだけ答え、静かに首を横に振った。


「ちょ、ちょっと待ってください。先ほど教授は、岩城部長の考えとほぼ一致しているとおっしゃっていたはずです」


「それは、戦国時代に“あの怪物”が存在したという背景的な部分についてです。たとえば、耳の下にあった丸い穴の機能などですね。

……ですが、核心となる部分に関しては――《《岩城部長の考えとはまったく異なります》》」


そう言って時貞は、自身の耳下あたりを指差した。


(なんだと……!)

岩城は、力のこもった指先で、灰皿に煙草をねじ込むように押し消した。


自分が頼りにしていた先輩の研究室の結論は、「あれは信玄の石棺以外にありえない」というものだった。

いくつかの可能性を消去して残った答えではなく、「唯一の正解」として示されたものだった。


(あいつは……あの石箱を、一体なんだと考えているんだ!?)


――時貞の真意が、岩城にはまるで読めなかった。


「では、神童教授は、あの石箱を何だとお考えですか?」


杉山課長の問いに、時貞は落ち着いた口調で応じた。


「まあ、その話をする前に……最初から順を追って説明させていただきたいと思います」


そう前置きしてから、時貞はしばし思案し、ふっと目線を会場に向けた。


「この、途方もないおとぎ話を――どこから話し始めるべきか……正直、今も迷っているんです」


その表情には、彼には珍しい、わずかな困惑がにじんでいた。



時貞は大きく息を吸い込み、顔を上げた。


「話が前後してしまうかもしれませんが、その点はあらかじめご容赦ください」


そう念を押してから、静かに語り始めた。


「私が確認したビデオテープに映る信玄の顔は、驚くほど健康そうでした。

病で衰弱し、命を落とした者の顔にはとても見えなかった。頬はふっくらとし、肌には艶がありました。

あの当時の信玄は、戦に出られるほどの健康状態だったと、私は見ています。

そして――あの目を見開き、口を大きく開いた表情からも、信玄は《《首を切断される直前まで、生きていた》》ようにしか思えないのです」


そう言って時貞は、ビデオテープから焼き直した小さな写真を胸ポケットから取り出し、杉山課長にそっと手渡した。

それは、信玄の生首の写真だった。


スライドで映すにはあまりに衝撃的すぎる。

この場には女性社員も参加している。


「気の弱い方は、無理に見ないでください」


時貞があらかじめ断りを入れたうえで、目顔で杉山課長に回覧を促した。

課長はうなずくと、小走りでテーブルの端に座る一織の元へ向かい、写真を裏返したまま手渡し、「後ろへ順に回してほしい」と頼んだ。


「先ほど、助手の一織たちからも疑問として挙がった――

外側の石蓋に開けられた丸い穴、そして、内側の石蓋の異様なまでの脆さ。


中の箱から発見された大量の弓のやじりと、鎧をまとった複数の人骨。

それは、後の調査で、外側の大きな石箱の中にも多数確認されました。


さらに――三つの首を飲み込んでいた、“あの怪物”。


精密に設計された二重構造の頑丈な石箱。

そして、それをあえて“冬の凍った湖の上”に設置し、沈めなければならなかった理由。


どう見ても、信玄の首は生々しく、癌や結核などで衰弱死した者のものとは思えませんでした。

むしろ、首を斬られて絶命した――そうとしか考えられなかったのです」


時貞は、これまでの解析の中で自ら抱いていたすべての疑問を、まず最初に明らかにした。

その一つ一つは、会場の誰もが内心抱えていた「共通の違和感」と一致していた。


そして今――その謎に対する、明確な答えに、誰もが飢えていた。


「最初は私も、信玄が亡くなったとされる天正元年(元亀四年)四月十二日と、諏訪湖にあの箱が沈められた日が近いことから、あれは信玄の石棺なのだと思っていました。

しかし、そう考えた途端に――いくつもの不可解な点が浮かび上がってきたのです」


「先ほど、神童教授が挙げられた疑問ですね」


「ええ」

杉山課長の、先ほどまでとは明らかに違う、どこか興奮を含んだ相槌に、時貞は落ち着いた声でうなずいた。


岩城を慕う杉山課長もまた、多くの人々と同じように、目の前の謎が今まさに解き明かされようとしている、その瞬間を心のどこかで期待していた。

そして時貞は、そんな雰囲気と期待を、自然に醸し出していた。


それは、席上の一名――岩城を除いた、ほぼ全員が感じ取っていたことである。

多くの出席者が、先ほどの彼の説明に、どこか釈然としないものを覚えていたのだった。


「ここから先は、私の想像を交えたお話になります――」


時貞はそう断りを入れてから、静かに語り始めた。


「発見された古文書の中で、最も古いと思われる一冊には、信玄が亡くなる三年前の出来事が記されていました。

そこには、こう書かれています――

『元亀元年、京の都で大きな鬼が暴れ回り、比叡山の僧たちがこれを退治した』……と」


そう言って時貞は背後を振り返り、片手をやや高く掲げて示した。

彼の背後、壁際には旧家の土蔵から発見された石箱が置かれており、その上には古文書が七冊、整然と並べられている。


「そして、別の一冊には、元亀二年九月十二日――信長が比叡山を焼き討ちして、僧俗男女三千人を皆殺しにしたと記されていました。

私がとりわけ衝撃を受けたのが、この記録です。

『第六天魔王・織田信長』と題されたこの古文書を読んだとき、その内容に私は心底、愕然としました」


そう言いながら、時貞は石箱の上に置かれていた一冊をそっと手に取り、胸の高さまで持ち上げると、聴衆に向けて掲げた。


「この古文書には、信長による比叡山攻めの詳細が、克明に記されています。

今からお話しするのは、その中の一部です。

……それでは――遠い遠い昔の、“おとぎ話”を始めましょう」


そう言って、時貞は静かに語り始めた。


――いよいよ、“時貞ワールド”の幕が上がる。


会場には、言葉にしがたい高揚と緊張が満ちていた。

空気はぴたりと静まり返り、誰もが息を殺し、固唾を呑んでその一言一言に耳を傾けた。

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