【5】 黙示の石箱と、歴史の捕獲者
杉山課長は、会場を見渡した。
彼は一織の突きつけた問いに一瞬言葉を失いながらも、視線をそっと岩城へ送った。
彼は、待っていたようにゆっくりと顔を上げ――静かに微笑んだ。
その笑みは余裕か、それとも確信か。
彼はすでにこの質問が来ることを読んでいたのだ。むしろ、それを“誘った”と言ってもいい。
わざと最初の説明では、肝心の“なぜ怪物が信玄の首を飲み込んだのか”を語らなかった。
なぜなら――この問いへの“答え”こそが、彼の真打ちだったからだ。
岩城は、壇上で一歩前に出る。
「……怪物は、必ず信玄の首を飲み込まなければならなかったんです」
「“ならなかった”?」と、一織が眉をひそめる。
「ええ。つまり、それは“避けられない”行動だった」
「なんでよ?」一織がさらに詰め寄るように問う。
岩城は、会場全体をゆっくりと見渡すと――わざと間を置いて、口を開いた。
「……それは、あの怪物が――」
息を呑むような沈黙が一瞬、場を包む。
そして、岩城は堂々と言い切った。
「《《歴史の捕獲者》》だったからです!」
「ええっ!?」
会場がどよめいた。
それは、たしかに――あのビデオの中で、田辺博士が発した言葉だった。
岩城もまた、資料として提供された麟太郎のビデオ映像を、何度も繰り返し検証していた。
「……ここからは、私の仮説となりますが」
そう前置きしてから、岩城は静かに言葉を続けた。
「――あの怪物は、おそらく太古の昔に、地球外から飛来した“異星の存在”なのではないかと、私は考えています」
会場が静まり返る。
「ビデオ映像の中でも、田辺博士が何度かその可能性に言及していました。あの身体に刻まれた“コネクター”のような穴、そして地球上の物質とは思えない構造を持った“爪”……」
岩城はそう言いながら、カシャ、とスライドを切り替えた。
スクリーンに映し出されたのは、怪物の爪、背部、各種部位のクローズアップ写真。
「これらは現在の科学でも、未だ解明されていません」
さらにもう一枚――
映像には、あの“腹の中の袋”が映し出される。
腐敗を一切進行させない不思議な内部構造、そしてあの、ゼリー状の物質。
「――あの腹の中にある袋。外気を遮断し、内部の時間進行を停止させる構造。言うなれば、“冷凍庫”のような機能を持っている。
そしてあのゼリー状の物質……現代の検査機器をもってしても、成分分析は未だ不可能です」
会場に小さなどよめきが走る。
岩城は再び会場を見渡し、目を細めた。
「つまり――この怪物は、単なる偶然の産物でも、神話の化け物でもない。
遥か昔、地球に“何かの使命”を帯びてやってきた――
“記憶を保存する”ための、ある種の《《生体装置》》だったのではないかと、私はそう考えています」
“歴史を捕獲する異星人”――それはあまりにも壮大で、限りなく突飛な仮説。
誰も言葉を挟めないまま、会場は再び、岩城の独壇場となりつつあった。
岩城部長は、会場をゆっくりと見渡した。
全員が、自分の言葉に聞き入っている――その確信を得たところで、静かに続きを口にした。
「そして――高度な文明をもつ異星人たちは、怪物が持ち帰った“脳”から電気信号を抽出し、その人間が経験してきた出来事や記憶の断片を、映像として再現する。
まるで、脳に刻まれた過去の記憶をコンピュータに接続し、一人の人間の人生を“記録映画”のようにしてモニターに映し出していたのではないかと――私は、そう考えています」
言い切った瞬間、岩城は心の中で小さく笑った。
完璧だ――そう思った。
奥の席では、水篠会長が静かに頷いている。
“勝った”――岩城はそう感じていた。
この日のために、すべてを準備してきたのだ。
彼には、大学時代の先輩に歴史考古学の教授がいた。
今回の騒動を受けて、その先輩に、神童教授の資料と麟太郎のビデオテープを持ち込み、協力を仰いだ。
先輩は、現在世界の注目を集めるこの“ミステリー”に大いに刺激され、同じ研究室の複数の教授とともに、全面的な支援を申し出てくれた。
そして、そこから導き出された仮説の集大成――
それこそが、今、岩城が語っている内容だった。
これが彼の、周到に準備された、前回の“倍返しの隠し玉”であった。
「なるほど。武田家の当主の首となれば、実に興味深い記録映画が仕上がりそうですね」
杉山課長がそう言って、岩城の説に賛同を示した。
「でも、異星人は――なぜそんなことを?」
「目的は不明です。ただ、古い言い方をすれば――地球征服のためだったのかもしれない」
岩城は、右手のひらを軽く前に差し出すと続けた。
「それとも地球が自分の星に対して、危険な存在なのかの調査だった。……また、あるいは単なる娯楽の対照として、地球の人間の脳の記録映画が、その星で流行っていたのかもしれません」
先の碧の質問を、岩城は軽くあしらった。
会場は、小声で話す声があちこちで囁かれたが、直接彼に質問をぶつける者はいなかった。
その時――
「ちょっと、いいですか」
手を挙げたのは、時貞の横に座る一織だった。
岩城と杉山が一織に顔を向け、頷いた。
「今までのご説明で、大まかなお考えは理解できました。ただ、一つお伺いしたいことがあります」
一織が静かに口を開いた。
「何ですか?」
岩城は、変わらず余裕の笑みを浮かべて応じる。
「外側の石箱の蓋の中央に開いていた、あの円形の穴は何だったんですか?」
続けて碧も問いかけた。
「それと、中に収められていた内側の石箱――その蓋の材質が、他の石とは明らかに違って、すごく脆かった理由も教えていただけますか?」
――確かにあれが石棺だとしたら、何れも不必要なものだった。
だが、岩城部長は笑顔を絶やさず、答えた。
「あの、外蓋の円形の穴は、特に深い意味は無く、ただの飾りでしょう。恐らく、武田家のひし形を四つ描く時の、中心にでもしたんではないでしょうか。それと、中の石蓋の材質が弱く壊れやすかったのも、単に途中で石材が足りなくなって、急場をしのいで、手近な石で済ませたのだと思います」
碧は納得しかねる表情で、口を尖らせる。
「でも、それなら――そもそもあんなに大掛かり石箱を、わざわざ作る必要があったんでしょうか? 信玄公を湖に葬るだけなら、二重構造にする必要はなかったと思うんですけど」
「そうよね。それに、自分が死んだことを内緒にするように、《《かっちゃん》》に言ったんでしょう?」
一織も納得がいかない様子で言い添える。
「だったら、大きな石箱なんかじゃなくて、もっと目立たない甕とかに入れて、こっそり沈める方がよっぽど自然な気がするわ」
時貞は横で聞きながら、一織の口からつい「かっちゃん」が出てしまったことに、内心でそっと頭を抱えていた。
岩城部長は、わずかに表情を引き締めたが、声の調子は穏やかなままだった。
「君たちの言うことにも一理ある。もっと質素で、もっと手軽でも良かったのかも。……しかし、そこは、偉大な当主を亡くした、その者たちにしか理解の出来ない心情があったのかもしれない。古くから信玄に支えて来た重臣たちから、大きな墓にしたいと所望されれば、若い勝頼は、それに従わざるを得なかったのかもしれない」
それだけを言うと、岩城部長は、相変わらず無表情に受け流した。
碧と一織も、それ以上は続けられなかった。こうも曖昧にかわされてしまっては、踏み込む糸口を見出せなかったのだ。
そして、次に控えるは――神童時貞の見解である。
・果たしてその答えは、岩城部長と同じ結論なのか?
・それとも、これらに対する明快な答えを用意しているのか?
・あるいは、さらに突飛で、さらに不可解で、
もはや“理解されること”さえ必要としていない、そんな――
時貞にしか辿り着けない答えなのか?
静まり返った会議室の空気が、目に見えない圧となって張り詰めていく。
そしていま――いよいよ、時貞の舞台の幕が静かに上がる。




