【4】 沈黙の石棺、三日間の矛盾
杉山課長は、一瞬言葉を止めると、会場奥に座る水篠会長の方へ視線を向けた。
会長は、静かに頷く。
「――どうぞ。ご質問を」と、杉山課長は碧の方へ顔を戻した。
碧は、真っすぐ壇上を見上げたまま問いかける。
「……あれが“信玄の石棺”だと、おっしゃいましたよね?」
「はい」
岩城部長は、向けられた視線に穏やかな微笑みを浮かべて頷く。だが、その目は僅かに警戒を帯びていた。
「では、信玄が“帰り道の途中で亡くなった”と仮定するなら――
あの遺体を収めるための石棺は、その後に用意されたということになりますね?」
再び、岩城は無言で頷いた。
すると碧は、やや身を乗り出してこう続けた。
「でも、あれだけ巨大な一枚岩を山から切り出して、中をくり抜いて、棺に仕上げるには……どう考えても、数ヶ月はかかりますよね?
それを湖の中央まで運ぶだけでも、相当な準備と時間が必要だったはずです」
岩城の顔が僅かに引きつる。
その横で、一織がぽつりと口を挟んだ。
「確かに……あれほどの大きな石箱、簡単に造れるはずがないもの。少なくとも、数ヶ月は掛かるわよね」
「もし、信玄が亡くなってから石棺を造ったのだとしたら……その間、遺体はどうしていたんですか?」
碧の声には、柔らかさの裏に、鋭い追及の色があった。
「時間が経てば、当然、遺体は腐敗していきます。ですが――私が見せていただいたビデオには、どう見ても腐敗していない、まるで生きているかのような信玄の顔が鮮明に映っていました。長期間保管されたようには、とても思えませんでしたけれど?」
会議室が一瞬、静まり返った。
岩城部長は少し口をつぐみ、視線を泳がせてから、ようやく言葉を絞り出した。
「……たとえば、遺体を雪山や氷室のような場所に保管していた可能性もあるかもしれませんね」
その答えに、碧は間髪入れず、鋭く反論を放った。
「岩城部長――配布されている資料の12ページをご覧ください」
会場のあちこちで資料をめくる紙の音がした。
「そこには、こう書かれています。『天正元年四月十二日に信玄が死亡し、四月十五日に諏訪湖に石箱を沈めた』と。つまり、その間は――たった三日しかありません」
碧の声に、わずかな怒気が混じっていた。
「たった三日で、あの巨大な石棺を掘り出し、中をくり抜き、湖まで運んで沈めたというのですか?」
岩城の手元にある資料を指し示しながら、碧は一歩も引かなかった。
「確かに、時間的な問題はあるかもしれません」
岩城は、一呼吸置いてから、落ち着いた口調で続けた。
「しかし――もし、あの石棺が、ずっと以前から用意されていたとしたら、どうでしょう。問題はすべて解消されます」
彼は会場を見回し、柔らかく微笑んでみせる。
「現代でも、あらかじめ自分の墓を準備しておく人は少なくありません。信玄ほどの人物であれば、自分の死期を悟り、石棺を事前に用意しておいたとしても、まったく不思議ではない」
岩城は僅かに目を細めて、続けた。
「なにしろ彼は、大病を患っていたわけです。主治医であれば、余命の見通しを立てることもできたでしょう」
“いかにも合理的”というふうに語るその態度は、どこか優越感さえ漂わせていた。
碧は、わずかに眉を動かしたが、それ以上は言葉を挟まなかった。
納得したわけではない――ただ、話の続きを聞く価値はあると踏んだのだ。
その横顔を、一織がじっと見つめていた。
「よろしいでしょうか」
進行役の杉山課長が、慎重に声を挟む。
「岩城部長、では次に――“なぜ怪物があの石箱に入れられていたのか”について、説明をお願いします」
杉山が視線を岩城に戻すと、彼は軽く頷いてから、伸縮式のポインターを引き出した。
彼はホワイトボードの前に立つ。
そこには、時貞が解読した古文書の一部が転記されていた。
「神童教授が解読された資料には、こうあります――“同時期、武田領地内で大きな首無し武者が暴れ回っていた”と」
ホワイトボードに記された一文を、岩城は指し示した。
「この“大きな首無し武者”という記述――」
岩城はホワイトボードを指しながら、視線をめぐらせた。
「これは、あの怪物のことを指しているのです。皆さんもご存じの通り、あの怪物は頭部が胸の前に付いており、背後から見ると、まるで“首が無い”ように見える。だから、当時の人々はそれを“大きな首無し武者”と呼んだのでしょう」
そう言うと、岩城は手元のリモコンでスライドを切り替えた。
映し出されたのは、丹波助手に両腕を切り落とされた怪物の後ろ姿――歪んだ背中、のしかかるような筋肉の塊、そして、どこにも“首”が見当たらないシルエットだった。
「……なるほど。確かにこう見ると、“首無し”ですね」
進行役の杉山課長が、素直な感想を漏らした。
岩城は頷くと、さらに語気を強めた。
「そして、その怪物が現れたのは――ちょうど、信玄の遺骸を石箱に納めようとしていた時だったと考えられます」
「一頭は中の箱に、もう一頭は外の大きな石箱に……そして、結果的に両方とも閉じ込められたのです」
杉山課長が頷きながら、補足するように言った。
「つまり、中の箱に入った一頭が、石棺の中の信玄の遺体から、首を切断して――飲み込んだ、と?」
――その瞬間だった。
「なんでよ!」
鋭く響いた声が、会議室の空気を裂いた。
驚いた全員が一斉にそちらを振り返る。
声の主は、一織だった。
彼女は挙手もせず、ただまっすぐに岩城を見据えて言った。
「なんで、怪物がわざわざ、死んでる人の首なんか飲み込まなきゃいけないのよ?」
その声は、明らかに“疑問”というより、“異議”だった。
会場のあちこちからも、小さなざわめきが起きる。
一織の言葉に共鳴するように、人々の視線が、再び岩城へと集中していった。




