【2】 英雄なき祝祭、そして道化の憂鬱
碧は、時貞に別れの挨拶をすると、静かに病室を出て行った。
このあと外では、退院に際しての記者会見が待っている。
龍信はというと、バイクの運転ができないため、駐車場で待っていた健太の後ろにまたがり、そのまま作業場へと戻っていった。
来週には、いよいよ彼の“腕を繋ぎ直す大手術”が控えている。
切断された左腕は、幸運にも新鮮な状態で発見された。
細胞はまだ生きており、腐敗の兆しも見られなかったという。
彼の腕は、床に散乱していた不思議なゼリー状の液体に塗れていたのだ。
その腕を、ボルトで骨に固定し、一本一本の血管や神経、細胞を繋ぎ直すという気の遠くなるような手術。
――龍信は、少しずつ、“本物のターミネーター”に近づいていく。
翔太は、軽い打撲と脳震盪で、翌日には早くも退院していた。
その足で龍信とともに、彗の通夜へと向かった。
そのとき、龍信は静かに、棺の中で永眠する彗に向かってこう伝えた。
「怪物に止めを刺したのは――お前だよ」
◇
田辺博士の助手・日向陽子は、脊椎を損傷していた。
完治には、半年から一年はかかるという。
それでも、命があったこと自体が、奇跡のようなものだった。
――そして、一織は。
……奇跡的に、まったくの無傷だった。
この世界で、一番の強運の持ち主かもしれない。
あの引き上げ作業の後――
諏訪湖で起きた怪物による大量殺戮事件は、瞬く間に全世界へ報道された。
その怪物は、まるでマンモスのような“大型で未知の生物”として扱われ、多くの国で議論と話題を呼んだ。
水篠物産とチャンネル9は、商魂たくましく様々な企画を打ち出した。
共にあれだけの赤字を抱えた以上、そのまま終わるわけにはいかなかったのだ。
金銀財宝こそ見つからなかったものの――
引き上げられた巨大な石箱、そこから現れた武具の数々――鎧、兜、刀、槍。
それらを展示するための「信玄博物館」が、現在、諏訪湖の湖畔に建設中である。
施工を担当するのは、地元の賀寿蓮組。秋にはオープン予定だ。
博物館では、もちろん“怪物”の複製標本も展示される。
また、亡き麟太郎が命がけで撮影した記録映像も、部分的にモザイク処理を施した上で、常設上映される予定である。
さらに、映像に映っていた“三つの生首”のレプリカ展示についても、現在慎重に検討が進められていた。
――だが。
この博物館がオープンするまでに、どうしても解明しておかなければならない謎が残っていた。
なぜ、あの石箱は沈められたのか。
なぜ、その中に“怪物”が封じられていたのか。
このままでは、あの石箱に「武田信玄の墓」という名を冠することさえ、できないままだった。
*
―――それから、さらに二週間が過ぎた。
この日は、時貞の退院の日である。
だが彼は病院を出るや否や、その足で水篠物産本社へと向かっていた。
これまでの調査の最終報告を行うためである。
水篠物産とチャンネル9は、目前に迫った「信玄博物館」のオープンに向けて、慌ただしく準備を進めていた。
諏訪湖の怪物事件――その影響は、国内にとどまらず、世界中に波紋を広げている。
あの日以来、「諏訪湖」「信玄」というワードは、世界の検索トレンドで2週連続のトップを飾った。
ニュースでもSNSでも、連日“武田信玄の亡霊と怪物”の話題でもちきりである。
賀寿蓮組に作業服を納入していたメーカーでは、海外からの注文が殺到し、ついには一時的に販売停止に追い込まれた。
「賀寿蓮組(G.J.R)」のロゴ入り作業服は、街角でも、観光地でも、球場でも、ライヴ会場でも目立つ存在となり、若者たちの間では“最強の特攻作業服”として静かなブームを呼んでいる。
同じく、あの決戦で彗が握っていた銀色の“オイルライター”も爆発的な人気を博し、各社から類似モデルが続々と発売された。
信玄博物館の設営にあたっては、
『不屈の女戦士』として、碧の等身大フィギュアを展示する案が正式に採用された。
その製作には、彼女とともに命がけの戦いを繰り広げた翔太が、自ら協力を申し出ている。
そして今、来年の公開を目指して、碧本人を主演にした“実写映画化”の企画までが進行中だ。
メディアは連日連夜その話題で持ちきりとなり、諏訪湖の名は“戦国伝説と怪物の聖地”として、世界地図の一角に刻まれつつある。
だが――
そうした過熱報道の熱気は、亡くなった者たちを悼む気持ちとは、時に残酷なまでにすれ違っていた。
犠牲になった命の重みは、記号や商品に変えられていく。
その現状を受けて、水篠物産とチャンネル9は共同で声明を発表。
信玄博物館の収益の一部を、事件の犠牲者遺族への慰霊・支援金として充てる方針を明らかにした。
*
そんな過熱報道も、華やかな話題も、まるで別世界の出来事のように――
たった一人、“蚊帳の外”にいる男がいた。
時貞である。
彼は病室にこもり、一織の手を借りながら、ある重大な作業に没頭していた。
それは、あの石箱の正体――
なぜ湖に沈められたのか、なぜ怪物が中にいたのか、
歴史学と考古学、そしてSF的論理などを用いて、その全容を解き明かさねばならなかった。
入院中、時貞は何度も繰り返し、麟太郎の撮影したビデオ映像を再生した。
その映像と、旧家の土蔵から発見された古文書を照合し、
分析結果を、愛用の古びたノートパソコンに打ち込み続けていた。
――そして、本日。
その最終報告が、ついに公の場で発表されることとなった。
出席者には、水篠物産会長・水篠大蔵、
チャンネル9の常務取締役・一条義春の姿もある。
さらに、事件の“生きた証人”として、白鳥碧、賀寿蓮組の龍信と源次の名前も連なっていた。
◇
水篠物産の広大な駐車場に、まずは一台のトラックがゆっくりと入ってきた。
車体には「賀寿蓮組」の社名が大きく記されている。
助手席では、源次が煙草をくゆらせている。
奇跡的な回復力を見せた彼は、時貞より一足先に退院していた。
ハンドルを握っているのは翔太だ。
続いて、大型のバイクが唸り声を上げて乗りつけた。
小柄な健太が運転し、その背後には巨漢の龍信が腰を据えていた。
龍信の左腕の再接合手術は、仕事を理由に一度は延期されていたが、
ようやく三日後に執刀されることが決まっている。
そこへ、黒塗りのベンツSクラスが静かに滑り込んできた。
運転席にいるのは、一織。
父親のセカンドカーを借りての運転で、後ろには誇らしげな初心者マークが貼られていた。
助手席の時貞は、病院からそのままの恰好で、少し居心地悪そうにシートベルトを締めていた。
そして、最後に現れたのは――
碧の真っ白なポルシェ959だった。
流麗なボディを躍らせて、駐車場へと飛び込んでくる。
仕事の関係で東京から直行した彼女は、激しい渋滞に巻き込まれ、報告会の開始から10分を過ぎての到着だった。




