【3】 鉄の陣、その一撃にすべてを
碧は、右手を伸ばして、荷台を閉じているリアゲートのロックに手をかけた。
片方、そしてもう片方――ガチャン、ガチャンと金属音が響き、荷台の扉を勢いよく下ろす。
だが、鉄筋は動かなかった。
屋根に張られた針金で束ねられており、アオリを開けただけでは、びくともしない。
碧は、すぐさま運転席側へと回り込む。
ドアを開け、右腕だけでミラーの支柱にぶら下がるようにして、自らの体を引き上げていく――生きている、ただ一方の腕で。
「えっ……?」
それを見て、龍信がまたも首を捻った。
碧は、トラックに乗り込むと、イグニッションを捻った。
〈ガルルン!〉と、けたたましいエンジン音が場内に響き、地面が揺れる。
細い身体が、ドライバーズ・シートの振動に揺れる。
――碧はそっと目を閉じた。
その鼓動は、震える胸の奥で心臓の鼓動と共鳴し始める。
……そして、次の瞬間。
開いた目は、獲物を射抜く“女騎士”の瞳に変わっていた。
「……な、なにする気だ?」
龍信が怪物の攻撃をいなしながら、目の端で《《鉄筋を一本運んでくる筈》》の碧を探していた。
だが、碧の選択は―――違った。
「行くわよ……!」
ギアをバックに入れる。
アクセルを――踏み抜いた。
トラックが勢いよく下がり、地面を噛む。
すかさず急ブレーキ。
――ガガガガッ!――ザシャーーン!!!!!
衝撃で、束ねていた針金が弾ける音と共に、屋根に乗っていた鉄筋が一斉に荷台の上へと滑り落ちて収まった。
《《積み荷、装填完了。》》
碧はハンドルを握ったまま、静かに息を吸った――。
今度はギアを前進に入れ、碧はトラックを発進させる。
怪物の背後に回り込む。
――右手一本で、後輪を滑らせ、ドリフト気味に方向転換。
巨大なタイヤが土を巻き上げ、数本の鉄筋が荷台から飛び出した。
土埃が視界を覆い、低くうなったエンジン音がこだました。
そして――
トラックの後部が、怪物に正対した。
碧が顔を上げる。
夜明け前の、静まり返った諏訪湖が、目の前に広がっていた。
その湖面は、まるでこれから起きる“破滅”を見守るように、凪いでいた。
トラックの荷台――
そこには、数十本の鉄筋が“突き出された”状態で並び、
まるで《鉄槍の陣》のように怪物に向けられている。
怪物の背後に聳える石壁と、トラックの後部が、ほぼ水平に重なった。
(……マジかよ)
龍信は、目の前の怪物を見据えながら、思わず苦笑する。
そして、二度三度、首を横に振った。
「……そりゃあ、お前がこんなになるわけだ」
自分が要求した一手。だが、それを遥に超えてくる。
不死身の怪物が、これほどまでに痛めつけられている訳を、彼は分かったような気がした。
次の瞬間――
怪物が、右腕の二枚爪をワイドに広げた。
肘を持ち上げて横に振る――鋭い軌道で、龍信の首を真横から狙う。
「っ……!」
龍信は瞬時に頭を沈め、すれすれでそれを躱す。
すぐさま、逆手で握った“腕の爪”を、下から突き上げるように怪物の下腹へと叩き込んだ!
――ギャゥオォォオオ!!
前屈みになる怪物。
腹の分厚い外皮が、一部だけ裂け、ゼリー状の液体が飛び出した。
龍信の渾身の一撃――それでも、“一枚破る”のがやっとだった。
だが――
龍信は、すぐさまもう一撃。
先端の鋭い爪を振りかぶり、今度は怪物の頭部めがけて振り下ろした!
怪物は反射的に、右腕を高く掲げてそれを防ごうとする。
――その瞬間。
「今だ!!」
龍信の怒声が、トラックの運転席に向けて響き渡った。
碧が、ギアをバックに入れ、トラックを急発進させた。
荷台の鉄筋が激しく踊りながら――その全てが、怪物の腹や肩へと殺到する!
龍信は、目の前の怪物の右腕を力で押し下げ、振り下ろさせまいと必死に抗った。
全身でせり上がる筋肉。額に滲む汗。ギリギリの攻防。
――そのとき。
「えっ……!?」
サイドミラー越しに後方を見た碧が、息を呑んだ。
龍信が――逃げていない。
――ズシャシャシャシャシャシャーン!!
慌ててブレーキを踏んだ。だが――間に合わなかった。
ガツンッ!!
鋼鉄のような衝撃音が、車体ごと碧を揺らした。
トラックは止まりきれず、勢いのまま怪物を越えた鉄筋が、石壁に深々とめり込んで、ようやく停止した。
バックギアのまま、エンジンが――
まるで息絶えたように、静かに沈黙した。
衝撃で碧の身体が弾かれるように浮き上がった――
次の瞬間、ハンドルに額を打ちつける。
「っ……!」
首を痛め、視界が一瞬ぐらついた。
軽い脳震盪。意識が、遠くに引き込まれていく。
一方、龍信――
間一髪、鉄筋の雨から逃れた――そう思った瞬間、右足に激痛が走った。
「痛っ……!」
見ると、ばらけた鉄筋の一本が、後退しようとした龍信の右太腿を――
真正面から貫いていた。
鉄筋は、石箱の壁に深くめり込み、もう一方はトラックの荷台に圧迫されてたわんでいる。
まるで両側から“固定”されたような形だ。
右手にしていた“武器”――怪物の爪――を投げ捨てると、龍信は右手で鉄筋を掴み、強く揺すってみた。
しかし、びくともしない。
動脈は逸れていた――だがそれが唯一の救いだった。
だが太腿の中央を貫かれては、自力で引き千切ることもできない。
動けない。引き抜けない。逃げられない。
「クソ……っ!」
悔しげに歯を食いしばりながら、龍信は顔を上げた。
トラックから飛び出した鉄筋たち――
せめて一本でも、怪物の目玉か、わきの下か、どこか急所に……!
祈るように、祈るように、少し先――目の前の怪物を見つめた。




