【1】 砂漠から来たもの、三つ目の願い
―――一週間後。
県内屈指の高級総合病院。
その中庭には、精緻に手入れされた深い緑が広がっていた。
樹齢百年を超える楠の木々がやわらかな木漏れ日を落とし、白砂の敷かれた小径を歩けば、まるで高級リゾートの庭園を散策しているような気分になる。
涼を呼ぶ人工の小川には優雅に錦鯉が泳ぎ、蝉の声さえ、どこか遠くで控えめに響いていた。
空調の効いたガラス張りのエントランスホールには陽光が差し込み、ゆったりとした時の流れを演出している。
一方、重厚な門構えの正面玄関前には、ひときわ大きな人だかりができていた。
取材陣に混じって、花束やプレゼントを手にしたファンたち。
受け取ってもらえるはずもない贈り物を携えた彼らは、立ち入り禁止ラインの外で、ただ待ち続けていた。
病院の利用者に迷惑がかかることから、所轄の警察官十数名が動員され、
病院周囲にはロープが遠巻きに張られ、厳重な規制が敷かれていた。
*
「ロレンスは昔、砂漠に棲んでいたんだ」
その第二特別病棟の豪華な個室で、男は電動ベッドを少し起こしながら、ゆるやかに語り始めた。
「ある日、ロレンスは恋をした。それは叶わぬ恋だった。
毎晩、ロレンスは群れから外れ、砂漠の空を見上げては、ため息をついていた。
白い体に、まっすぐな長い角をもつロレンスが、恋をした相手は――
頭上に浮かぶ、大きな丸い月だった。
ロレンスは張り裂けそうな想いで、何度も手を伸ばした。
けれど、その手が届くことはなかった」
男のベッドの傍らで、白衣を着た看護婦が静かに耳を傾けていた。
椅子に腰をかけ、彼の彫りの深い西洋風の顔を見つめながら。
男は、電動ベッドに、斜めに横たわった姿勢で話を続けた。
「砂漠をラクダに乗って通りかかったとき、ロレンスは何も食べず、やせ細っていた。
このままでは、きっと死んでしまう――そう思った。
だから、わたしは……」
「なんで、砂漠に?」
白衣の天使は、首を傾げて微笑んだ。
「それは、数日前のこと――
わたしは、砂漠の洞窟に“魔法のランプ”があると、ある蛇使いの男から聞いた。
その男は笛を吹いて、篭から蛇を出して見せることで、旅人や吟遊詩人から金をもらい、暮らしていた。
その男の左目は、白く濁り、見えているようには思えなかった。
篭から出た蛇は、えらの張った猛毒のコブラだった。
――その男は言った。
三百ゴールド払えば、洞窟への道を教えてやる、と。
わたしは、男に金を払った」
ベットに横たわる男は、自分の物語の世界に静かに浸っていた。
白衣の天使は、黙ってその語りを聞きながら――
ただ、男のあまりに美しい顔に見とれていた。
「わたしが洞窟から、魔法のランプを盗み出すと――
盗賊たちが、空を飛ぶジュウタンに乗って追ってきた。
わたしは、男らしく剣を取って応戦した。
……だが、敵の数があまりにも多すぎた。
わたしの左腕は、切り落とされてしまった」
そこまで語って、男はふと話すのをやめた。
わずかに首を動かし、様子を窺う。
白衣の天使は、椅子に腰かけたまま、
まるで夢を見ているかのように――うっとりと、男の話を聞いている。
「わたしは、逃げた。
深紅のターバンを巻き、
目元には金糸の刺繍を施した仮面をつけていた。
乾いた風が常に吹きすさび、
昼はサソリが地を這い、
夜には星々が、地上よりも近く見える――
そんな丘を越えて、
どうにか盗賊たちから逃げ延びた。
そして――その旅の果てで、
わたしはロレンスと出逢ったんだ」
男は、静かに目を閉じた。
「その、“三度の願い”を叶えるという魔法のランプは――
前の持ち主が、すでに二度の願いを使い果たしていた。
残された願いは、あと一度きり。
わたしは、悲しげな顔をしたロレンスを、そのまま見捨てて通り過ぎることが、どうしてもできなかった。
せっかく命がけで奪ったランプだった。
使える願いは、あと一度しか残っていない。
……それでも、わたしは迷わなかった。
それでランプを擦ったんだ。」
男に視線が遠くへ移る。
「すると、色黒で、小太りな魔人が現れた。
ターバンを巻いて、香辛料の匂いがした。
わたしは願った。
ロレンスを――わたしの左腕に変えてくれ、と」
白衣の天使は、男が翳して見せた左腕を、そっと見つめた。
「その時から、ロレンスは、わたしの左腕になった。
……けれど、それによって、大変な問題が起きたんだ」
「大変な問題……?」
「ああ。ロレンスは、あの砂漠で恋した“お月様”を、いまも恋しく思っている。
だから言うんだ。
“お月様を、この腕に抱かせてほしい”――とね」
男は、そこでふと話を止めた。
ゆっくりと顔を動かし、
座っている白衣の天使の腰のあたりへと、首を傾げて視線を落とした。
鼻の下が――伸び出していた。




