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【2】 葬ったはずの地獄、終わらぬ悪夢

源次と彗――二人が命を賭けて放った“最後の一手”も、

あの異常にタフで強靭な怪物には、通用しなかった。


その現実が、翔太の足元から力を奪った。

腰が抜けるように膝を折り、崩れ落ちる。

――頭が真っ白になる。何も考えられない。


けれど――碧は違った。


考えるよりも早く、碧は走り出していた。

全身を駆け上がらせ、ブルドーザーの運転席に飛び乗る。

エンジンを叩き起こす。


――ガァツゥン!


怪物の次の一撃が、箱の蓋を砕いた。

石片が飛び散る。中央に、ぽっかりと丸い穴が穿たれる。

ギリギリ、怪物の身体が通れそうな大きさ。

――その蓋の石質は、想像よりずっと脆かった。


碧はハンドルを切る。

横のミキサー車を、鉄の爪で押し倒す。


――ガシャアアアアンッ!


轟音が響く。


ブルドーザーの巨体が、地面を削りながら方向を変える。

キャタピラが重く唸り、

箱の中央へ――

あの穴の真上へ――

碧は、鉄の巨獣を突進させる。


石箱の蓋――その中央に開いた穴から、

“それ”は、ついに姿を現し始めた。


まず、ぬるりと――

爪を閉じた“銀色のトンガリ帽子”――あの禍々しい突起がせり出す。

そして、石蓋の穴にその右腕を突き出すと、怪物は――


〈カシャ〉

まるで山岳登山のピッケルを引っ掛けるように、

平爪の一枚が、石蓋の上で開いた。


そのまま、それをフックに、右肘をぐいと曲げ――

怪物は、腕一本で自らの身体を引き上げた。


現れたのは、泥とセメントにまみれた広い右肩。

続いて、片目の潰れた怪物の顔がゆっくりと浮上してきた。


その瞬間――

碧は、前進レバーを強く押し込んだ。


――グルルルルッ……!!


重低音を響かせて、建設機械の王者――鉄の戦車が動き出す。

振動が床を伝い、採集室全体が軋んだ。


碧は、運転席の上から怪物を睨みつけた。

石蓋の上をギリギリと削りながら、鉄のアームが怪物に向かって迫っていく。


「今度こそ――本当に終わらせる!」


ついに――碧がキレた。


怪物の両肩は、すでに蓋の外に出ていた。

そのため、すばやく身を下へ戻すことができない。

怪物は眼球を動かし、周囲を見渡した。


目前には、巨大な鉄のアーム。

振りかぶるでもなく、斬りつけるでもない。

ただ――黙々と、ゆっくり、確実に、押し切ろうとしている。


このままでは、自分の胴体は――

石蓋を擦る鋼鉄の爪に、真っ二つにされる。


グギャゥオォォッ!!


怪物が、唸りをあげた。


右腕の平爪は開いている。閉じる時間が無い。

そのまま眼前の石蓋を――右腕で力任せに叩き割った。


バキバキバキッ!


裂け目が走り、蓋が脆く崩れる。


次の瞬間――


ガンッ!


ブルドーザーの鉄のアームが、怪物の右腕の平爪に引っかかった。

その重さが石蓋に伝わり――


――ズバァァァンッ!!


石蓋が、崩れ落ちた。


「うそっ――!」


碧は、咄嗟にレバーを放り出し、運転席から飛び降りた。


間一髪だった。


ブルドーザーは、怪物と共に石箱の内側へと、前のめりに沈んでいく。

セメントの沼が、鉄の巨体を飲み込んでゆく。


――ガガガガガッ……ズシャァァン!


キャタピラが空転する。

鉄の機体の尻が跳ね、ぐらつきながらも――ゆっくりと、沈んでいった。


碧は、床に転がったまま動けなかった。

左腰を強く打ちつけた痛みが、じわじわと広がる。

擦りむいた肘からは、血が滲んでいる。


お気に入りのミニワンピースは、いまや泥と埃にまみれ、まるで作業着のようだった。靴も履いていない。


息を切らしながら、碧は目を見開いていた。

自分が放った“最後の一撃”――それがすべてを巻き込みながら、沈んでいく光景を。


少しして――


ブルドーザーのエンジン音が、ふっと消えた。

箱の中が、しんと静まり返る。


翔太が、ゆっくりと立ち上がった。

足元がふらついていたが、壁を伝って歩き出し、石箱の傍まで近づいていく。


碧も、遅れて立ち上がった。

腰に手をやり、左足を引きずりながら、翔太の隣へと歩み寄る。


崩れた石蓋は、中央が大きくえぐれ、ぽっかりと穴が開いていた。

だが、蓋の奥側と手前――四分の一ほどの領域は、まだなんとか原形を保っている。


ブルドーザーは前につんのめるように傾き、アームを下にして、セメントの中に沈んでいた。

機体の後部だけが、かろうじて手前の石蓋に立てかかるように残っている。


怪物の姿は――見えない。


恐らくは、崩れた石と、ブルドーザーの下敷きになって、底で藻掻(もが)いているのだろう。―――と、碧は思いたかった。


「碧さん、大丈夫っスか」


翔太が、隣に立つ碧に気づいて声をかけた。

碧は何も返さず、ただ石蓋の中央――崩れた蓋の隙間から見える、灰色のセメントをじっと見つめていた。


「碧さん、さっきの突撃……すごかったっス。あれなら……あれならもう……大丈夫……っスよね?」


安堵の声とは裏腹に、碧の表情は硬い。

腕を組み、微動だにせず、穴の奥を睨むように見下ろしている。

その横顔には、不安と警戒の色が浮かんでいた。


翔太は、思わずその横顔を二度見した。


「このままセメントが固まってくれれば、いくら怪物でも……ね? そうっスよね?」


希望を込めた問いかけだった。

だが――碧は、わずかに首を横に振った。


その動きに、翔太は言葉を失った。

嫌な汗が、背中をつっと伝う。


そして。


――グギャゥオー!!


咆哮が、コンクリートの箱の中から響いた。


灰色のセメントが、どろりと波打つ。

次の瞬間――ブルドーザーの残骸を足場に、あの“怪物”が這い出してきた。

濁流のようなセメントを押し分け、上半身を強引に引き上げる。


ぐぬ、と背中を反らす。

その巨体が、再び“威嚇の姿勢”をとった。

腕を突き上げ、片目を見開き、喉の奥から低く唸るような音を発する。


だが。


右腕の外側にあった鋭利な“平爪”の一枚は、衝撃で完全に剥がれ落ちていた。

残る二枚が、ごつい手首を覆い、まるでボートの底板のように、鈍く尖って突き出していた。


そう――あの鉄の戦車との衝突で、怪物も無傷ではなかったのだ。


「逃げるのよっ!!」


碧の叫びが、鋭く空気を裂いた。


「えっ、あ、ああっ!」


翔太は一瞬振り返るも、すぐに状況を理解し、反射的に中庭へと駆け出した。

碧も左足を引きずりながら、その背を追いかける。


――振り返る余裕など、どこにもなかった。



前につんのめり、セメントに半ば沈んだブルドーザー。

その斜めの鉄の背を――怪物が、ゆっくりと登ってきた。


やがて、傾いた機体の頂に辿りつくと、

怪物はその場で一旦立ち止まった。


そして――右腕を、天へと翳す。


グギャゥオオオ――!!


《獄禍》は、ブルドーザーの背に立ち、

灰色の闇を裂くように、雄叫びを上げた。

まるで、自らより大きな獲物を屠った狩人のように。

まるで、すべてを征した覇王のように。


――沈めたはずの地獄が。

今またこの現代の戦場に、這い出してきた。

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