【4】 現地のざわめき、そして再来
中央道を下り、国道20号線をしばらく北上すると、左手に林を切り開いた広場が現れた。
周囲は、こんもりと茂った深い木立にぐるりと囲まれている。
敷地に入ってすぐが駐車場。
その奥、広場の中央には、逆L字型に建物が並んでいた。
縦の辺にあたるのが、プレハブ造りの本部棟。
底にあたる横辺には、作業員宿舎が連なっている。
そして、そのL字の内側――中庭にあたる空間が、諏訪湖に面した“引き上げ場所”となっていた。
<補足図:引き上げ現場>
碧が到着したときには、現場はすでに慌ただしく動いていた。
仮設の駐車スペースには、各社の報道車両がずらりと並び、クルーたちが三脚を抱えて走り回っている。
プレハブ棟の出入口では、スーツ姿のスタッフと作業着の技術者たちが入り乱れ、書類片手に声を張り上げていた。
昨夜の雨で濡れた地面では、ケーブル係が配線を引き回し、仮設の照明灯には調整用の脚立が立てかけられている。
その向こうでは、湖畔の引き上げポイントに向けて、巨大な四機のクレーンがゆっくりとアームを伸ばし始めていた。
まるで、ひとつの生き物のように――
現場全体が、せわしなく脈打っていた。
「待ってましたよ!」
プレハブの扉を押し開け、カメラを抱えた麟太郎が、走るように姿を現した。
碧はハンドルを左に切り、駐車スペースの隅に車を停める。
一息ついて顔を上げると、丸顔の麟太郎がすでに運転席の横に立っていた。
「六時五分、ギリギリ間に合いましたね」
麟太郎は腕時計をちらりと見て、にこやかにドアを開けた。
碧はサングラスを外し、疲れた目で麟太郎を見上げた。腰を上げる気配はない。
「と、とりあえず……チャンネル9の控え室が用意してありますので、そちらへ。全体の打ち合わせは七時から始まりますので、碧ちゃんは――」
「シャワーあるの?」
「えっ?」
「シャワーッ!」
碧が説明を遮って叫ぶと、麟太郎は一瞬きょとんとして、ぱちりと瞬きをした。
「シャワーですか? ……プレハブの中には無いですけど、作業員の人たちが寝泊まりしてる宿舎にはあると思います。えーと、ちょっと確認してきますので……碧ちゃんは先に控え室へ行っててください!」
「部屋ってどこよ」
「あ、はい。ここのプレハブ棟の中に入ってすぐ左。四つ並んでる個室のいちばん手前に『チャンネル9』って札が掛かってます。中に入れば分かると思います!」
そう言い終わるが早いか、麟太郎はプレハブの建物へと駆けていった。
ワイシャツの下、お腹の肉がリズミカルに揺れている。
なお、作業員宿舎はプレハブの建物を突っ切って中庭に出た、その左手にある。
碧は後部シートから、衣装や化粧品の入った大きなバッグを引っ張り出すと、車外へと出た。
顔を上げると、すでに数多くの報道車両が並び、取材クルーたちが慌ただしく行き交っていた。
本日の引き上げ作業は、すでに国内全局のトップニュースに取り上げられており、
湖底に眠る“石の箱”の発見から今日に至るまでの経緯は、連日リアルタイムで報じられていた。
テレビはもちろん、SNSや動画サイトでも連日映像が拡散され、瞬く間に世界中の注目を集めることとなる。
「まるで、エジプトで新たな王家の墓が発見されたようだ」――
そんな声とともに、このニュースは “JAPAN amazing” の名で海外にも広まり、世界中を巻き込んだ一大ムーブメントへと発展した。
今回の発掘をメインで支援しているのは、地元と密接な関係を持つ水篠物産。
会長の水篠大蔵がいち早く名乗りを上げ、地元経済界との強い結びつきを背景に全面協力を表明した。
さらに、テレビ局では碧の所属するチャンネル9がサブスポンサーとして加わっている。
碧が出演するのは、現場全体を記録・編集したうえで放送される三時間枠のダイジェスト特番だ。
そのため、日々の定時ニュースについては、別のレポーターが現場を担当していた。
碧は車に鍵をかけると、大きなバッグを引いてプレハブ造りの建物へと歩き出した。
昨夜の雨で、足元の地面はぬかるんでいた。
空には水彩画のような分厚い雲が流れていたが、今のところ雨の気配はなかった。
水溜まりを避けながら進んでいたそのとき――
ドオオンッ……!
地面が低く唸ったような音が、背後から響いてきた。
腹の底を叩くような重低音。
空気そのものを裂くような轟音が、林の向こうからじわじわと迫ってくる。
碧はギクリとして振り返った。
目に飛び込んできたのは――
黒い。黒い集団だった。
国道を外れて、十数台のバイクが編隊を組んでこちらへ突っ込んでくる。
そのど真ん中、上から下まで黒ずくめの大男が、ひときわ巨大なバイクに跨っていた。
その姿を見た瞬間、碧の顔からさっと血の気が引いていった。
(……あの男だ)
間違いない。
さっき、談合坂のサービスエリアで鉢合わせたあの男――
まるで暴走族の親玉のような風貌で、異様な圧を放っていたあの男が、今まさにこちらに向かってバイクを走らせている。
(やっぱり仕返しに来たんだわ……!)
碧は一瞬立ちすくんだが、すぐに周囲に目を走らせた。
ここには報道陣もスタッフもいる。
あのときのように、彼女ひとりではない――
それでも、ただならぬ気配に背筋がざわりとした。