【3】 湖底に眠る、誰かの意図
三か月前――
諏訪湖の中央湖底で、とてつもない“異物”が発見された。
それは、外箱の中に内箱を納めた、**二重構造の“石の箱”**だった。
一見、それはただの巨大な岩塊に過ぎなかった。
だが、水中カメラがその上面に映し出した“模様”が、すべてを変えた。
四つ並んだ菱形――それは、かの武田家の家紋“風林火山”に酷似していたのだ。
地元は騒然となった。
「信玄の財宝だ」「いや、信玄自身を葬った石櫃だ」と噂が飛び交い……
テレビ局・チャンネル9は即座に動いた。
スポンサーとして調査を全面支援し、三時間特番の制作を決定。
人気レポーター・白鳥碧が現場レポートに起用される運びとなった。
本日――
その“石の箱”が、湖底から地上に引き上げられる。
カメラマンの風見麟太郎は、一週間前から現地入りしていた。
対して碧はというと、バラエティ番組の収録に、旅番組のロケ、PRイベントの顔出しと、スケジュールはまさに戦場。
そのため、現地合流はギリギリにならざるを得なかった。
―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
この構造物の全貌は、後に調査報告書という形で明らかにされた。
《資料抜粋:諏訪湖底・巨石構造物について》
(考古学調査団・暫定報告書より)
■ 構造名称:諏訪湖底 石箱構造物
・発見場所:諏訪湖 湖底(中央付近)
・発見者:跡見大学 神童時貞教授チーム
・構造タイプ:二重石箱構造
■ 外箱(第1層:大型石櫃)
・素材:巨大な岩盤をくり抜いた一枚岩
・形状:直方体
サイズ:
・横幅:12.36メートル
・奥行:20メートル
・高さ:3.50メートル
石蓋:中央に直径約2メートルの穴あり
備考:箱全体に接合部・つなぎ目なし。高度な石工技術を示唆。
■ 内箱(第2層:内部石櫃)
・素材:巨大な岩盤をくり抜いた一枚岩、蓋は――“脆い”石素材
・形状:直方体
サイズ:
・縦横:7.50メートル 四方(正方形)
・高さ:2.80メートル
位置:外箱内に密着して納められており、外蓋の円形穴から内蓋の一部が覗く
蓋構造:覗いた部分に、文様らしき痕跡を確認(詳細は調査中)
*
外観は、湖に沈んだ巨大な長方形プールのようだった。
これほどの物が、なぜ今まで発見されなかったのか。
そこには、いくつもの理由があった。
まず第一に、視界の悪さ。
諏訪湖の湖水は濁度が高く、カメラでも鮮明な映像を得るのは困難だった。
加えて、石箱は土砂に約2メートル埋没しており、構造物ではなく「自然の岩塊」と誤認されやすかった。
要するに――“建造物”として見てもらえなかったのである。
だが、映像に映ったあの“文様”だけは、違った。
それが、学者たちの目を覚まさせた。
この発見のきっかけを作ったのは、跡見大学の若き教授・神童時貞だった。
世界的な歴史考古学者・神童勘明の長男である。
時貞はまだ二十八歳。だがすでに、複数の新説を提唱し、学会で注目されていた。
ただしその内容は奇抜で、常識にとらわれない分、異端視されることも多かった。
彼の姿から“学者”のイメージを抱く者は少ない。
ラフなシャツに無造作な髪。誰とでも軽口を交わす明るさと、人を食ったような飄々さ。
だがその奥には、常人にはない思考の深さと、どこか達観した知性が潜んでいた。
裕福な家庭に育ったせいか、競争心とは無縁で、出世にも名誉にも頓着しない。
ただ――彼は“本物の何か”を追っている。それだけは、誰の目にも明らかだった。
父の勘明は、そんな長男を半ば諦めていた。
後継は次男に託すつもりであり、時貞自身も、それを望んでいる。
だが、皮肉にも。
今回の“諏訪湖の石箱”という、未曾有の発見の先頭に立っているのは、
その“気ままな異端児”である彼だった。
*
――そして今日。
『昭和六十二年七月四日 午前九時』――石箱の引き上げ作業が始まる。
メディアはチャンネル9。現場レポートは白鳥碧が担当する。
特番のタイトルは未定だが、制作サイドはすでに息巻いていた。
「風林火山の刻印がある以上、信玄と無関係とは思えない」
「戦国の謎に切り込む歴史ミステリーとして、ゴールデン枠でいける」
だが――
五百年前に、誰が、何の目的で、この巨大な石の構造物を湖底に沈めたのか。
その答えは、まだ誰にもわかっていなかった。
そして、その“中身”が――
決して、人間の理解の範疇に収まるものではないということも、
このとき、誰一人として気づいていなかった。