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【4】 逃げ道の在処、唯一の愚者

源次は、時貞をかばうように前へ立ちふさがり、鉄のテーブルを全力で振り回していた。

テーブルが唸り、空気が切り裂かれる音とともに、怪物の巨体と渡り合う。


その背後――

ハーフ顔の考古学教授・時貞が、怪物から目を離さずに、大きな声で聞いた。


「博士、こいつの弱点は無いんですか?……火に弱いとか!犬が苦手だとか、なんかないんですか!」


その声に、怪物の背後から田辺博士が渋い顔で答えた。

怪物を睨みながら、口元だけを動かす。


「火に弱いかどうかは知らん。だが、弱点が一つだけある」


「どこですか!」

時貞の声が裏返る。


博士は低く言った。

「――《《わきの下だ》》」


「え、くすぐるんですか?」


「違う!」


博士の声が跳ね返るように鋭く室内に響いた。


一瞬の間。


源次が、振り向きもせずに小声で呟いた。

「教授、……少しは真面目に」


時貞は小さく咳払いしてごまかした。


博士は言葉を続ける。


「死んでいた怪物に刺さっていた三本の矢のうち、一本だけが深く刺さっていた。それが“左の脇下”。おそらく皮膚が甘いんだ。肋骨の奥――胸の前の顔の後ろにある心臓を、直接狙える」


それを聞いた時貞は、真顔で頷いた。

「なるほど、急所としては合理的ですね」


目の前では、怪物が、源次へ向けて長い腕を大きく振り回して暴れている。

田辺博士は一歩踏み出そうとして……やめた。

恐怖ではなく、ただ“間合いが読めない”という職人的な判断だった。


その時――


「教授、なにか“妙案”はないんですか」


源次が叫ぶ。

もはや“考古学者”に頼るには場違いすぎる場面だが、それでも彼は縋った。


時貞は室内を見回し、閃いたように言った。


「あるにはありますが……博士!」


「何だ!」


「博士! 奥のレーザーメスの機械、使えませんか!? こう、バーッて光線が出て、こう……メトロン星人みたいに、スパッと真っ二つに!」


時貞が両手をパッと広げた。

――脳内には、怪物が赤い光線でバッサリと断面図よろしく裂ける“理想の未来”がスローモーションで流れていた。


博士の顔が一気に曇った。

首を横に振る。無言で、冷たく。


「えっ……あ、いや、ジョーク、ジョークですよ!ギャグです!あっはっはっは!」


時貞は空笑いするが、源次が横目で睨んできた。

その眼差しにはこう書いてあった――「ほんとに今それ言う?」


無言の視線が、妙にみじめな気持ちにさせた。

――気を取り直して、時貞は室内を見渡す。

次に天井を見上げた。

重厚なウインチと、それに連なる鎖が何本もぶら下がっている。

ぶらり、ぶらりと微かに揺れていた。


「源さん! この部屋、消防署に繋がる火災報知機とか、付いてないんですか!?」


「無いです!」

怪物の攻撃を受け止めながら、源次が声を上げた。


「じゃあ、防犯装置とか! セコム的なやつは!?」


「残念だけど、それも無い」

その言葉の直後、鉄のテーブルが、怪物の鋭い爪を受けて火花を散らした。

ギィィン――という甲高い金属音が、室内に響き渡る。


(外部へのコンタクトは無理か……)

時貞は、じわりと唇を噛んだ。


視線をもう一度、天井へ向ける。

重く鈍色のウインチ、その両端から垂れ下がる数本の鎖。

それらを支える鉄骨の梁――。


そして、再び、ウインチが固定された天井の補強プレートへと、彼の目が滑るように移っていく。


(他に、使えるものは……)

時貞の視線が、ゆっくりとそのプレートを沿って――鉄の柱へ――そして、その根本へ。


その時……ふと、視界の端で、チカッと小さく赤が瞬いた。


(ん……?)


柱の横――解剖台の後ろ。

小さなランプが――赤く、規則正しく点滅していた。


〈REC〉


腹を裂かれた怪物が横たわる、解剖台の後ろに屈んでいる男が目に入った。

(……録画中)時貞が眉根を寄せた。


「あんたぁぁぁっ!」

時貞の怒声が部屋に響く。


「なにカメラ回してんですかッ! 手伝ってくださいよ!!」


奥で身を縮めていた男――麟太郎が、慌ててファインダーから目を外した。


自分の鼻を指差して、

「……ぼく?」と、蚊の鳴くような声。


「そう。ぼく!」

時貞が食い気味に返す。


「ぼく?」


「そう、あんたぁぁぁ!!」


「カメラなんか回してないで、そっちに回って戦ってくださいよ!」


「嫌です」


「……えっ?」


「嫌です。こんなチャンスは二度とない。大金持ちになれるんですよ。それに、ぼくの義務は報道なんですよ。戦場のカメラマンが銃を持って、戦ったりしますか?」

と、眼鏡をかけた小太りな麟太郎は、目の前の現実に、少し興奮気味であった。


「こ、こいつ……!」時貞は言いよどんだ。


「ぼくたちが殺られた後は、今度はあんたが殺されるんだぞぃ!」と、時貞の語尾が、ほんの少しゾイ調になってしまった。


その話す途中で――麟太郎が指を振った。

「チッ、チッ、チッ」と口で3回音を立てて、自分の背後を指さす。


その先、麟太郎が指を差した後ろの壁には、《《窓があった》》。――電圧板の横である。

麟太郎は、いざとなったら自分だけ、窓から外へ飛び出して、逃げることを考えていた。


「……逃げ道、確保済み、っと♪」


「おわ、なんだこいつ。ありえねぇー!」と、時貞の唇が歪んだ。


「教授、 無駄ですよ。あいつ、自分のことしか考えてません」

源次が首を振った


源次は、怪物の攻撃に防戦一方である。

鉄板で何度討ちのめしても、怪物には微塵も効いた素振りが無い。

その逆に、怪物の一振りで、こちらの首が飛ぶ。

――明らかに割の合わない、不利な戦いであった。

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