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【1】 覚醒するものと、狩られるもの

時貞が採集室に飛び込んできた――


「な、何だ……!?」


室内の異様な光景に、一瞬で言葉を失う。

足元に転がっていたのは――生首だった。


一体目は、流し場でうつ伏せに倒れている。首がなかった。

「おえっ……!」


二体目は、採集物の散乱した割れたテーブルの上に仰向けに倒れていた。

腹部が大きく抉れ、内臓がこぼれ出ている。

「お、おええっ……!」


三体目は、石箱の中。泥水に塗れた体が沈み込んでおり、やはり首が無い。

ただ――その手には、しっかりと携帯電話が握られていた。

「おっ、おっ、おえええぇっ!!」


――見事な三連発だった。


そして時貞は、自分の足元にしたたかに胃袋の中身を吐き出した。


顔を上げると、壁という壁には血が飛び散り、石箱から採取された遺物が、血の海の中に無残に散らばっていた。


彼は、採集室に並んだ四つの水道のうちの一つに駆け寄り、腰を屈めて口をすすいだ。


ふと横を見ると――首のない死体がひとつ転がっていた。


「うぷっ……」

思わずこみ上げるものがあったが、何とか堪える。

もともと彼は、血や死体を見るのが大の苦手だったのだ。


そのとき――


「ギョェーッ!!」

解剖室から、女性の悲鳴が響いた。

時貞の肩に、びくりと力が入った。


(確か向こうには、レポーターの白鳥碧がいる)―――時貞は思い出した。


時貞は身体を起こすと、洗い場の鏡の前で、長い髪の毛を後ろで束ね直した。

ランボーのように、ゴム紐を堅く絞めて、胸を張って振り返った。


鏡に映る横顔が、さっきまでの悲鳴を上げていた男ではなかった。

そこにあったのは、冷静で、静かに闘志を宿した、戦う者の顔―――時貞の中の“男”が、いま目を覚ましたのだ。



時貞は、首無し死体をひょいと飛び越え、勇ましく解剖室へ飛び込んだ。


――が。


「うわっ、あららぁーっ!」


勢い余って、怪物のすぐ背後まで突っ込んでしまい、慌てて急停止を試みる。


……が、遅かった。


足元のゼリー状の液体にツルリと滑り、両足が宙を舞う。


その瞬間だった。


怪物の右腕が反射的に振り上がり、後方で鋭く、空を裂くように弧を描いた。

――部屋の空気が二つに割れた。


次の瞬間、時貞は背中から盛大に落下し、床に尻を思いきり打ちつけた。


「いってェ~~~!!」


――凄まじく格好が悪い。


空中で、彼の長い前髪が、二つに裂けて宙を舞った。


それはまるで、鎌鼬かまいたちのように――鼻先すれすれを、何かが通過した証だった。


怪物は背を向けたまま、右腕の三枚爪――その外側にある、薄く鋭い平板が開いていた。

時貞の首は、まさに紙一重。あと少しで、胴体と永遠の別れを告げるところだった。


――だが、油断する間もなく、次の瞬間。


時貞のすぐ横にあった衝立が、〈スパッ〉という音と共に、上三分の一で水平に切断され――そのまま、真上から落ちてきた。


「うわぁっ!」


とっさに右腕で庇いながら、時貞は顔を上げる。


そのとき、目の前の大きな黒いシルエットも、こちらに振り返った。


背中だけを見ていたときは、「首の無い怪物」――そう思っていた。

だが今、こちらに顔を向けたその姿は――


なんと、胸の前に、大きな顔があったのだ。

牙を剥き、今まさに咆哮しようとするような顔が、胸から生えていた。


挿絵(By みてみん)


「……獄禍(ごっか)!?」


――首なし武者。

時貞が、ずっと想像の中で描いていた“恐怖の象徴”が、目の前で具現化していた。


仁王立ちしているその姿は――

右手に出刃包丁、左手に生首を持ったナマハゲ、鬼そのものであった。



「ひぃぇえぇーっ!」


情けない悲鳴をあげた時貞は、尻餅をついたまま、お尻を浮かせて両手両足をバタバタ――

まるでひっくり返った蜘蛛のような姿勢で、後ろ向きにジリジリと逃げはじめた。


だが、その動きは徐々に加速し、最終的には床を滑るような勢いで――

ついにはそのまま解剖室を転がり出ていった。

その必死な逃走劇は、哀れというより、もはや圧巻であった。


時貞は採集室に転がり戻ると、よろよろと立ち上がり、手にこびりついたゼリー状の液体を、壁に思いきり擦り付けた。

解剖室にいた時間は、わずか十秒――にもかかわらず、魂が半分抜けかけていた。


ネバネバが取れると、もう一度気力を振り絞り、解剖室とは逆の外へ一目散に駆け出した。


中庭に飛び出す直前、ふと後ろを振り返る――

怪物の姿は、追ってきてはいない。


「……ふぅ」


ホッとしたのも束の間。前を向き直った瞬間――


ドンッ!


目の前に現れた大きな影に、そのまま体当たりして、時貞は再び盛大に弾き飛ばされた。

腰から地面に落下し、今度は本気で痛みが走った。


「イタタタッ……」


呻きながら顔を上げた時貞の目に映ったのは――

堂々たる体格に、立派な髭をたくわえた源次の姿だった。


「源さん!」


腰を押さえながら立ち上がろうとした時貞の腕を、源次がぐっと掴み、一気に引き起こした。


「教授、どうしたんです!? 何があったんですか?」


真剣な目で顔を覗き込まれ、時貞は震える指で建物の中を指さした。


「か、怪物が……作業員を殺して、いま……解剖室に……」


「なんだって……?」

源次が建物の方へ目をやった、まさにそのとき。


走り出そうとする彼の手元にある“何か”に気づき、時貞が声を上げた。


「それ……何持ってるんです?」


「ああ、警官が二人、そこの通路で首を斬られて殺されてた」

そう言って、源次は手にしていた拳銃の銃口で、後方を指した。


その瞬間、時貞は悲鳴もなく源次の背後に飛び込み、彼の背中にぴったりと張りついた。

さらに脇の下から、こっそりと様子を覗く。


「いや、死体はもっと奥の、便所の脇だったよ」


その一言に、時貞は胸を撫で下ろした。

……が、次の瞬間、背後にまだ“あの怪物”がいることを思い出し、慌てて源次の前に回り込んだ。


怪訝そうに眉をしかめた源次が、再び建物の方を見やり、今にも駆け出そうとする。


「げ、源さん……!」

時貞は思わず声をかけた。

「武装ヘリとか……戦車とかって、現場には……無いですよね、やっぱり」


振り返った源次の鬼のような顔に、時貞はビクッと肩をすくめ、言葉を飲み込んだ。


「教授は、どこかに隠れててください」

少し呆れたような顔で、源次は冷静に言った。


「じゃあ……バズーカとか……ロケットランチャーとかも……?」


時貞のか細い声が背中に届いたときには、もう源次の姿は、建物の中へと消えていた。

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