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戦国の封獣・壱 〜信玄と鬼の眠る湖〜  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第8章 過去から来た未来刺客?
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【3】 獣の袋と保存された断末魔

作業現場の片隅で、仮設トイレのドアが、きい……と音を立てて開いた。


中から現れたのは、(さらし)を巻いた分厚い胸板に作業ズボン(ニッカポッカ)を履いた、源次だった。


冷えた夜気が微かに肌を撫でる。

見上げれば、昨日の雨が嘘のように、諏訪湖の空には満天の星が広がっていた。

さざ波ひとつない漆黒の水面に、膨らんだような丸い月がぼんやりと揺れている。


彼はひとつあくびを噛み殺すと、作業員宿舎の裏手を回り、湖畔に引き上げられた五百年前の石箱へ向かおうとした。


――その時だった。

足元で、何かを踏んだ。


「……ん?」


ぐらりと体勢を崩し、よろけながら前のめりに転びかける。

とっさに足元を見ると、暗がりの中に、黒くて丸い何かが転がっていた。

それは……石のようにも見える。


源次は、反射的につま先でそれを転がした。

地下足袋(じかたび)越しに、妙に生温く、弾力のある感触が伝わってくる。

ころん、とひと回り。月明かりが、その“裏側”を照らし出した。


――そこには、顔があった!


石だと思っていたものが――人間の頭だった。

目も口もかすかに開いたまま、潰れたような表情がそこにある。


「うぇっ……!」


彼は叫び声を飲み込み、無意識に後ずさった。

だがその足が、何かに引っかかり、もんどりうって尻から倒れ込む。


――グチャ。


尻の下で、(いや)な音がした。

(つまず)いた辺りを見渡すと、二つの影が横たわっていた。


「二つ?」


源次は恐々と尻の下に手をやった。

鷲掴(わしづか)みにしたのは、人間の頭髪だった。


「……っ!」


慌てて跳ね起きた。


足元の二つの影――それは警官の制服を着た胴体だった。

そして、その二つの胴体には――首が無かった。


その腰のホルスターに、拳銃があった。


彼は膝をついて手を伸ばし、拳銃を抜き取ろうとした。

だが、ホルスターは革紐で厳重に留められている。

なかなか外れない。


この暗がりに、二人の警官を容易く惨殺した何者かが潜んでいる。


――源次はかなり焦っていた。




「保存袋?……なるほど、そういう事か」と、田辺博士がおもむろに呟いた。

人工的な爪と、頭の後ろにあるコネクター。―――それらが、この生首と、田辺博士の頭の中で、やっと結びついたようであった。


「この怪物は、もしかしたら、……歴史の捕獲者だったんじゃないかな」

博士の言葉に、誰もが何かを言いかけて、結局、言葉を飲み込んだ。

それはあまりにも突飛で、しかし――ぞっとするほど“納得できてしまう”仮説だった。


「……捕獲者って?」

カメラのファインダーから顔を上げた麟太郎が、思わず問い返す。


「人間は、“学ぶ”生き物だ。そして同時に、“記録する”生き物でもある」

博士は、何かを見つめるように言葉を継ぐ。


「記録……って、思い出を、ビデオのように?」

「そうだ。“生きたビデオ”。」


「じゃあ……首じゃなくて、脳が目的だったってことですか?」

丹波助手が低くつぶやいた。

その声には、確信と、わずかな戦慄が混ざっていた。



〈ガシャーン!〉――その瞬間だった。


隣の採集室から、テーブルでもひっくり返したような激しい衝撃音が響いた。

それに続いて、男の悲鳴がこだました。


〈ガシャーン! ガシャーン!〉

連続する破砕音――壁をぶち破るような音とともに、建物全体が揺れる。


「な、何だ!?」

誰かが叫ぶ間もなく――


……次の瞬間、ぴたりと音が止まった。

室内には、耳鳴りのような沈黙だけが、残された。


静まり返った室内で――三人は、無言のまま顔を見合わせた。


少し離れた場所では、日向助手が怯えた目で、採集室へと通じる出入口をじっと見つめている。


「……何があったんだ?」


田辺博士が低く問いかけ、丹波助手に視線を送る。

丹波はわずかに首をひねりながら、困惑した表情で答えた。


「……分かりません。音の方向は……たしかに、採集室ですが……」


麟太郎は、出入口の方へビデオカメラを向けていた。

部屋中に、異様な気配が満ちている。息苦しいほどの沈黙――緊張が張り詰める。


そのときだった。

カメラのファインダーいっぱいに、黒い巨大な影が――突如、飛び込んできた。


あまりに至近距離だった。

麟太郎は、思わずカメラから顔を上げ、そして、凍りついた。


そこに立っていたのは――

黒くて、異様に大きな、あの『怪物』だった。


まるで仁王像のように仁王立ちし、

開かれた目の奥では、小さな瞳が、金色(こんじき)にギラリと光っていた。


とっさに麟太郎は、後ろのテーブルへ視線を投げた。

腹を裂かれ、両腕を切断された怪物は――確かに、まだそこに横たわっていた。


「じゃあ……二匹、いるのか?」

そう呟きながら顔を前に戻した、その瞬間。


「ギョェーッ!!」


――背後で、牛の首を絞めたような、かすれた悲鳴が響いた。

日向助手だった。酸欠の金魚のように口をパクパクさせ、ブルブルと震える指で、前方を指している。


その先に視線を向けて、麟太郎も息を呑んだ。

顔から血の気が引いていく――


そこには、黒い怪物が、左手で“人間の頭部”を鷲掴みにしていた。


ぐったりと揺れているのは、林の生首だった。

目を見開き、口からは血の泡を噴き、首の断面からは、まだ鮮血がぽたぽたと滴っている。


そして次の瞬間――


「グギャォォォォォー!!」


巨大な怪物が、テーブルの上に横たわる仲間を見つけ、

獣じみた咆哮を上げた。


その牙は、むき出しで――怒りと悲しみを剥き出しにしていた。




―――京の都を荒らし回った“鬼”とは、何者だったのか?

―――武田の領内を徘徊していた、“巨大な首なし武者”とは?

―――織田信長が、比叡山の穴の中で見たものとは?

―――“悪魔に心を売った”とされる信長が、比叡山の僧たちを皆殺しにした――その真意とは?


時貞の考察は、いよいよ最終段階に入っていた。

パソコンへの入力も順調で、画面には次々と調査結果と仮説が打ち込まれていく。

横では、一織がテーブルに突っ伏したまま、静かな寝息を立てていた。


そのとき――


採集室の方から、何かが激しく倒れるような大きな音が響いた。

時貞は、ハッとして顔を上げ、椅子から立ち上がった。

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