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戦国の封獣・壱 〜信玄と鬼の眠る湖〜  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第8章 過去から来た未来刺客?
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【2】 異形の臓器と、睨む六つの目

田辺博士は、その鋭利で大きな爪を見ながら考えていた。


―――五百年前に、この刃物で、何を切断する必要があったのだろうか?

―――こんな鋭利な爪を、何者がこの生き物に、細工をしたのだろうか?


あまりにも整った形。あまりにも明確な“意図”を感じさせる構造。

それは、単なる生物の一部とは思えなかった。


そのとき――


「博士っ!」


悲鳴のような声が、静まり返った室内に響いた。

叫んだのは、丹波助手だった。


あまりの剣幕に、田辺博士は思わず一歩あとずさった。


「博士、こ、これを見てください!」


慌てふためいた丹波の声は、いつもとはまるで別人のように裏返っている。

田辺博士が顔を上げると、ステンレスのテーブルの上――

開かれた“大きな胃袋のようなもの”の手前側で、振り返る丹波助手の蒼ざめた顔と視線が合った。


その目は、大きく見開かれ、明らかな動揺をたたえていた。

冷静沈着で知られる彼が、ここまで取り乱すとは――ただ事ではなかった。


田辺博士は、ゆっくりと彼の方へ歩み寄った。


丹波の背後、その影に隠れるようにして横たわっていたのは――切り開かれた、大きな臓器。

三つある“こぶ”のうちのひとつが開かれ、その中身が、わずかに外へ覗いていた。


博士は、そっと腰を屈めて中を覗き込む。そして――ハッと息を呑んだ。

その瞬間、彼の表情も凍りついた。


ふたりの、まるで亡霊でも目にしたかのような顔に、不安を覚えた日向助手が、恐る恐る逃げ腰で近づいてきた。


その視線が“それ”に触れたとたん――


「ぎゃあぁぁぁっ!」


あまりの衝撃に叫び声を上げ、後ずさった拍子に尻餅をついた。

床には、先ほどのゼリー状の液体が残っていた。

日向助手はその感触に悲鳴をもう一つ――いや、二つ、短く上げた。


麟太郎は、離れた場所から、三人の様子を邪魔にならないように撮影していた。

だが、ただならぬ空気――場を包む異様な緊張感を肌で感じた瞬間、ビデオカメラを構えたまま、思わず駆け寄っていた。


田辺博士と丹波助手は、切り開かれた臓器の前で、難しい顔を見合わせていた。

その表情には、明らかに混乱と困惑が滲んでいる。

日向助手はといえば、尻餅をついた勢いで手についたゼリー状の液体を、ぶんぶんと払っていた。


「……何か、出てきたんですか?」


異様な光景に、声をかけたのは、三人の背後から近づいた麟太郎だった。

別に大きな声を出すつもりはなかった――が、興奮が声に出てしまっていた。


「……これだよ」


田辺博士が、手にしていたボールペンの先で袋の皮をそっと引っかけ、慎重に中を開いてみせた。

中から漂ってくるぬるりとしたゼリー状の質感に、麟太郎は思わず身をすくめたが――それでも首を傾けるようにして、ゆっくりと袋の中を覗き込んだ。


そして、次の瞬間――


そのゼリーの中から、《《人間の生首》》が浮かび上がった。


まるで寒天の中に封じられた蝋人形のようだった。

目は大きく見開かれたまま、今まさにこちらを睨みつけている。

表情には生々しい怒気すら宿っていて、息をしていないはずなのに「生きている」と錯覚してしまいそうだった。


頭には、武士特有の髷が結われていた。

凛とした顔立ちには気品があり――由緒ある侍のようにも見えた。


「後の二つも……?」

麟太郎の問いに、田辺博士はゆっくりと頷いた。


「……もしかすると、処刑された者たちかもしれん。あるいは、生贄……?」

口にした自分の言葉に、自身でも薄ら寒さを覚える。


誰が、何のために、三つの首をこの袋に――?

だが、記録も、証拠も、この時代には何も残されてはいない。


やがて丹波助手が、残された二つのコブを取り出すべく、袋の切開に取りかかった。

しばらくの作業ののち――

五百年の時を封じられていた“もう二つの首”が、ゆっくりと現代の光の中に露出した。


袋の中で、うつむいたまま後頭部しか見えていなかった生首に、

丹波助手がゴム手袋をはめた手でそっと触れ、慎重に回転させて、こちらへ向けた――。


「……えっ!」


その瞬間、田辺博士、丹波助手、そして麟太郎の三人が、まるで息を合わせたように同時に声を漏らした。

そして、顔を見合わせる。

その驚愕の表情には、言葉にできない“何か”が刻まれていた。


それは――坊主頭に、堂々とした口髭。

わずかにギョロッとした目に、ふっくらとした輪郭。

その顔つきは、まさに歴史書や肖像画で目にした“ある武将”の顔、そのものだった。


丹波助手は、その首をゼリーごとテーブルの上に立たせ、正面をこちらへ向けた。

目は見開かれ、口は大きく開いている。まるで、今にも何かを訴えかけようとしているかのように。


誰ひとり、声には出さなかった。

しかしその瞬間、三人の脳裏に――同じ名前が、鮮やかに浮かんだ。


武田信玄。


誰も疑わなかった。

ゼリーに塗れたその顔は、無言のまま、こう叫んでいたのだ。


―――《《わしが、武田信玄である》》。


……少なくとも、この場にいた三人には、確かにそう聞こえた。



手に付いたゼリー状の液体を、雑巾で拭きながら――

日向助手が、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。


三人の背後まで来て、肩越しにステンレスのテーブルの上を覗き込む。

そこで目にしたのは――目を見開き、こちらを見つめる《《三つの生首》》。

まるで晒首のように並べられていた。


「えええっ……な、なんなのよ、これ!?」

日向助手はまたしても、腰を抜かしそうになった。


カメラ越しにそれを記録していた麟太郎が、我に返ったようにぽつりとつぶやく。

「……でも、不思議ですね」


「ああ、不思議なことばかりだ。なぜ信玄公の首が……」

丹波助手が首を見ながら言いかけたとき――


「いや、それよりも」

田辺博士が、静かに言葉を割って入った。


「この首が、五百年を経た今でも――腐らず、溶けもせず、こうして残っていることのほうが、よほど不思議だ」


確かに、三つの首にはまだ艶のある肌が残っていた。

目は濁らず、血液も、全く凝固していない。

まるで――今もなお、それは息をしているかのようだった。

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