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戦国の封獣・壱 〜信玄と鬼の眠る湖〜  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第8章 過去から来た未来刺客?
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【1】 開腹、異物の臓腑

長野県警から警備に派遣された金田慎二(かねだしんじ)斉藤直之(さいとうなおゆき)は、懐中電灯を手に、建物の周囲を巡回していた。

二人とも、伸縮式の金属警棒を装備しており、肩から拳銃がぶら下がっている。


足元を照らしながら、作業員宿舎と湖の間を通り抜け、中庭へと向かう途中――

金田がふと足を止めた。


ポケットから煙草を取り出してくわえ、火を点ける。

煙を吐きながら顔を上げたそのとき、暗い湖畔で何か動くものが目に入った。


目を凝らしてよく見ると、それは――二つの人影だった。



水篠物産の社員、林と山本は、採集室で泥に埋もれていた遺物を丁寧に水で洗い流し、テーブルの上に一つひとつ並べていた。

部屋の壁際には、細長いテーブルが四つ横並びに設置されており、その上には白い布が敷かれている。


東峰部長は、そのテーブルにずらりと並べられた出土品を、黙って見つめていた。


石箱の内部は、まるでプールのような四角い空間で、林と山本が一メートル四方ずつ区切って分担し、地道に採取作業を繰り返していた。――気が遠くなるような手間のかかる作業である。


テーブルの上には、鎧、兜、槍、刀、鏃などが並んでいる。

――沢山の人骨のようなものもあった。

強く握ると、どれもが崩れてしまうくらいに脆かった。

取り扱いには極めて繊細な神経と、終始張りつめた集中力が求められた。


隣の解剖室では、田辺博士たちが孤軍奮闘を続けていた。

ついに田辺博士は、肘側に張りついていた平板状の“爪”の一枚を、慎重に取り外すことに成功した。

それは、見た目以上に鋭利な刃物のようで、扱いには細心の注意が必要だった。

博士はゆっくりと、その爪をステンレス製のテーブルの上に静かに置いた。


<補足図:右手のイメージ図>

挿絵(By みてみん)


取り外された内部から現れたのは、左手と同じ構造を持つ“右手”だった。

二本の指が並び、その少し離れた位置には、短くて太い親指のような突起が見える。


中は完全に密閉されていたらしく、湖水も、苔の類も一切入り込んでいなかった。

その密閉構造の精密さに、博士は改めて驚嘆の念を覚えた。


丹波助手は、田辺博士の指示を受けて、矢が深く刺さっていた左脇の下あたりから切開を開始した。


胸部や腹部の皮膚は、それまでいくらレーザーを当てても、まったく歯が立たなかった。

しかし――矢が刺さっていた左脇の下、その傷口からは、ゆっくりとではあるがレーザーの刃が進んでいった。

そしてまずは、作業の妨げとなる両腕を切断することができた。


だが、丹波助手をさらに驚かせたのは――

切開した脇の下から、流れ出てきた、黄色がかった緑色の血液。

しかも、それは想像を超える量だった。


通常なら、死後まもなく凝固するはずの血液が――

五百年もの時を経たというのに、まるで“ついさっきまで体内を巡っていた”かのように、寝かされた台の上から、とめどなく下へと流れ続けていた。


日向助手は、足元に広がるそのどろりとした血液を、水道水で床の下水口へと流しはじめた。

その量は、ドラム缶をひっくり返したかのようにも思えるほどだった。

……次第に、室内には異様な、生臭い匂いが充満していった。


丹波助手が左脇の下から腰骨のあたりまでを切り進めたその瞬間――

でっぷりと膨れた腹部から、臓物がずるりと外へ溢れ出してきた。


思わず丹波助手は、足を後ろへ引いた。

日向助手は、咄嗟に口元を手で覆った。


「うっわっ、ぷっ……」

と、カメラを構えていた麟太郎の口からも、押し殺したような(うめ)き声が漏れた。


その臓物は、台の上を滑り落ちて、床に転がった。

見た目は――米俵ほどの大きさだった。


丹波助手は、顔をしかめながら、そっと日向助手に目で合図を送った。

日向助手は、渋い表情のまま水道のホースを手に取り、距離を保ちながらゆっくりと近づいてくる。


「それを水で洗ってくれ」

丹波助手が短く声をかける。


日向助手は無言で頷き、ホースの先から水をかけた。

レバーのような色をした米俵型の臓器に、水が当たるたび、表面の浮き出た細い血管を露わにしていった。


その大きな米俵は、細い食道のような管で、腹の中からぶら下がっていた。

まるでサンタクロースのプレゼントが入った袋のように、何かが中に入っていて膨らんでいる。

そしてその重さで、腹内部から、つり下がっている細い管が伸び切って、千切れそうになっていた。


丹波助手は、大きな**筋鈎きんこう**のような器具を腹の奥へと押し込み、内臓の隙間を必死にこじ開けていた。

吊り下がった米俵状の臓器から伸びる細い管を辿っていくと、その先は――どうやら胸部を通り、あの異様な“顔”の喉元へと繋がっているようだった。


そのとき―――


「……何っ!?」

腹の奥を覗き込んだ丹波助手が、思わず声を漏らした。


背中側に寄った位置に、胃や腸と思しき食道や気管が、**《これとはまったく別に》**存在していたのだ。

(ということは……これは胃袋じゃないのか?)

丹波助手は、重たげにぶら下がる袋状の臓器へと、改めて視線を向けた。


たしかにその“米俵”のような臓器は、袋状で、下部は閉じられていた。

このままでは、たとえ何かを取り込んでも――消化後の排出ができない。

明らかに“通常の内臓”とは構造が異なっている。


丹波助手は、それ以上、腹腔を広げるのはひとまず諦め、ぶら下がったその奇怪な“米俵”の調査へと切り替えた。



田辺博士は、取り外した一枚の平版の爪を、やや大げさなほど慎重に調べていた。

それは、まるでカミソリのような切れ味だった。

深夜のTV通販番組に出てくる、「トマトも潰さずスゥーッと切れる」、そんな何でも良く切れる包丁の様に、軽く触れただけで、簡単に指が落ちるほどの鋭い(やいば)であった。


その爪を固定し、さまざまな実験を試みた。

しかし――薄く、軽いにもかかわらず、ドリルで削ろうとしてもかすり傷すらつかない。

その異常なほどの強靭さに、田辺博士は、地球上の物質ではないように感じていた。


―――五百年前の生き物。地球上の物質ではない爪。


科学の言語では記述できない“存在”を前にして、田辺博士は思った。


「……こんなもの、誰に報告すればいい?」

冷や汗とともに、胸の奥にわき起こるのは、研究者としての狼狽か、それとも…未知に対する密かな歓喜か……。

現実が崩れ落ちていく音が、確かに耳元で鳴っていた。



腹の中からぶら下がっていた、米俵のような臓器――そこから伸びる、へその緒のような管を、丹波助手は大ぶりのメスで力任せに断ち切った。

次の瞬間、外皮とは対照的に、意外なほどあっさりと切断された管からは、透明なゼリー状の液体が勢いよく飛び散った。


「きゃーっ!」

日向助手が短い悲鳴を上げた。

ゼリーは彼女の白いスラックスに直撃していた。


もしこれがSF映画のワンシーンだったら――きっと白煙が上がり、彼女の足は溶け落ちていたに違いない。


丹波助手は、滑り止め付きの分厚いゴム手袋にゴム長靴、さらに丈の長いゴム製の前掛けまで装着し、完全防護だった。

床の上に透明な液体が流れ出し、幾分萎んだ米俵を、丹波助手は両手で慎重に抱え上げ、別のステンレス製のテーブルの上へと移した。


“萎んだ”とはいえ、その質量と大きさは、まだ象の胃袋のようだった。


「ちょっと、気をつけてよ!」

日向助手がスラックスについたゼリー状の液体を、流し場の雑巾で拭きながら歩いてきた。


「それ、胃袋なの?」

「あれが胃液だったら、とっくに君の足は無くなってるよ」

丹波助手は、謝る様子もなく、皮肉混じりに返す。


ステンレスのテーブルの上では、米俵のような臓器が、萎んでいた。

だが、よく見ると内部に三つのコブがあり、まるでラクダの背中――あるいは巨大な落花生にも似ていた。


丹波助手は、中のものを傷つけないよう細心の注意を払いながら、しぼんだ“それ”にそっとメスを入れる。


日向助手は少し距離をとり、ハンカチで顔を庇っていた。

――次に、何が飛び出すか分かったものではなかった。

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