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戦国の封獣・壱 〜信玄と鬼の眠る湖〜  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第7章 星空に静かに抱きしめる夜
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【5】 死してなお、科学を拒む身体

田辺博士は、自身の知識と経験では到底説明のつかない異物を前に、胸の奥底に、言いようのない不安がじわじわと広がっていくのを感じていた。


耳の下――その小さく開いた穴の中には、細くて硬い体毛のような“ひげ”が、規則正しく並んでいた。


博士が、手袋をはめた指をそっと穴へ差し入れようとした――そのとき。


「ちょっと、待ってください!」


背後から、日向助手が血相を変えて叫んだ。

その甲高い声は、白く沈んだ室内に鋭く反響した。


「……本当に“死んでる”んですか? それ、何かの“スイッチ”なんじゃないですか? 押したら……この“ロボット”が動き出したりしません?」


「……ロボット?」

丹波助手が、その突飛な言葉に怪訝な顔を向けた。


「だって……」

日向が口を開きかけた瞬間、丹波が苦笑まじりに言葉をかぶせた。


「五百年前の“ロボット”だと?」


その口調には、呆れと皮肉がにじんでいた。


「だって、そうでしょう。五百年も経ってるのに、全然腐敗してないのよ? 

最初に見たときから、わたし、これ……“死んでない”ような気がしてたの。

もし死んでるっていうなら、これは最初から“生き物”じゃないわ。ロボットとか、そういう……」


「ロボット? 何言ってんだよ。

侍が刀振り回してた時代に、誰がそんなもん造れるんだ。しかも何のために――」


「ちょっと待ちなさい」


ふたりの言い合いを、田辺博士の一声が制した。


「私の見たところ、これはロボットではない」

田辺博士は静かに断言した。


「じゃあ、なんで腐敗しな――」

「まあ、待ちなさい」

日向助手の言葉を遮り、博士は続けた。


「この“謎の生物”は、確かに生き物だ。だが……どこか、人工的な細工を施されているようにも見える。あの三枚爪も、耳の後ろの丸い穴も……不自然すぎる」


「でも、だったらどうして! 死んでから五百年も経ってるのに、どこも腐ってないんですか!?」

我慢しきれず、日向が食ってかかるように問いただした。


日向助手は、明らかに動揺していた。

そして――何よりも、怖かった。

この怪物が“生きていて”、今にも立ち上がるのではないかという想像に、内心は怯えきっていた。


あまりにも現実離れしたこの状況の中、自分ひとりの知識や理屈で納得するのは、とうてい不可能だと悟った。

だからこそ、田辺博士の口から――この異形が「確かに死んでいる」という、はっきりとした説明を聞きたかった。

日向助手にとっては、目の前に横たわるこの怪物の存在自体が、大きな矛盾であった。


「死んで腐敗しない理由には……いくつかの可能性が考えられる」

田辺博士は言った。だが、その声には、どこか迷いが混じっていた。


「たとえば――死後、体内が外界と完全に遮断されて真空状態になり、空気中の細菌やバクテリアが一切入らなかったとか。

あるいは、死後すぐに体温が急激に下がって、冷凍状態に近いまま維持されたとか……」


語る内容こそ科学的だが、どれも現実味には乏しかった。

田辺博士自身、その仮説に確信を持っている様子はなく、口元には微かな逡巡が滲んでいた。


「では、この体は?」

丹波助手が鋭い口調で問い、怪物を指さした。


田辺博士は、横たわるその右肩にそっと手を置き、言った。

「皮膚なら、どうにでもなる。たとえば本革のベルトやバッグ、靴だって、腐らずに長く保つことができる。

生きているうちに、何らかのコーティング処理を施していたとすれば――このワニのような皮膚なら、そのままの状態で残っていても、不思議じゃない」


「では、中はグチャグチャに腐ってるってことですか?」


「それは……開いてみないと、何とも言えない」

田辺博士はそう答え、不安げな表情の日向助手をちらりと見た。


そして、落ち着いた声で続けた。

「いずれにせよ、この穴がスイッチになっていて、押したら怪物が起き上がる――そんなことは、まず考えにくい」


そう言うと、博士はためらいなく、手袋をした指を小さな穴へと差し込んだ。

中には、無数の“髭”のような繊維がびっしりと並び、思っていた以上に硬くざらついた感触が、指先にじわりと伝わってきた。


そのとき――


「……これはっ!」


「どうしました?」

丹波助手が思わず身を引き、緊張した声を上げた。

背後では、日向助手もギクッと肩を震わせる。

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