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戦国の封獣・壱 〜信玄と鬼の眠る湖〜  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第7章 星空に静かに抱きしめる夜
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【4】 解剖室、異形の胎動

諏訪湖は、静寂の闇の中にすっぽりと沈んでいた。

石箱を照らすライトの明かりで、湖面にわずかに揺れる波が、かすかにきらめいている。

遠くの山影も黒く溶け、空には鈍くまたたく星の群れが、水面の延長のように広がっていた。


その石箱のすぐ脇――作業員宿舎の裏手には、仮設トイレが三つ、無造作に並んでいる。

そのうちのひとつに腰を下ろし、現場責任者の――羅生門 源次(らしょうもん げんじ)は、ひとり煙草をふかしていた。




古代生物学者・田辺博士をはじめとする三人は、解剖室で解体作業を続けていた。

傍らではカメラマンの麟太郎が、額に汗をにじませながら、必死にビデオを回している。


解剖室の中央には、天井から数本の鎖が垂れ下がっていた。

フグのように吊るし、立たせた状態で調査を行うための装備だ。

それは、異形の生物が出現した際に備えられたものだった。


その奥――金属製の頑丈な台の上に、巨大な熊のようなものが仰向けに横たえられていた。

体長は二メートルを優に超え、全身に髪の毛や体毛は一切見られない。

その皮膚は、カバのようでもあり、ワニのようでもあった。


だが、何より目を引くのは、その“頭”の位置だった。


それは、人間のように首の上にあるのではない。

頭部は肩と肩の間、胸の中央から前へ食い込むように突き出しており、まるで猫背のせむし男が顔を突き出しているかのようだった。


正面から見ると、両肩の三角筋が異様に盛り上がり、本来首があるべき位置には、ぽっかりと深く窪んでいた。

そして、不気味な顔をつけた頭部は、まるで猫背のせむし男のように、前へとせり出していた。


膝のあたりまで届く、二本の異様に長い腕と、熊のように太くて短い二本の脚がある。

全体の構造から見て、おそらくは二足歩行が可能な生き物だと思われた。


左手の指は三本。短く太い指の先には、鋭い三角形の爪が生えている。

足の指は四本あり、地面をしっかりと掴むような形状をしていた。

ただし右腕の肘から先は、金属質のようなカバーで覆われており、中は見えなかった。


目は閉じている。大きく低い鼻が、顔の中心にずんと乗っていた。

口は大きく開いており、上下には鋭い歯がびっしりと並んでいる。

その中でも、下あごの両端から突き出す二本の巨大な牙が、異様に目を引いた。


耳もまた大きく、頭の上部からコウモリのように逆さにぶら下がるような形でついている。

そして、額から頬にかけては、まるで皮膚が縮んだように、幾重にも皺が連なっていた。気味の悪い顔だった。


全身の皮膚は硬く、弾力のないダンプカーのタイヤのような感触だった。

色は濃い緑に近く、光の下ではほとんど黒にも見える。


金属性のタワシに擦られて、苔や、貝などは、きれいに洗い流された。

よく見ると、その体は、どこも腐敗していなかった。


その体には、弓の矢が三本、突き刺さっていた。

うち二本は浅く、柄のほとんどが崩れ落ち、かろうじて鉄製の鏃だけが残っている状態だった。

しかし、残る一本――左腕の付け根、脇の下あたりに深く突き刺さった矢だけは、柄の大半が体内にめり込んでいた。

他には外傷はなく、この矢が致命傷になった可能性は十分にあった。


田辺博士は、その熊の右腕に注目をした。

左手には、がっしりとした親指と二本の太い指が確認できた。だが――右手は、外からはまったく見えなかった。


――右腕は、明らかに奇妙な構造をしていた。


肘のあたりから、三枚の大きな爪のような突起が伸び、まるで手首の“カバー”のように、右手全体を包み込んでいる。


うち二枚は、腕の内側――つまり体に面した側にあり、手先の方向へと滑らかに湾曲していた。

それらが合わさると、まるでボートの底板のような形を成している。


もう一枚は、腕の外側――肘の背面に沿って、尖った平板のようなものが張りついており、内側の二枚に覆いかぶさるように蓋をしていた。


その三枚の爪は、先端でぴたりと閉じ合わさり、まるで尖ったドリルのような形状をなしている。

この“装甲”のような構造を開かなければ、その内側――右肘から先の“腕と手”を見ることはできなかった。


そのとき――


「博士! これを見てください!」

怪物の頭部を調べていた丹波助手が、驚いた声を上げた。


台を挟んで向かい側にいた田辺博士は、顔を上げるとすぐに歩み寄った。


「どうした?」


「これを」

丹波が指差す箇所を、博士が腰を屈めて覗き込む。


「……な、なんだって!?」

田辺博士は一瞬、言葉を失った。

目を見開いたまま固まり、そして、ひとつ息をのむと、助手の顔をまじまじと見返した。


怪物の胸の前にある頭部――人間でいえば左耳の少し後方に、小さな丸い穴がひとつ開いていた。

それは、まるで人工的に開けられたかのように滑らかで、明らかに他の生体部分とは質感が異なっていた。


田辺博士は眉をひそめると、眼鏡を外し、老眼鏡の厚いレンズをハンカチでぬぐった。

それをかけ直すと、ポケットから取り出したペンライトの先をくるりと回し、穴の中へと光を差し込んだ。

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