【2】 封印の間、それぞれの思惑
現場には、内箱を採集室の穴へと慎重に降ろし終えたあとも、もうひとつ重要な作業が残っていた。
右手にそびえる二基のクレーン――いまも巨大な石蓋を垂直に支えているその機体に、龍信と源次、そして彗と翔太の四人が再び集まり、入念な補強作業に取りかかっていた。
「しっかし……でかいっスね、これ」
ワイヤーを締めながら、翔太が頭上を見上げる。
「縦が二十メートル、横が十二……か」
彗が目を細め、呆れたようにぼそりとつぶやく。
「体育館の床ごと、丸ごとひっくり返したみてぇだな」
源次が苦笑いを浮かべながら、汚れたグローブを外した。
「しかも一枚岩だ。……どんだけの重量よ」
龍信が唸るような声で言う。
「そりゃあ、地鳴りもするわけっスよ……」
翔太が再び、そびえ立つ石蓋を見上げながら呟いた。
作業員たちは、それぞれ持ち場のワイヤーや補強具を確認しながら、石蓋が僅かにでも揺れないよう、巨大なクレーンに固定を施していった。
「……よし。これで倒れてくる心配はねぇな」
龍信が最後に声をかけると、全員が無言で頷いた。
夕闇が静かに湖畔を包みはじめ、微かに冷たい風が現場を吹き抜けていく。
「今夜のビールは、うまいっスよね」
翔太が後ろを振り返りながらニヤリと笑う。
「ダメだ! まだ、始まったばかりだろ」
源次が即座にピシャリと返す。
「全部終わったら、俺のおごりだ」
龍信が苦笑混じりに続けた。
「うほーい!」
二人の元気な声が、静まりかけた湖畔にぽつんと響いた。
作業を終えた四人は、工具を手早くまとめると、肩を並べてプレハブ宿舎の方へと歩き出した。
その背後では――
源次の身長の約2倍、高さ3.5メートル。
横幅12メートル、奥行き20メートルという“巨岩の箱”が、ぽっかりと口を開けたまま、静かに、しかし圧倒的な存在感でそこに鎮座していた。
建物内部には、ただ広いだけの静まり返った採集室が広がっていた。
先ほど石箱が搬入されたばかりだというのに、そこにはどこか、長年封印されてきた“祭壇”のような空気が漂っていた。
石箱は、正確に掘り抜かれた四角い穴にぴたりとはめ込まれている。
だが、箱の蓋だけは、まるで別の意図があるかのように、材質が異なっていた。灰色がかった脆い岩。外殻と違い、容易にドリルが通る。
「箱は硬質な岩盤なのに、蓋だけが……」
鎖を取り付けながら、林がぼそりと呟いた。
「なにかの意図があるのか……?」
鉄骨で補強された天井部から垂れる四本の鉄鎖が、まるでその箱の運命を担ぐ鎖のように、蓋の四隅に接続されていく。
音もなく張られたその鎖の一本一本が、封印を断ち切る「儀式の鍵」のように見えた。
「準備、完了です」
林が短く合図を送り、部屋の隅に立つ東峰部長が頷く。
そう、先ほど“わがまま娘”に『つるちょびん』と呼ばれた部長である。
東峰部長が静かに、制御盤のスイッチを押した。
天井の上部で、定置型ウインチのモーターが低く唸り始める――。
たるんでいた鎖が巻き取られ、四方からピンと張り詰める。
石蓋が、音を立てずに、しかし確実に――
水平を保ったまま、ゆっくりと持ち上がっていく。
五百年間、諏訪湖の底で沈黙を守り続けてきた“パンドラの扉”が、いま――静かに、その封を解かれようとしていた。
この採集室に石箱が据えられてからというもの、部屋への出入りは厳重に制限された。
現場作業を担った賀寿蓮組の龍信や源次ですら、もうこの中に入ることはできない。
ここで起こるすべては――企業の最上位機密、トップシークレットである。
多忙な水篠会長は、現場での形式的な挨拶を済ませると、すぐに社用のヘリコプターで本社ビルへと戻っていった。
もしも、箱の中から“何か”が発見された場合には――
東峰部長が、ただちに携帯電話で会長に報告を入れる手はずになっている。
その際は、水篠会長自身が直ちに現地へ駆けつける予定であった。
……それは、先に東京へ戻ったチャンネル9の一条常務も同じである。
では、“何か”とは何か。
もちろん――武田家の財宝。
金銀、あるいは歴史的価値を持つ秘宝のたぐいである。
その安全を確保するために、長野県警からは現職の警察官二名が派遣され、夜通しの現場警備にあたることが決まっていた。
カメラマンの麟太郎は、邪魔にならないように部屋の隅へ下がり、淡々と――しかし確かな手つきで、その一部始終をカメラに収めていた。
他局は全てシャットアウト。
これこそが、チャンネル9というサブスポンサーに与えられた、数少ない“特権”である。
レポーターの碧は、そんな麟太郎から少し離れた場所に立ち、窓越しに外の湖畔を眺めていた。
陽はすでに落ち、諏訪湖の向こうには、深い闇が静かに広がりはじめている。
一方、麟太郎の前では――古代生物学者の田辺博士と、その助手である丹波と日向の三人が、身じろぎもせず、固唾を飲んで石蓋の開封を見守っていた。
彼らの関心は、金銀財宝などではない。
箱の中から現れるかもしれない、“古代の生物”――
あるいは、その死骸や骨の一片でもあれば、それを科学的に解明し、歴史の空白を埋める手がかりとすることが、彼らの役目であり、使命でもあった。
どんなに小さなものでも、絶対に見逃すまい――
そんな緊張が、博士らの眼差しにははっきりと宿っていた。
だが、それとは対照的に――
この場にいないスポンサーたちが望んでいるのは、もっと分かりやすく“価値”と呼べるものだった。
金。銀。あるいは、武田家にまつわる伝説の秘宝。
この“石箱”がもたらすものが、「知」か「金」か――
いま、この場で、その運命の封が、切られようとしていた。
しかし、わずか数時間後――
そんなものをすべて粉砕してしまう事態が起こるなど、
この時はまだ、誰一人として、想像すらしていなかった。




