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戦国の封獣・壱 〜信玄と鬼の眠る湖〜  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第3章 道化を演じる偉才の貴公子
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【5】 ジャッカルと、慈悲の説法

碧は、すっかり時貞に謝るのを忘れていた。というのも、当の本人が、わざと謝る隙を与えない雰囲気を作っていたからだ。


一織がカレーまんの残骸をすべて袋に詰め終わり、立ち上がってぽつりと付け足した。


「四郎の家族って、ほんと変わった名前ばかりなの。だから四郎自身も、何にでも名前を付けたがるのよ。今度はカブト虫に“ヨネ松くん”だもん」


碧は思い出したように微笑みながら言った。


「……ああ、ジャッカルくん、とかもね」


その瞬間だった。


「ジャッ……カッ……ルゥゥ~~~~~ッッ!!!」


一織の顔色が変わった。額に青筋を浮かべながら、文字通りの怒気をこめて名を叫ぶ。


その怒号に、時貞の肩がビクリと跳ねた。背を向けたままのその顔は、見る間に青ざめていく。


かた結びされたコンビニの袋――中にはカレーまんの残骸がぎっしり詰まっている――が、時貞の後頭部めがけて一直線に飛んできた。


しかし時貞は、背を向けたまま、まるで第六感でも働いたかのように、頭をヒョイッと傾けて紙一重で回避。


袋はそのまま、スペースシャトルさながらの軌道で一直線に飛び、目の前の壁に衝突――そして、儚くも崩れ落ちた。


次の瞬間――

一織が鬼の形相で立ち上がり、時貞の襟首をガシッと掴んで強引に振り向かせた。


「四郎、碧さんに何したのよ! 今度はどこ掴んだの!? ねぇッ!」


まさに雷落ちる勢いの詰問に、時貞は首をブンブン振りながら、顔を真っ赤にして酸欠寸前。


「な、何にもしてない! してないしてない! これから……」


慌てて口を押さえ、途中で言葉を飲み込む。


「もう、今回だけは本っ当に許さないから!」


一織が怒気を帯びたまま碧に顔を向ける。

その隣では、時貞が必死で首を左右に振り続けている。


――最年少の天才歴史考古学者、神童時貞。

この瞬間ばかりは、完全に一織の前で無力だった。


「え、どうしたの?」


碧はぽかんとしたまま、小首を傾げた。一織の怒りの理由が、まるで見当もつかない。


すると次の瞬間――


「わたしはね、ジャッカルに思いっきり! お尻を握られたのよ!」


一織の爆弾発言に、碧の脳内に火花が走る。


(……あっ! あの右手の“ジャッカル”って、まさか、そういう……!?)


すべてを察した碧の顔が、みるみる引きつる。


「ちょっ……ちょっと待って……!」


と、時貞があわててジャッカルを一織の腰に回し、なだめるように言った。


「落ちついて。このヨネ松くんを、よーく見てくれ」


左手でカブトムシ(ヨネ松)を掲げて、真剣な顔。


「……はあ!? なんで今、カブトムシなのよ!?」


一織は、もはや怒りのマグマの中で完全にブチ切れていた。


時貞は、どぎまぎしつつも、一織の圧に屈するまいと口を開いた。


「このヨネ松くんの体を良く見てごらん。角が生えてまさに戦う為の体をしている。 ……まさに“空飛ぶ戦車”ってやつだ。だけど、メスには角がない。……なぜだと思う?」


返事はない。一織は腕を組んだまま、無言で時貞を見下ろしている。その目は、完全に納得する気配がない。


碧は少し後ろで、黙って二人を見ている。

失礼がないように、必死に笑顔を作っているのだが、顔が不自然に強張っていた。


「メスには、戦う必要がなかったんだよ。いざという時は、オスが助けに来てくれたから。――それだけ、役割が明確に分かれていたんだ。こんな小さな虫にすらね」


そう言って、時貞はゆっくり顔を上げ、両手を大きく広げた。


「でも――人間はどうだ!? 男には、《《牙も角も無い》》!」


時貞は叫ぶように言いながら、手を広げたまま、今度はその手を胸に当てた。


「人間の男と女の違いなんて、生殖に関する部分だけだ。男には、戦うための武器なんて、最初から与えられていなかった……。じゃあ、女のために戦うこともできないのか?」


一拍おいて、目を見開く。


「――答えは、ノーだ!」


二人は半ば呆れて立っている。

碧も強張った笑顔を続けていた――顔が怖い。


「男はね、武器の代わりに“勇気”という力を授かったんだよ」

と、時貞は胸に手を当てて、力説を続けた。


「愛する者のために、命を懸けてでも守り抜く――そんな勇気が、この胸の奥には溢れるほど詰まっている! そして、女には……優しさと、思いやりが……」


もう一織は、完全に怒る気力を失っていた。腕を組んだまま、天を仰いでいる。


碧はというと、タイミングを見計らって、この部屋からどう“自然に”逃げ出すかだけを考えていた。


「神は、女性にね、何よりも尊い“慈悲の心”をお与えになったのだよ」

と、時貞は遠い目をしながら語る。


「なぜそんな心が必要だったのか? それは、男という生き物が、途方もない愚かさで――数々の過ちを繰り返すことを、神が知っていたからだ。そしてその過ちを、女の寛大な慈悲で許すようにと……」


すっかり自分の世界に酔いきった男は、部屋の空気の重さにも、二人の視線の痛さにも気づいていない。

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