タイトル未定2025/02/15 17:01
1話完結の短編です。
ご覧いただきありがとうございます。
最後までお楽しみいただけたら幸いです。
初めての王都。今日は年に一度の祭りで、町は人で埋め尽くされている。
一緒に来た婚約者のリアムは、今日も今日とてぶっきらぼう。
ついてこいと言いながら、半ば強制的に連れて来られたのに、振り返りもせずズンズン歩を進める。
そんなに嫌なら、初めから私を利用するだけにして、手を取らなければ良かったのに。
責任感と後ろめたさから、ここまで付き添ってくれただけだったのね。けれど、好きでもない私とは目すらも合わせはしない。
知らぬ間に視界が膜を張り歪んでいく。自然と歩む速度が落ちていく。
必然的にリアムとの距離も大きくなる。
私にこれっぽっちも興味がないから、リアムは二人の間隔が開いた事に気づきもしない。人混みの彼方にリアムの黒髪だけが揺れていたけれど、遂には黒い小石ほどに小さくなった。
賭けをしていた。
あの菫色の瞳を、こちらに向けてくれたなら、踏みとどまろうと。好かれていないにせよ、嫌われてもないのだと。そうしたら今一度想いを伝えよう、玉砕覚悟だとしてもこの気持ちは昇華できる。そんな淡い希望。
けれど実際は好き嫌い以前の問題で、全くの無関心。完敗だ。
分かってはいた。
ここ最近、貴方の瞳に私が映る事はなかったから。
貴方には大切なものが沢山あるもの。家族に友人、そして可憐な従妹。私が入り込む余地など見当たらない。
ね、リアム。
初恋という残滓が其処彼処に見え隠れしているのを、立ち止まり丁寧に払い落とす。
肩に手のひら、指先も。念入りに。
拭き取る度に淡い光がきらきらと増していく。
今ではこんなだけど、出会った頃はリアムが不器用な笑顔を覗かせる時もあった。
当然、私に向けられたものではなかったのだと今では分かるけれど、あの時は勘違いしてしまったの。その表情を見れただけで、私しか知らない秘密が出来たように、眩しくて温かくて、大事なものが増えていったわ。とても大切な想い出として、今後の生きる糧にしようと思う。
振り向いて貰えなかったけれど、幸せな日々だった。
それも今日でお仕舞い。
「ありがとう、リアム」
もう見えなくなった後ろ姿に、そっと呟いた。
◇◇◇
幼い子にありがちな魔力暴走。使い方が分からず、小さな身体に少しずつ溜め込んでしまい、限界を迎える。呼吸と共に外に排出させてあげれば、青白かった顔色に血の気が戻る。
良かった、成功。ほっと胸を撫で下ろす。気が緩んだのだろう。認識阻害に綻びが生じたのに気付かなかった。
「…いやだ。ひとりにしないで。もう少しだけ一緒にいて?」
小さな白い手がリゼットの袖を掴んだ。そうだった、かくれんぼは何時も真っ先に見つかっていたっけ。優しくそっと両手で抱きしめた。
「もう大丈夫、私がそばにいるから」
やつれた顔に笑顔が零れた。
◇
領地も王都の屋敷も隣同士という事もあって、リゼットとは幼い頃から当たり前のように一緒に過ごしていた。
初めて会った時、天使なんだと思った。うろ覚えだけど、暗闇に呑み込まれそうになっていた僕を、リゼットが救い上げてくれたんだ。そこから彼女と離れるのが怖くなった。
婚約者を選べといわれた時、リゼットが良いと父上に言った。あっという間に現実のものとなり、天にも昇る気持ちになったのは内緒だ。
何処へ行くにもリゼットと一緒、彼女の手を握り締め互いの屋敷を行き来して交友を深めていった。けれどある時から、従妹のリナが付いて来るようになった。何でもリナの父親は商人で、諸国を旅して不在にしがちで寂しい思いをしていると聞いた。可哀そうだからと無下にも出来ず、三人で過ごす様になっていった。
リゼットと手を繋ごうと思ったのに、その間に割って入ったリナが腕を掴んで離してくれない。リゼットが良いのに、そう目で訴えたけれどリゼットは一歩下がってしまった。
「リナ、令嬢としてはしたないよ。手を放してくれないかな」
「そんな、リナ、まだ分からない事が多くて。叔父様が言ってくれたの、お義兄さまが教えてくれるって、だから…私」
これでもかと眉尻を下げ、瞳を潤ませた。またこの表情か。離れて欲しいと遠まわしに言葉を選ぶと、毎回この状況になる。
忌々しい。可愛いとでも思っているのだろうか。一度強めに拒絶をしたら、大泣きされ手が付けられなくなった。両親にも注意されてしまい、仕方なく優しく断るようにした。けれどリナが引き下がる事は無いから、結局面倒を見る羽目になっている。
リゼットにも声を掛けるのだが、必ずリナが邪魔をする。
「リナが生まれたあと直ぐにお義兄さまが抱っこしてくださったんですよ。可愛い可愛いと中々離してくださらなかったとか。私も全然泣かなかったみたいで、うふふ。運命ですよね、これ」
そんな話は聞いた事がない。
「リナ、嘘は良くない」
きちんと否定はしたのだが、さも真実の様に話を膨らませる。これ以上、声を荒げればきっとまた泣くのだろう。リゼットだって逆に誤解を招きそうでもある。
「お義兄さま、照れなくても宜しいのよ。あの様子をみた叔父様叔母様とうちの両親が将来結婚させたらって言ってたって」
態とリゼットが知らない話題をしているのだろう。この間、リゼットは微笑むしかないのに。こんな話を信じない事を祈るしかない。リナが帰った後で、きちんと説明しなければ。
けれどリナはリゼットが居る間は居座り、リゼットと同時に帰って行く。リナが本当に厄介な奴だと分かった時には、リゼットとのすれ違いは大きくなった後だった。
知らなかった。
帰る道すがら、リナがリゼットにとんでもない事を吹き込んでいたらしい。
私とリナが両家祝福の元、婚約を結び直すのだと。優しさから中々言えない私に変わり、リナから話をさせて貰ったと。
初めのうちはリゼットも
「リアムから直接聞いてないので」
とリナの嘘に見向きもしなかったが、余りにも私と話せない事に加え、二人の時間に毎回リナが同席する上に私の腕の纏わりつくのを見て信じざる得なかったのだろう。
リゼットの心が揺れ動いているのにも気が付かず、きっと大丈夫だと何の根拠もない自信に胡坐をかいていた。
◇◇◇
「リゼット!」
いきなり消えた彼女の気配に、形振り構わず声を荒げ思わず振り返った。どんなに人が多くとも、リゼットの気を読み間違える事はない。だというのに、何が起こったのか理解が出来ない。
人混みを掻き分け見失った辺りへと駆け寄った。
僅かに残ったリゼットの気が今、正に消えていくところで。
全力を振り絞り駆け寄る。これを逃したら手掛かりは無くなるような気がして、不安が脳裏を掠める。何とか間に合い縋るように右手を伸ばし、手の内へと閉じ込める。
けれど努力も虚しく、掌からすり抜ける様に零れ落ち消えてしまった。
脇目も振らず辺りに目を向ける。祭りを楽しむ人を掻き分け、肩がぶつかり何処見てんだと突き飛ばされたのも一度や二度では無かったけれど、構っている余裕などなかった。
探しに探した。白銀の長い髪と吸い込まれそうになる深緑の瞳を持つ彼女を。もう一度見る事が出来たなら、リナに気を遣うのはもう止めだ。照れたり捻くれたりせず本能のまま、この腕の中に閉じ込めようと誓いながら。
けれどその決意も虚しく、何処にもリゼットは居なかった。忽然と消えてしまったのだ。
喧騒の中、一人佇み道行く人を見送るしか出来なかった。
その後、どうやって帰ったか記憶は定かではないが、気が付いた時には見慣れた天井が視界に入った。
「リゼット!彼女は何処だ!」
飛び起きて辺りを見渡した。傍に居たのは従妹のリナと侍従が一人。
「お義兄様!」
椅子に座っていたリナが駆け寄ろうとするも、慌てた侍従が彼女を制しリアムを寝台に戻しながら扉に向かって声を掛けた。
「リアム様が目を覚まされた。旦那様にお知らせしろ!」
その後、慌ただしい足音と共に両親が揃ってやってきて、私の顔を見るや否や安心したように笑顔を見せた。リナは涙を流しながら何度も近づこうとするので、部屋を追い出された。廊下からは甲高い声が響いていたが、終いには遠ざかり聞こえなくなった。
「祭の最中、急に倒れたそうだ。具合が悪いのに我慢できずに参加したのか?もう子どもではないのだから、体調管理はしっかりするように。まったく、肝が冷えた。スチュアートが傍に居たから良かったものの。礼を言いなさい」
リアムを促すべく、ちらりと視線を侍従に向けた。
「父上、リゼットは何処ですか?」
痺れを切らし、半ば催促するように食いついた。
「もうそんな年になったのだな。お前に良い人が居たとは知らなかった。祭りの最中にも一緒に居たのか?」
感慨深そうに小さく頷く父にスチュアートは「お一人でした」と首を横に振った。
「父上、何を仰っているのですか。スチュアート、お前もだ。幼馴染で婚約者のリゼット嬢、よく遊びに来ていたでしょう?」
両親と侍従は困惑気味に眉尻を下げた。
「病み上がりで魔力が不安定なのだろう。幻覚でも見たのではないかな」
「家族ぐるみで交流があったではないですか!」
父は左の眉だけを僅かに上げて、横目で此方を見る。
「家名は?何処の御令嬢だ」
そこへ来てリアムは、はたと気づく。
リゼットはリゼットで、いつも近くに居てくれた。けれど訪れた事があるはずの領地や家は疎か、何度も会っていた彼女の両親さえも霧がかかったように思い出せなくなっていた。
嫌な汗が背中を伝う。
「ある程度は自由に婚約者を決めて良い、そう思っているが平民では伯爵家に相応しくない。もう一度、よく考えなさい」
「お母様に任せてくれるなら、とびきりの御令嬢を紹介してあげられるわ。その気になったら声をかけて頂戴」
ゆっくり休んでしっかり治すようにと釘を刺し、両親は部屋を出て行った。
残されたリアムを寝台へと押し込んだスチュアートが去り際に振り返った。
「リアム様、この国の貴族令嬢に、リゼット様と仰る方はいらっしゃいませんよ」
「なっ…」
「残念ながら、リアム様と御交流のある御人の中にもいらっしゃいません。…失礼いたします」
スチュアートが出ていくと、重たい静けさが部屋中に立ち込めた。
◇
「グウェナエル様!リゼットはまだ寝ているの?」
淡い金髪と透き通る水色の瞳を持つ少女が、此方に目掛けて走ってきた。グウェナエルと呼ばれた壮年の男は優しく頷いた。
「あぁ、まだ当分起きられないだろうから邪魔をしては駄目だよ。もう少しゆっくり寝かせてあげようじゃないか。リゼットは力を使い過ぎてしまったんだ」
「例の子、大分弱っていたものね。こんなことになるなら、あの時、死んじゃえばよかったのに」
「そんな事を言ってはいけないよ。リゼットの努力が無かった事になってしまうじゃないか」
ぷくりと頬を膨らませて、尚も不満気に続けた。
「だって、あの子ったら助けてもらったくせにリゼットへの態度。酷いじゃない。リゼットが良いと言っても、私は絶対許さないわ」
ゆっくりと少女の頭を撫でれば、吊り上がった目尻が僅かに下がる。
「イネスは優しいね。彼は彼で素直になれなくて空回りしてしまったんだよ。リゼットに悪意のある少女にも翻弄されていたんだ。ある意味、彼も、被害者なんだよ」
「でも…」
やはり許せないか。分からないでもないのだが、大人になり切れなかった憐れな男を憎み切れない。
「この先、彼とリゼットの未来が交わる事はもう無いのだから、あの子に恨み言なんて必要ないさ。それよりリゼットが目覚めたら、とびきり温かく迎えてあげようじゃないか」
「恥ずかしいから突き放しちゃうなんて莫迦よね。失くしてから気付くなんて、ほんと間抜けもいいとこだわ」
「…あぁ、全くだ。人族は昔から変わらないものだな」
自分に祈りを捧げる者が現れたと、溢れる笑顔で話してくれたリゼット。これで漸く一人前になれたとクルクル廻って喜んでいた。本当に嬉しそうにするものだから、此方も思わず笑みが零れた。
「絶対守ってあげるわ。何しろ一番最初の子だから」
「あぁ、そうだな。初めの一歩は大切にするといいさ」
古からの決まり文句を贈ったのを後に悔やむ事になるとは思わなかった。
穏やかな日々は、ある事件を境に急変した。
青い顔をしたイネスが慌てながらやってきた。
「グウェナエル様、どうしよう、リゼットが!あの子の初めの一歩が!」
気が動転して支離滅裂なイネスを落ち着かせ、よくよく聞けばリゼットの初めの一歩が魔力暴走しているようだ。命の危機に瀕した彼を助ける為に人族の世界に行くと言って聞かないそうだ。他の者達がギリギリの所で引き留めてはいるが、何時飛び出してしまってもおかしくないとイネスは泣いている。
「リゼット、待ちなさい」
「グウェナエル様、私はもう決めたの!行くったら行くわ。止めたって無駄なん…」
「行っておいで」
絶対に引き留められると思っていたのだろう。驚いて私を見たまま動きを止めたリゼット。彼女の頭を静かに撫でれば、少し落ち着いたようだ。
「ほんの少し力を貸すだけで、助けられるはずだ。それならリゼットもこちらに戻って来れるのだからね。だが、それ以上は注意するんだ。決して、姿を見られてはならないよ」
力強く頷きながらも「でも見つかってしまったら…」と大きな瞳が不安気に揺れる。
「もし見られてしまったら、道は二つだ。一つは互いに想い合う仲になれれば、生涯共に生きる事が出来る」
「それは駄目よ!リゼット!精霊で無くなってしまうわ!」
イネスがリゼットの両肩を押さえた。その上に手を重ねた後、二人の頭に手を載せた。
「そうだ、その場合は半人となり二度と此方には戻れない。…だがもう一つ方法はある。リゼットに関する記憶を全て消し去ればいい。記憶の多さに応じて使う力は変化するが、やり方は知っているね?」
「もちろんよ!」
「良い子だ、そうすれば元通りだ」
リゼットは、にこにこしながらクルクルと廻った。
「大丈夫。私、かくれんぼは得意なのよ」
そう言い残すと、白く光り煙のように消えてしまった。
「リゼットったら、嘘ばっかり。いつも真っ先に見つかるくせに」
そっと溜息を吐くイネスの肩に手を置く。
「空いている時間にはリゼットの無事を祈ろう。ほらほら、アンベールの所は豊穣を依頼されていたろう?あれは中々骨のある仕事になるぞ。ロートレック川の氾濫を穏やかにするのは誰だった?難しいようなら手を貸すから無理はいけないよ。さぁみんな、落ち込んでいる間はないぞ」
グウェナエルはパンっと手を叩いた。それを合図に皆が一斉に飛び立つ。残された精霊たちは日々の生活に戻りながらも、リゼットの無事を静かに祈った。
◇
とてもとても大事なのに、日に日に薄れていく記憶。書き留めたリゼットという走り書きの文字を見れば、辛うじて大切な人だったと思い出せる。けれど髪も瞳も顔も姿形が定まらない。まるで、ぼやけた影絵のようだ。
自分の所為だと分かっている。情けなくて悔しくて、でもどうしても取り戻したい。ぽたぽたと水滴が零れ落ちる。気付かぬうちに涙が止め処なく溢れていた。
「あ…」
握り締めた紙に涙が掛かっていた。
滲む文字。あっという間に青黒い滲みに染まっていく。最後の砦だったそれが消えて行くと同時に、何もかもが分からなくなった。何故こんなにも胸が苦しいのか、とても重要なものが何だったのかも思い出せない。今、自分が泣いていた理由すらも。
何故。
魔力が不安定だからだ、そう自分に言い聞かせた。
ふと優しくて懐かしい香りと共に、深緑の光が通り過ぎた気がした。止まりかけていた涙が零れていた。
おわり
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