プロローグ1
神無月北斗は、月に一回のペースで訪れている工場立ち合いを終えて、一人暮らしである2DKの自宅に帰宅した。訪れていたのは、北斗がプロデュースして通信販売している、栄養ドリンクの製造を委託している、清涼飲料メーカーであった。
ひと瓶100mlの容器に納められた、オリジナルのビタミン飲料3万本を、月に一回だけ製造してもらっているのだ。
月に一回なのには、製造委託先の最低ロットが3万本で、北斗自身ではそれ以上のペースで作るつもりがないことと、製造時には必ず立ち会う必要が北斗自身の事情によりあるため、そのようになっている。
販売・企画は会社としての体裁をとってはいるものの、実際は北斗一人で運営している会社であるため、事業拡大には限界があり、また拡大するつもりもなかった。
本日中にビン詰から封入、ラベル添付まで委託メーカーによって行われたそれは、最終的に3本ひと箱の箱詰めまで行なわれ、その生産品はは、そのまま大手通販会社の倉庫に移送される。
販売や梱包・輸送もその通販会社に委託してしまっているため、北斗自身の作業は、実質月1の工場立ち合いと経理処理のみであった。
委託範囲が多い分、手数料で儲けは減ってしまうものの、ありがたいことに製品自体はいつも品薄の状態で、純粋な儲け分として月に1500万程度は実入りがあるため、北斗としては十分満足している。
いまでは副業になってしまった雰囲気もあるが、北斗はもともと組込み系かつIT系の技術者で、個人事業主として独立したいまでも以前所属していた会社や顧客からの依頼をうけて、開発に携わっている。
はたからみると、オリジナルドリンクが人気があるので、もっと増産して副業の開発をやめたらいいのに、という身内の声もある。
所得としての実入りは断然オリジナルドリンクの販売ののほうが圧倒的で、精神的・肉体的にも負担が軽いのは北斗自身わかっているのだが、北斗自身が開発という職種が好きで、どうしてもやめる気にはなれない。
そもそもドリンクの販売自体も、姉の助言というか強い要望、姉の圧力ともいえるが、で始めたものなので、これ以上拡充する気にはなれない。
確かに売り出すとすぐ完売になって、お金もいままでとは桁違いに入ってくるため、うれしくないとはいわないが、自分のアイデンティティというか、満足感に限っては、自分の企画・設計・構築したシステムが万人に利用されるほうが、何倍も大きいのだ。
北斗とは、根っからの開発屋であった。
北斗が販売している栄養ビタミンドリンク「快鮮100」は、疲労回復と美肌効果を売りにしているドリンクである。
ただ濃度は濃いものの、成分的にそれほど強烈な内容のものが入っているわけではなく、分類も医薬品ではなく清涼飲料水に区分される。
それでも売り切れるほどの人気の理由は、
「しみ・そばかすがなくなって、日焼けもリセットされる」
「ほんとうに疲れがとれるだけじゃなく、若返ったように感じる」
「白髪が消えて、髪のつやや立ち上がりもでた」
「細かい傷が消え、手のあかぎれも回復した」
「膝にたまった水が、きれいさっぱりなくなった」
「視力が回復して、コンタクトをしなくなった」
など、サクラともとれるべた褒め評価が、レビューに山とかかれているためだ。
うさん臭さは満開だが、それでも売れている数が数だけに、半信半疑で購入して、リピートするものがあとをたたなかった。
あまりの人気に、ライバルメーカーが、成分分析をして真似をしようとしているらしいが、どれだけ調べても特別な要素は見つからず、各メーカーの研究員は困っているらしい。
なんでそれが分かるかというと、毎日のように北斗への成分問い合わせや協業の依頼が舞い込んで、なかにはそれらの事情をぶっちゃけて、泣き落としをかけてくるメーカーもあったからだ。
北斗の本職の仕事、組込み系・IT系開発依頼をすることを導入に、ふたを開ければ製造法の秘密を成果物として求めるトンチンカンなところもあるため、最近は開発の仕事を受けるのも、昔から付き合いのある会社に限定せざるを得なくなっている。
北斗は、通販サイトの評価で出ている効能が、このドリンクにあることを十二分に理解していた。
そして、それは決して他の者では真似できないことも。
月1の工場立ち合いも、普通に考えたら北斗の立ち合いはいらないが、これだけはどうしても外せない条件として、委託メーカーに契約時にとりかわしていた。
立ち会わないで製造されたものは、買取を行う義務がないことも契約書には書かれている。
それは、秘密理に製造工程で、ある液体を混入させる必要がどうしてもあったからだ。
その液体を混入させなければ、できたものは通販サイトにある評価通りのものではなく、本当にただの美白ビタミン入りの清涼飲料にしかならない。
そして混入している液体は、この世界ではどのような技術を駆使しても、絶対に検知できないことも。
「よもや、これが異世界の妙薬を10万倍まで薄めたものだなんて、だれも信じないだろうしな」
北斗は、誰にともなく、独り言ちた。
これは北斗が、異世界から持ち帰っている、特別な妙薬であった。
あちらの世界で、この薄める前の原液は「エリクサー」と呼ばれていた。
★★★
エリクサー、それはファンタジーで度々登場する、最高の治療薬であり、同時に若返りや寿命の延長、欠損部位の再生や呪い等異常状態の絶対完全回復など行える、万能薬であった。
エリクサーの希少性は、あちらの世界でも同様で、超高額で取引されたり、ときには所有件をめぐって争いの理由になっている薬であった。
たまたま北斗は、それらを作り出せる能力者を身内にもっており、ゆえに量産も可能であった。
ただ、持っているだけであちらの世界でさえ災いのもとになることは認識していたので、そのままを転売するような愚かなことはしていない。
それはこちらの世界でも同じで、自分の周りの人間にのみ配るような、そういう使い方のみしていた。
それが栄養ドリンクとして販売することになったのには、いろいろと偶然が重なってしまったせいだった。
北斗は当初、異世界から持ち帰ったエリクサーを、自分のためだけに使っていた。
使い方としては、ひと月に1回程度、ペットボトルの水にスポイトで1敵程度たらしたものをのんでいた。
原液をそのまま体内に入れてしまうと効果がありすぎて、おそらくだが10代まで若返ってしまい、寿命も極端な伸びることが想定された。
健康に長生きはしたいが、いきなり年齢が若返ってしまうと、周りどころか世間からの注目を浴びる可能性がたかく、その際にめんどくさいことになるのは、目に見えていたからだ。
かといって、加齢による体の不調の心配をなくし、現状を維持したい気持ちから、エリクサーを超薄めて飲む方法を思いついた。
思惑はうまくいって、若干見た目が若返りはしたが、目立つほどの大きな変化ではなく、かつ内外とわず体のリフレッシュや体力が維持できることが可能となった。
接種量もスポイト1適でも多すぎることもわかり、3か月に1回、さらに薄めたもので対応することで、ちょうどよいことも学習した。
しばらくは個人で流用するだけで、まわりにはまったく漏洩することがなかったのだが、事件は二人いる姉がたまたま北斗の家に泊まった時に、おきた。
ふたりは、少し都心から離れた都市に単独ですむ北斗の家に、毎年近くで行われる花火大会の拠点として訪れていた。花火大会終了後に、そのまま弟の家に泊まり次の日に帰宅するというのが、ここ数年のルーチンであった。
北斗にしてみれば、興味のない花火大会のために週末がつぶれてしまい、迷惑この上ないのだが、上二人の姉に逆らうこともできず、自宅を提供していた。
それは、ふたりが花火大会後に北斗の自宅でくつろいでいるとき発生した。
「なにこれ!」
上の姉、綾子の絶叫がリビングから響いた。
そして弟の北斗にとってはうれしくもない、キャミに短パンというサービスショットの姉が、弟に対して持っていたペットポトルをつきつけた。
北斗は差し出されたペットボトルを見て、瞬時に自分のミスをさとった。
「なんなの、これ」
「なにって、炭酸水だけど....」
2番目の姉が、興奮する綾子をいぶかしげにみた。
「どうしたの、綾姉?」
「髪が染める前の黒に戻って、腕や顔のシミが全部消えたのよ」
つまりこういうことだった。
風呂上がりになにか飲むものがないかと、弟の冷蔵庫を物色してペットボトルに入った炭酸水を勝手に飲んだところ、体に活力が沸いて年齢からくる体のだるさが一瞬で消えた。
さらには腕についた腕時計の日焼け跡が消え、綾子の気にしている顔面の薄いシミ、ファンデーションで消せる程度ではあったが、それがすべて消えてしまった。
肌も若いころのみずみずしさを取り戻し、目じりの小じわも目立たなくなったのだ。
極めつけは、明るいブラウンに染めていたヘアが、真っ黒になってしまったことだ。
ただ単に黒くなっただけではなく、艶や張りが復活した。
「ただの炭酸水を飲んだだけで、染めた髪が元に戻ったり、シミやしわが消えるなんてありえないわ」
「ちょっと貸して」
カスミは姉から残っているペットボトルを取り上げると、手早くふたをあけて残りを飲み干した。
「うそ」
香澄も姉と同様の変化が、瞬時に現れた。
体全体がリフレッシュ、というよりは若返った感触を香澄は感じた。。
二人の姉は、ジト目で弟をみつめた。
説明をもとむ、そう語っていた。
北斗はため息をついて、真実でない説明を試みた。
「あー白状するよ。ある強壮剤をその炭酸ペットボトルにスポイト半適だけまぜたものがそれ。強壮剤は昨年受けた仕事の関係で偶然もらったんだけど、なんでも『神の水』て呼ばれてる秘薬らしくって、体調の回復に有効らしい。劇薬なんで、二千倍程度に薄めて使わないといけないんだけど」
と、姉が持っている1リットル炭酸水をさした。
北斗は嘘はいっていない。
ただ、すべてを話していないだけだった。
姉二人は、そんな怪しい説明をした弟を、疑いのまなざしでみていた。
「劇薬だから、すごく薄めて3か月に1回ぐらい飲んでるんだよ。今月がたまたまその月で、薄めて作った炭酸水を少しづつのんでたんだよ。本当に偶然綾姉がそれをのんだんだけど...」
北斗は心の中で、勝手にという言葉を付け加えた。
それにしてもたまたま北斗が飲もうと思って作ったタイミングで、ピンポイントでそれを姉が飲んでしまうとは。
冷蔵庫にはビールの買い置きもあったので、姉二人はそちらを飲むと思い込んでいた自分のうかつさを、北斗は内心くやんだ。
「で、その『神の水』だっけ、どこにあるの?」
上の姉が怖いことをきいた。
この流れでは、自分にも融通しろといっているのだった。
北斗は、それだけは絶対に答えるわけにはいかない。
怖い上の姉だが、これだけは従うわけにはいかなかった。
「それをきいて、どうするんだよ。先にことわっておくと、『神の水』は何があっても渡さないよ」
「なんでよ」
渡すのが、さも当たり前のように、上の姉が聞く。
「そういう約束で、もらったからだよ。加えて言うと俺以外がもつと『神の水』は、ただの水になるようにもいわれてる」
うそであるが、北斗の中では慌てて設定したストーリーを押し通すことにした。
「どういうこと」
黙っていた下の姉、香澄が興味深そうに聞いた。
「細かい経緯はいえない約束なんだけど、ざっくりいうとそれはある一族の呪い(まじない)による生成物なんだ。姉貴たちも使って分かったと思うけど、この水の効果は驚異的だ。誰もが欲しがる魔法の水だ。そんなものがあるとわかったら、姉貴たちみたいに手に入れたいと思うのは人情だと思う、だろ?」
「まあ、そうかもね」
「だけど反面、劇薬でもあるんだ。薄めないで使用した場合、どんな影響があるかかわからない。いや厳密には、これをくれた人たちにはわかっていたと思うけど、教えてはくれなかった。言われたのは、その場合の命の保証はしない、ということだけだった。まあそれでも欲しい人間はあとを経たなくなるだろうから、そうなると彼らとしても困るわけだ」
二人の姉は、神妙に聞いていたので、北斗は続ける。
「だから彼らは安全弁をもうけたんだ。もし俺の手から盗まれる、もしくは紛失した場合、『神の水』がたちまち効力を失うようにと、呪いの効能の一つして追加したわけだ」
上の姉はふーんと、答えて
北斗は内心、どうか納得してくれ、と繰り返し連呼していた。
「だったら、その人たちに頼んで、同じように私だけに使える『神の水』を調合してもらえばいいんだ」
ひっかかった。北斗は、内心ガッツポーズをくんだ。
「それは無理な相談だ。こっちからは連絡がとれないもの」
「なんでよ」
「いっただろ、仕事の関係でたまたま手に入ったって。会ったことは一回しかないし、連絡をとろうにも相手の情報もなにも知らないし」
「なによそれ、じゃあその『神の水』がなくなったら、もうおしまいなの?」
「そうだね。だけど今の使い方であれば、取られるとか溢して失うとかしない限り、たぶん俺の人生10回分かかっても、なくならないと思う。だから俺としても、もう彼らに合う必要もないんだ」
上の姉は、あからさまに大きなため息をついた。
「でもまあ、この水の効能は一回とれば飲んだ量によるけど半年~1年は続くし。姉貴たちが今日飲んだ量ならば、効能はひと月は続くとおもうよ。それに付け加えると、この水は効力が切れたからといって、すぐさま元の状態に戻るわけではなくて、そこからまた日焼けとかシミとかが日々の生活の仕方によって増えていくわけなんで、実は定期的に摂取する必要もないんだ」
綾子は空になったペットボトルを、香澄から取り上げると、北斗に突きつけるようにまくした。
「いやいや、楽に維持できるなら、とり続けた方がいいでしょ。その言い方だと効能があるうちは日焼けとかあんまし気にしなくても生活できるみたいだし」
効能は、それだけではないのだが、どうしてもお肌の曲がり角をとうに過ぎてしまった綾子には、それが一番の関心ごとであるらしかった。
納得したかしないかはともかく、定期的に『神の水』を薄めたアルコールを送付することで、その場は決着がついた。
北斗は内心ほっとした。