表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/17

愚か者の犠牲者たち(ビアンカ)

側妃宮の隠し通路を足早に進み、庭師の小屋の裏手にある通気口を兼ねた小さな切欠きの小窓の前で鳥の鳴き声に似せた指笛を鳴らす。

小屋の方からのんびりした足音が近づき、小窓の前にどさりと雑草でいっぱいの籠が置かれると、その籠の草の中に数字を羅列した書付を忍ばせて小窓から離れる。


ここを通るのはもう何度目だろうか。

私の愛する二人の、片や命、もう片方は人としての尊厳を守る為と自身に言い聞かせ、元来た通路を戻る。



◇◇◇

ガレリア侯爵家で療養中、私はホーエン公爵家とガレリア侯爵家独自のハンドサインと暗号を徹底的に仕込まれ、音に反応しない訓練を叩きこまれていた。

バーバラ様の懐妊が発表され、側妃として王太子殿下に嫁ぐ前日、アラン小侯爵に差し出されたトビアス閣下への連絡方法の書付に目を通し跪くと、書付は即座に暖炉にくべられ、瞬く間に灰になっていった。


迎えられた側妃宮で、シェリル妃は病により声と聴力の多くを失ったと周知された。



王妃が不在の王室では、王太子妃が王妃の執務と公務を兼務している。

王太子妃は王太子の執務の多くも担っており多忙を極めるため、身重の王太子妃の補佐として、王弟の妻であるホーエン公爵夫人と、王太子の実姉であるグレイ公爵夫人が支えることになった。

主に王妃代理として表立って立ち回るのは、祖母である先代王妃手ずから王族教育を施された第一王女であるグレイ公爵夫人で、裏方として様々な交渉や折衝はホーエン公爵夫人がその穏やかで柔らかな雰囲気とは裏腹に、驚くほどの速さで鮮やかに捌いて行く。

二人はあっという間に社交界の夫人・令嬢を掌握してしまい、今では王太子妃殿下に次いで並び立つその地位は揺るぎないものになった。


国民の絶大な人気に後押しされ、王の寵愛と取り立てにより力を付けていた王妃派閥の貴族たちは、王妃が幽閉されて猶、次期王となる王太子を手中にしている事でその地位を盤石だと信じて疑っていない。真綿で包むように王太子を囲い、それを旗印に家門を繁栄させることに余念のない彼らは、社交界で強力に支持されている王太子妃派閥の影響力と高位貴族の狡猾さを見誤っていた。



◇◇◇

[王太子妃殿下の産褥の場を取り仕切ることになっている産婆は我が一門の手の者です。

出産で儚くなってしまう事はよくある事。疑われる心配はございませんよ。

漸くシェリル妃を王太子妃に格上げして憂いなくお過ごし頂けますな。もう数日の辛抱です。なに、執務に付いては我が一門にも優秀な令嬢が居ります。側妃としてお迎えくだされば十分にお手伝い出来ますゆえご心配は無用です。]


側妃宮の談話室で、そう囁く男に鷹揚に頷くのは王太子妃の夫であり、私の最愛の人。

そして、暗殺を示唆されているのは、戸惑いなく命をも差し出せる、私が心から敬愛する人。


驚愕と怒りのあまり激しく脈打つ鼓動を悟られはしないか気が気ではなかった。

手にしていた刺繍をサイドテーブルに置くと、手元の鈴をチリリと鳴らしてお茶の支度をお願いする。お茶の支度をして退出する侍女に笑顔を向けて優雅にお茶を飲む私の様子に、聞こえていない事を確信した様に密談は続く。


[この間のチョコレートの件でバーバラの周囲の守りが固いのだ。今度は本当に上手くいくだろうか。]


[あれは悪手でしたな。あのままトビアス閣下にも口にして頂いてよかったのですよ。

諸共となればさらに信憑性が増しますからな。ご心配なさらずとも、うまくいかなかった時の対策も考えておりますよ。先王から現陛下と王弟のホーエン公爵以下、現在の王家の血筋の方は全て輝く金髪に翡翠色の瞳を持っておいでです。国民も貴族たちもそれを王家の色と信じて疑っておりませんが、それ以前はその限りではなかったことを知る人間は少ないようです。先々代の王は確か榛色の瞳でしたな。王太子妃のお生み参らせたお子が王家の色を持たない事で不貞を理由に追放すればよいのですよ。取り上げてすぐの赤子の髪色を変えるなど造作もない事です。]


そう話す温厚そうな雰囲気を纏ったカッセル侯爵は、幽閉された王妃の実家である子爵家の寄り親であり、王太子の派閥筆頭である。優し気に眉と目じりを下げて王太子殿下に微笑んでいる。話の内容が聞こえぬものから見れば孫を慈しむ好々爺そのものだ。


側妃宮では侍女はおろか、雑務の下級メイドに至るまでカッセル侯爵家の派閥や繋がりのある人間で固められおり、ガレリア侯爵家に繋がりのある人間とは接触することは難しくなった。

子どもの頃から診察を受けていた主治医も遠ざけられたのだが、代わりに王太子殿下直々に選ばれた女医は、主治医の恩師の友人の孫でありアラン小侯爵に見せられた書付に名前があった人物だ。

私は虚弱体質を理由に女医から毎日の午睡を指示された。

それを聞いて王太子殿下は、私たち二人の時間を奪うのかと女医に詰め寄ったのだが、夜伽のためですと耳打ちされて耳まで朱に染めながら承諾した。


その時間のみが私の動ける時間だ。


始めてこの耳でバーバラ様を害する話を聞いたその日、震える足を叱咤して通路を急いだ。

小窓のそばで鳴らした指笛も想ったような音が出ず、庭師の小屋まで届いたか不安で仕方なかった。

一刻も早くと逸る気を落ち着けるように胸の前で手を組み深呼吸を繰り返し、もう一度指笛をと思う気持ちを堪えながら足音を待つ時間が永遠にも感じられた。

漸くやって来た足音と、どさりと置かれた草でいっぱいの籠に、何度も確認した数字の書付を押し込んだ。

通路を戻りながら次々に溢れる涙を抑える事が出来なかった。私の命に代えてもお守りすると誓ったバーバラ様を害そうとする人を、私は怒りを覚えながらも憎むことが出来ない、そんな人をなぜまだこんなにも愛しているのか。

身が引きちぎられるような思いに、いっそ命を絶ってしまおうかとも思った。

しかし、この状況でバーバラ様の命を守り、さらに愛する人に人としての道を踏み外させないように立ち回れるのは私しかいない。


私が二人を守ることを心に決めたその日の夜半に誕生した王家の子は、艶やかな亜麻色の髪に瑠璃色の瞳の、バーバラ様にそっくりな女の子だった。



◇◇◇

バーバラの無事の出産を妻のフローラと息子のアランと共に隣室で喜んでいると、子と対面するために陛下と共に産褥の部屋に入った王太子の大声が響き渡った。


「いったい誰の子だ! 王家の色を持たない子など私の子ではない!王太子妃の不義が明らかになった!子もろとも即刻追放だ!」


急ぎ入ったその部屋の中では、興奮しきった様子で真っ赤な顔をゆがめてバーバラを睨みつける王太子と、その様子を呆然と見つめる陛下の前に、産婆の出る幕なく出産に立ち会い、子を取り上げた王太子の姉であるグレイ公爵夫人とホーエン公爵夫人が生まれたばかりの王女とバーバラを守るように立ちはだかっていた。


「王家の色とは何のことです?」


ホーエン公爵夫人の穏やかな問いに、王太子は噛みつくように詰め寄って詰った。


「フリーデリケ夫人は隣国人だから知らぬかもしれないが、我が王家の子は必ず輝く金髪に翡翠色の瞳を持って生まれて来るのだ!このような卑しい色を持って生まれて来ることはない!」


卑しい色とは…と失笑と共に呟いて傍らに寄り添った夫のホーエン公爵と未だ立ち尽くす陛下を振り仰ぎ、鷹揚に尋ねた。


「そのような思い込みを声高に訴えるなど王太子殿下の恥になりましょう。歴代王家の絵姿は近隣国に互いに伝わっています。王太子殿下の今の言葉は妄言としか言いようがありません。このような世迷言を一体誰が吹き込んだのです?」


ホーエン公爵夫人が揺るぎなく落ち着き払った様子で話す内容に言葉を失った王太子と、漸く我に返った陛下を尻目に、王太子の大声のせいでぐずり始めた王女をホーエン公爵が愛し気に抱き上げてあやしている。


「必ず遺伝する王家の色など我が王家には伝わっておらぬ。その代わり、必ず出る訳ではないが遺伝する小指の形は伝わっている。」


陛下の差し出した左手の小指と言葉に、ホーエン公爵が宝物のように抱き上げている王女の左手へ皆の視線が集まった。小さな紅葉のようなその小指には、グレイ公爵夫人の差し出した左手小指とも、王女をあやしながら差し出したホーエン公爵の左手の小指とも同じ特徴が認められた。

自身の左手の小指には伝わっていないその特徴を突きつけられた王太子が、必死の形相で王女の小さな左手を掴もうとして伸ばしたその手を、ホーエン公爵が叩き落とした。


「私の子ではない」


声に出す事で事実にしたかった言葉を往生際悪く言い捨て、王太子は部屋を後にした。


王女は、陛下によってビアンカと名付けられた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ