愚か者たちの恋 ①(バーバラ、シェリル)
少し短めです。
「我が娘のバーバラが王太子妃に決定した。シェリルは先ずバーバラの侍女として王宮に上がり、時期を見て側妃として召し上げられることに決まった」
父であるフォルン伯爵と共に、寄り親であるガレリア侯爵家の執務室にお呼び出しを受けて告げられました。私も父も身の引き締まる思いでお引き受けしました。
私はバーバラ様の盾となり、この身を捧げてお仕えいたします。
(常に微笑みを絶やさず、おっとりと優雅で控えめな非の打ちどころの無い伯爵令嬢)
これが私に対する世間の評価ですが、これはガレリア侯爵家の皆様のご指導と教育の賜物なのです。
母がバーバラ様の乳母であった為、私とバーバラ様は幼い頃は乳姉妹として育ちました。
4歳を過ぎた頃、私は喉の病に掛かって声を出す事が出来なくなってしまいました。
私はバーバラ様の侍女としてお仕えする事が決まっていたため、母を筆頭に周囲の者はみな躍起になって声を出す訓練をさせましたが、その頃は囁き声程度しか声は出せず、咎められるほどに余計に委縮し症状は酷くなっていきました。
それを見かねたガレリア侯爵様は、私に訓練を強制しようとする人々から引き離して侯爵夫人のフローラ様付きの小姓として常にお傍に置いて下さいました。
侯爵様ご自身も、フローラ様もバーバラ様も私の言葉を咎めることも蔑むこともなくいつも優しく接してくださったおかげで、委縮していた気持ちも次第に解れて行きました。
侯爵家付きのお医者様は、無理に声を出すとやっと治った喉の炎症が再発して今度は完全に声を出せなくなることを私だけでなく周囲の皆にも説明してくださり、その言葉通りに少しずつ私の症状は改善していき、成長するにつれて私の声の事は忘れられていきましたが、今なお2、3人での会話が精いっぱいで、大きな声を出す事は出来ません。
しかし、バーバラ様の侍女であるならば大きな声は必要ありません。
その代わり、主となる侯爵令嬢のバーバラ様に付き従うに相応しい優雅な立ち居振る舞いと、主の品位を保つ為に必要な教養と知識は、フローラ様の筆頭侍女であり、王室のマナー講師の経歴を持つヨーク伯爵夫人直々にしっかりと叩き込まれました。
15歳になった私は、バーバラ様と共に王都の学園に入学しました。
バーバラ様は王太子妃の最有力候補となり、その一挙手一投足のすべてが注目の的になります。
同級生ながら、実質はバーバラ様の侍女である私の振る舞いがガレリア侯爵家の家門貴族と使用人全ての質と捉えられます。私は常にそのプライドを持ってお仕えしていました。
そんな折、入学早々のバーバラ様とのお茶会で初めてお目にかかった王太子殿下が、よりによって私にお目を留めてしまったのです。
いくらお気に召されたからと言って、婚約者候補でありお仕えする主であるバーバラ様を押しのけて私が王太子殿下のお傍に侍るなどあり得ない暴挙ですし、とても許されることではありません。
その後の週に一度のバーバラ様とのお茶会の席では、バーバラ様をほとんど無視して私に構い続ける王太子殿下を無下にも出来ず、かといってお相手をするわけにもいきません。
私に対する露骨なアプローチをやんわりと諫めるバーバラ様に王太子殿下は苦言を呈し、ひどい言葉を投げかけるようにもなりました。これ以上バーバラ様を矢面に立たせるわけにはいきません。
しかも、他の王太子妃候補のご令嬢方から主人を蹴落として王太子殿下に媚を売るあばずれなどと囁かれ、嫌がらせも受けるようになりました。私自身は何を言われても構いませんが、このままではガレリア侯爵家とバーバラ様の醜聞になりかねません。
大きな噂になる前に学園を辞めて領地に帰ろうと決心し、事の次第を手紙にしたためて父であるフォルン伯爵へと送りました。
(お守りするべき立場の私が、逆にバーバラ様を矢面に立たせてしまいご迷惑をお掛けしています。
ガレリア侯爵家一門の恥となる前に、一刻も早くお傍を辞するのが私にできる最善の行動だと愚考いたします)
そう結んだ手紙に来た返事はガレリア侯爵様直々のもので、その内容に私は驚愕しました。
(シェリルへ命ずる
王太子殿下の寵愛を受けよ)
手紙を読み、血の気が引いていく私の頬をバーバラ様がそっと両手で包み込みました。
■■■
「シェリーを見初めるなんて、王太子殿下はお目が高いわ」
お父様からの手紙を読み、みるみる血の気を失っていくシェリーの頬を両手で挟んでわたくしは微笑んだ。
本当にそう思う。
優しく穏やかで、きめ細かな心配りが出来る上、教養も知識も王太子妃候補である高位貴族のご令嬢方にも全く引けを取らない。マナーも非の打ちどころがなく、立ち居振る舞いには侯爵令嬢のわたくしでさえ舌を巻くほどの気品がある。
そして、生まれた時から一緒に育った私の一番の理解者であり、大切な親友だと思っている。
ガレリア家から見れば、フォルン伯爵家は忠誠心が殊の外厚く、伯爵家長女のシェリーは分を弁えて驕ることのない申し分のない令嬢。
そして、高貴な相手に見初められてもなお忠義を第一として速やかに身を引く今回のシェリーの行動から、決してわたくしを裏切ることが無いと判断されたのだ。
その上でのお父様からの私への指示
(王太子妃となる心づもりをせよ)
わたくしはガレリア侯爵家長女のプライドを持って従うのみだ。
望む相手と結ばれることは無いのなら誰に嫁いでも同じこと。
ならば妹にも等しいシェリーを伴って王家に入り、王太子妃、将来は王妃として、寵姫となるには優しすぎるシェリーを守りながら共に国を担っていこう。
彼の瞳に映る自分を思い浮かべながらそう決心した。
入学後早い段階で王太子殿下が強く望む相手としてシェリルを新たな王太子妃候補にと打診があったようだ。
お父様からそのことを伝えられたフォルン伯爵は、主家である侯爵令嬢のわたくしが婚約者候補として挙がっている以上、それに並んでシェリーが王太子妃候補になるなど言語道断だと、即座に辞退を申し入れたと聞いている。
そもそも地方領地の伯爵令嬢の身分で王太子妃となるなどありえない。もしもシェリーが思い上がった心得違いをしていようものなら、即刻修道院に送ると断言したという。
その後すぐに届いたシェリーからの手紙を見て、親子そろって頭の固い忠義者だとお父様は笑っていらしたそうだ。
王家が国内一の資産を有するガレリア侯爵家一門を取り込みたいと考えている事は、国王王妃両陛下のわたくしに対する極めて友好的な態度を見れば明らかだった。
わたくしが王宮に上がった際には必ず王妃陛下が直々にお茶会のお誘いにいらしたり、王家のプライベートな晩餐への頻繁なご招待など、王太子妃候補に挙がっている他の貴族家からすれば明らかな依怙贔屓だ。
わたくしには何も言えない代わりに、その鬱憤は王太子殿下の隠す事のないアプローチも相まってシェリーに向かったようだが、王太子殿下の寵愛を一身に受ける傘下の令嬢をガレリア侯爵家がどの様に扱うか、わたくしの側近であり続けている事が何を意味するかが分からないとは、呆れると同時に気の毒にさえ思う。
それからすぐに、王太子殿下とわたくしの婚約が発表され、正式な婚約者として学園の寮から王宮に居を移した。シェリーはわたくしの筆頭侍女として共に王宮に上がった。
それからの王太子殿下のわたくしに対する態度は婚約者として完璧だった。
恭しくエスコートをこなし、贈り物にも心砕いている。
客観的に美しいとは思っているようで、優しく掛ける言葉や態度に嘘はないようだ。
学園内では他の女生徒を近づける事も一切せず、毎日一緒に登校し、昼食を共にする。
生徒会の仕事も共に熟して、放課後は王宮へ一緒に戻りお互い王太子教育と王太子妃教育を受け、夕食後はサロンで親睦を深める。
婚約発表後の2年間、わたくしへの対応に気を抜く事は一瞬たりとも無かった事は賞賛に値する。
そして、卒業後すぐに挙げた盛大な結婚式の後、わたくしへの見せかけの愛情はさらに強まった。
王太子妃にふさわしく磨き上げ、飾り立てて女神のように扱い常にそばに置く。
周囲からは眩しいほどの寵愛だと噂され、わたくしたちは持て囃された。
ただ、王太子殿下の瞳に映っているのはわたくしではなく常に側に付き従うシェリーだ。
わたくしを崇拝するように慕うシェリーを喜ばせる方法がこれだけしかなかったというだけだ。
わたくしの瞳が何を映しているか、シェリーだけを映している瞳が気づく事はこの先もないだろう。
この結婚は僥倖だ。
わたくしを殺そうとする事も含めて。