最期の手紙
誤字脱字報告ありがとうございます。
一旦これで完了とさせて頂きます。
読んでいただいた皆様には感謝しかありません。
本当にありがとうございました。
【親愛なるブレナンの皆さま
わたくしとレナート様の幸せを心から願って下さった皆様。
ずっと支えて下さった皆様。
皆様の存在が私たちにとってどれだけ支えになった事か、助けられたことか、思い浮かぶ様々な事の全てに感謝の言葉しかありません。
そんな皆さまを裏切ってしまったことを心からお詫び申し上げます。
わたくしたち二人は、レナート・フォン・ブレナン オフィーリア・フォン・ブレナンの名のまま共に旅立つことを決めました。
家門の長、未来の王妃としてそれぞれ長年支えてくれた人々に報いることなく、その名を捨て、誇りを捨て、別人としてただ自分たちの幸せのためだけに生きていくことを、わたくしたちの矜持は許せませんでした。
わたくしたちは、最期の瞬間まで名に恥じぬよう精いっぱい生きてまいりました。
この結末に悔いはございません。
後を託せる皆さまが居てこその決断です。民のためにご尽力される皆様のご活躍が拝見出来ない事は残念でなりませんが、きっとより良い結果にお導き下さるとわたくしたち二人は確信しております。
この国を守る勇猛な騎士であり兵士である皆様はわたくし達の、この国の誇りです。
皆様に神のご加護がありますように全霊を持ってお祈りいたします。】
手紙を読み聞かされた騎士団員たちは、涙を堪えてレナート小公爵に礼を執った。
生れ落ちた時、ブレナン公爵家の姫の誕生を皆で祝った事がまるで昨日の事のように思い出される。長じてからは未来の公爵夫人として敬い、領を上げて大切に守り育ててきたオフィーリア様。
次期公爵として幼い頃に迎え入れられ、やっと剣を持てるようになった頃からは騎士団の一員としても共に切磋琢磨し互いに固い信頼を築いてきたレナート小公爵。
将来二人が公爵夫妻としてブレナン領と騎士団を率いていくと信じて疑わなかった。
しかし自分たちが忠誠を誓ったブレナン公爵家は、王家の理不尽により何物にも代えがたいこの二人を奪われたのだ。
我らが主ブレナン公爵は、オフィーリア様の親友として毎年ブレナン領を訪れていたビアンカ王女殿下を次期公爵として指名しているという。
毎年滞在していたとはいえ、わずか一月ほどの休暇の滞在期間だけでブレナン公爵家所蔵の兵法書全てを読破し、盤上の模擬戦では騎士団の頭脳である参謀レイヴンと互角に戦う、恐ろしく賢い少女だ。
しかし、我々から未来の主を奪った王家の人間に忠誠は誓えないと訴える団員を落ち着かせてレナート小公爵は言った。
「どうか一年間、ビアンカ殿下に仕えて欲しい。一年の間に皆が忠誠を誓うに値しないと思ったら、望む士官先を紹介してもらえるよう義父上にお願いしておく。ブレナン公爵家のためだと思って、僕の最期の願いを聞いて欲しい」
そう皆の前で頭を下げた。
最期の願いという言葉にしんみりとなった空気を断ち切るように、参謀レイヴンが声を上げた。
「一年ではとても無理ではないですか? 我々がビアンカ殿下を主と認めるまでには、せめて三年はかかると思います」
するとレナート小公爵はニヤリと笑って、レイヴンに向き直った。
「いいや、僕もオフィーリアも皆一年経たずにビアンカ殿下の前で膝を折ると確信しているよ。レイヴンも含めてね。その姿が見られないのがとても残念だよ」
そう楽し気に言うレナート小公爵は、間もなくオフィーリア様の下へ旅立たれる。
「望む所です。では我々はビアンカ殿下のお手並みを拝見するといたしましょう。
一年経って、レナート様の仰る通りもしもビアンカ殿下に皆が忠誠を誓っていたら、その時は全員でお二人の墓標の前で裸踊りでも致しましょう」
おい、勝手に約束するなとか、何を踊るんだ等、ヤジと共に皆からどっと声が上がった。
レナート小公爵は、ひと際良く通る声で、言質取ったり!楽しみにしてるぞ!と大声で応じている。
オフィーリア様の棺と共に帰領して以来、顔に出さずとも沈んでいたブレナン公爵の口元にも笑みが浮かんでいる。
あぁ、この方の前に跪き忠誠を誓う未来が潰された事が、心から悔やまれてならない。
【お父様
最愛のお父様
わたくしの我が儘をお聞き届け下さったことに感謝いたしますと共に、先立つ不孝をお許しくださいませ。
最期に髪に挿すようにお願いした小枝の花飾りは、半分をわたくしとレナート様二人の形見としてあの日に描いてもらった結婚式の肖像画の後ろに挿してもらっています。
ご恩に報いる事が出来なかったわたくしたちですが、二人の宝物をお父様にも持っていて頂きたかった。
お母様の下、レナート様と三人でいつかこちらへいらっしゃる日をのんびりお待ちしております。
お父様の娘に生まれ、ブレナンの民に慈しまれたわたくしは本当に幸せでした。
わたくしのすべての親愛と愛の祈りをお父様へ捧げます。】
近隣国の天才肖像画家と名高い伯爵に今までの二人の肖像画を送って作成を依頼をしたのだが、事情を聞いた伯爵は自らやってきてレナートとオフィーリアと数日交流しながらスケッチをし、当日の葬送の結婚式に立ち会ったあと、深い哀悼の意を表して帰国して行った。
二人の埋葬から三か月が過ぎた頃、伯爵の妹である女侯爵が直々に肖像画と共に来訪し、オフィーリアからの手紙を渡された。
手紙を読んでいる間に、女侯爵の指示のもと、依頼した等身大の肖像画以外にポートレートが大小合わせて十枚程、布が掛けられたまま並べられた。
「どの作品も、きっとご満足いただけるものと確信しております。
他人の目の無い所で対面された方がよろしいかと愚考いたしますゆえ、覆いを取らずにこのまま失礼いたします無礼を何卒お許しください。この度の事、深くお悔やみを申し上げます」
そう言うと、最敬礼のカーテシーを執り、引き留めるのを丁寧に辞退して帰国して行った。
あわただしく訪問者を見送り、一人応接室に戻り絵の覆いを取って息を呑んだ。
次々と覆いを取るうちに、涙が頬を伝っている事に気が付き驚いた。
覚えている限り、子どもの頃でさえ涙を見せることなど今までなかったというのに。
しかしこれは悲しみの涙ではなく、再会の喜びの涙だった。
女侯爵が言った対面という言葉を反芻する。そう、絵を見るのではない、まさに対面だった。
呼びかければ返事が返って来ると錯覚さえ覚えるその肖像画たちは、最期を覚悟した悲壮な雰囲気などまるでなく、二人の幸福な未来を語り合う幸せな瞬間だけを切り取った、残された者たちの心を温かく包み込むような慈愛に満ちたものだった。
これが天才かと身に染みると共に、女侯爵の心遣いに深く感じ入った。
数日後、領へ戻ったビアンカ殿下を肖像画と対面させた。
溢れる涙を頬に伝わせながら微笑み、それぞれの絵に話しかける姿に改めて彼の肖像画家へ感謝をした。
この数か月、義娘となったビアンカ殿下と共に新たな政局の基盤を作るべく奔走している。
間もなく国内の高位貴族の掌握と根回しは済み、続いて中・低位貴族と平民へは悲恋の物語として顛末が大々的に流布される。
二人の覚悟を無駄にはしないと、今必死に立ち向かっているビアンカ殿下をどうか見守っていてほしい。
王家は正統な血脈へ引き継がれ、やがて新たな国が生まれる。
肖像画の中のその笑顔を曇らせることなく、平和な世を守る事を改めて誓おう。
【ビアンカ
貴方はわたくしの太陽だったわ。唯一無二の親友である貴方の思いを裏切ってしまってごめんなさい。
でも、きっと貴方ならいつかわたくしの気持ちを理解してくれると信じています。
誰よりも気高く、誰よりも優秀で、誰よりも愛情深いビアンカ。
民を想い国を憂う事を知っている貴方にブレナンの地を託します。
貴方と、貴方の導くこの土地の素晴らしい未来をこちらからずっと見守っているわ。
そう言うと、貴方の事だからきっと自分の事を後回しにしてしまうつもりでしょう?
けれどそれはダメよ。必ず自分が一番幸せになると約束して。
そして遠い未来にあなたがこちらに来たときには、昔みたいに時間を忘れてすっかり話してもらうわね。
貴方に出会えて、親友として過ごした時間は私の宝物よ。
ほんとうに、ほんとうにありがとう。】
帰領したオフィーリア姉さまの棺はブレナン領の礼拝堂に安置され、寄り添うレナート兄さまと共に二人を慕う領民たちから涙ながらに別れの挨拶を受けていた。
そして葬送の結婚式からちょうど一月。
月は違えど同じ日にオフィーリア姉さまの棺は埋葬され、その隣でレナート兄さまはオフィーリア姉さまの下に旅立った。
墓標には二人が同じ日に埋葬された事が刻まれている。
義父となった元ブレナン公爵から、手紙と共にオフィーリア姉さまが最期の時に身に着けていたベールを渡された。
受け取った時に堪えていた涙は手紙を読み始めるともう止める事は出来ず、読み進めるうちに嗚咽となり最後はベールと手紙を抱きしめるように蹲り慟哭した。
二人を守りたかった。どんな形であれ、二人で幸せになってほしかった。
身分を捨て名を捨ててブレナン領でひっそり暮らすなど、二人の矜持が許さない事はわかっていた。それでも願わずには居られなかった。生きていてほしかった。
会いたくとももう二人はどこにも居ない。
大公国を担い、新たな基盤を作るべく奔走することで悲しみを紛らわせていた。
支えてくれる人はたくさんいて、その人たちへ報いるためにも私は走り続けなければと、心の穴を見ないように自ら激務を強いていた頃、お義父さまの元ブレナン公爵から一度領地の邸に立ち寄るようにと連絡があった。
領地へ戻るのは三か月ぶりだ。二人の埋葬の後、墓標の見えるブレナン邸を訪れる事がどうしても出来なかったのだ。
数か月前まで憔悴して窶れを心配していたお義父さまは、見違えるほど晴れやかな顔で私を迎え入れ、見せたいものがあると私を応接室へ誘った。
さあ対面だと、応接室の扉が開かれると、そこには懐かしい二人が私に微笑んでいた。
どの絵からも二人の声が聞こえる様で、流れる涙をそのままに、絵に一枚一枚返事をしていく。また会えるとは思わなかった。また笑いかけてもらえるとも思わなかった。
もう見る事は叶わないと思っていた二人の笑顔が手を伸ばせばそこにあり、話しかければ頷いてくれるよう。
しばらく絵と語り合い、振り返るとお義父さまも使用人たちも温かい笑顔で見守ってくれていた。
霧の晴れたような私の顔を見て、お義父さまはどれか一枚好きな絵を持っていくようにと言っていくれた。
そう、早速戻って早く皆にも会わせてあげたい。特にグレイ公爵夫妻はポートレートだけでなくぜひ一度ブレナン邸へ招待しなくては。
そうと決まれば居ても立ってもいられず、数日滞在してはというお義父さまの言葉には、またすぐに戻りますと答え、立ち寄った二人の墓標にもまたすぐに戻るわねと言いおいて、譲り受けたポートレートを胸に抱いて帰路についた。
もう私は大丈夫。
今までの闇雲で悲壮な作業ではなく、地に足を付けて盤石な国の礎を築くために邁進できる。いつか胸を張って二人の下へ自慢しに行くから、それまで見守っていて。
◇◇◇
水色の花が辺り一面に咲き誇る斜面に坐って冠を作り、あの日以来作ったことのなかった小枝の花飾りを作る。目の前で花の形になっていく枝を見た彼女の輝くような笑顔が脳裏に浮かび、思わず笑みが零れた。
完成した花飾りを挿した花冠を掲げて跪き、改めて永遠の愛を誓う。
子どもの頃、やっと作れた納得のいく花冠を掲げてプロポーズをした時、跪いたら顔が花に埋もれてしまいそうだったんだ。あの時はオフィーリアにちゃんと顔を見てもらいたくて必死で首を伸ばしていたんだよ。覚えているかい?と苦笑いしながら花冠をオフィーリアの墓標にそっと供える。
二人で決めた通り、僕の仕事は全て終わったよ。
一息に小瓶を煽り苦しみが訪れた瞬間、目の前に僕に手を伸ばす君がいた。
子どもの頃に二人でデザインを考えていたウェディングドレス姿の君は、思った通りこの世の誰よりも美しかった。