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悼み酒  作者: 七森香歌
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第五話

 そして、今年の八月の終わり。あの子は椎間板ヘルニアを発症し、腰の手術をしたのと同じ病院へと向かった。十五歳という高齢のため、麻酔を使っても大丈夫かどうかの検査から入院は始まった。その間、動けないのに暴れ回り、あの子は体に褥瘡を作り、信じられないと両親は病院の対応を詰った。

 それから手術が行なわれて、無事終了した。あの子が退院して帰宅してきたのは入院から半年も後のことだった。

 このとき、わたしは一回もあの子のお見舞いに行っていない。腰の手術のときにお見舞いに行った結果、却ってそれが残酷な仕打ちでしかないとわかったからだ。人間の自己満足を満たすためだけの見舞いはやめようというのが我が家の総意だった。

 あの子の退院から数日後、実家を訪れるまで、わたしは事態を楽観視していた。腰のヘルニアのときのようにまた奇跡的に元通り動けるようになるものだと思っていたからだ。

 けれど、現実は違った。あの子は寝たきりになり、首の角度がおかしかったり、喉が渇いたり、お腹が減ったり、オムツが濡れたりするたび――起きているほとんどの間、鳴き続けていた。褥瘡ができた体はかつての面影はなく痩せ細り、鳴き続けたせいで声がハスキーに枯れていたのがひどく痛々しかった。

 それでもそのころのあの子はまだ生きることを諦めていなくて、家族の誰かが後ろ半身を支えておすわりをさせてやれば、時間はかかれど食事は摂れていた。けれど、それも長くは続かず、やがてはカゴの上に体を固定してスプーンで食事を与える方針へと変わっていった。

 そんなふうに日々を過ごすうちにあの子はどんどん痩せていった。最盛期は七キロもあったとは思えないほど体が衰え、骨と皮へと近づいていった。きっとこの子は冬を越せない、母はそう言っていた。父は入院費を返し終わるまでは生きてくれと冗談混じりに言っていたが、それが叶わないことであるのは明白だった。だけど、その日がこんなにも早く来るとは思ってもみなかった。

 二〇二三年十一月二十二日水曜日。その日の朝はとてもよく晴れたきれいな秋の朝だった。

 その日のわたしは都道沿いの駅のファーストフードの開店時刻に合わせて往復四キロの散歩がてら散歩に出た。奇しくも今と同じ、灰色のパーカーに黒のジャージ、スポーツブランドのサンダルといった出で立ちだった。

 駅前のコンビニで夕飯の不足分の食材を買い、ファーストフードでいつもの朝食と限定のパイを調達すると、わたしは河川敷へ向かうべく都道を折れ、頭上に電車の高架がある橋を渡った。橋を渡り終わると右手に折れ、しばらく進むと階段を登って降りる。旻天の下、金色の朝日を浴びながら川沿いのマンション群や釣り人たちを横目に来た方角へと歩いていく。

 いつもは気づいていないところに階段を見つけ、わたしは土手を少し上がった。思えばこれがよくなかったのかもしれない。いつもと違うことをしたから、いつもでは起こり得ないことが起きたのかもしれないのだから。

 七時三十五分。高架の下を潜り抜けようとしたとき、エコバッグの中のスマホがぶーんぶーんと唸り声を上げ始めた。嫌な予感がした。ロック画面を見ると母親の名前が表示されている。緑の受話器のアイコンをタップすると、母親は開口一番にこう言った。

「チョコが……亡くなりました」


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