第四話
あの子は病気がちな子だった。重いものから軽いものまで合わせて、生涯で五度の手術をした。
最初は二〇一五年の夏だった。少し前から腰のヘルニアの症状が出ていて、通院して家で経過観察をしていた。しかし、後ろ足が麻痺して動かなくなってしまい、市内の大きな動物病院での手術が決まった。
手術が決まった日、わたしは当時、それなりにいい雰囲気になっていた年上の相手と花火の約束をしていた。それもあって、わたしは「歩けるようになる確率は低くても手術するべきだ」と投げやりな結論を父に投げつけ、あの子の手術の件の一切合切を押し付けて出掛けてしまった。
あのときは奇跡的にあの子は復活を遂げた。歩くこともなければ尻尾を振ることもないと言われていたのに、あの子はある日唐突に尻尾を動かした。最初はそんなはずはないと父に突っぱねられてなぜか怒られたが、確かに動いた。それからあの子は多少、足を引きずりつつもだんだんと普通の生活に戻っていった(そもそも生まれつき、なぜかたまに右手と右足が同時に出てしまうような歩くのがど下手くそな子ではあったが)。
それから二〇一七年、初春。あの子は鼠蹊ヘルニアの手術をした。手術自体は成功したが、術後の経過があまり良くなかった。傷口が常にじゅくじゅくとしていて、ほぼ常にエリザベスカラーを着用する生活を強いられた。同じケージで起居していたレオはアクリル板の仕切りによってケージを分割され、別居を余儀なくされた。
そんな生活が年単位で続いた後の二〇一九年、初春。鼠蹊ヘルニアの傷口の再手術をすることとなった。前回の手術のときに入れたメッシュでアレルギーを起こしていたということだった。傷口の癒着が予想よりも酷く、退院までに月単位の日数が必要となった。あの子はきれいなお姉さんがちやほやしてくれるというどうしようもないおじさん的理由で、かかりつけの動物病院が基本的に好きだった。しかし、あのときばかりは退院後、自宅に帰ってこられたことをあの子もとても喜んでいた(ように見えた)らしい。わたしの仕事がばたついていた時期のことだったので、退院時のことをきちんと知らないのが悔やまれる。
それから二〇二二年の九月、母の卵巣摘出の手術を機に、あの子は妙な仕草をすることが異様に増えた。上を向いて何かを飲み込もうとするような、喘ぐような仕草をすることが増えた。後に母がいつもの動物病院に連れていったところ、おそらく虫歯だろうということになった。
翌年初春、あの子は歯垢除去と抜歯のために日帰り入院となった。奥の方に虫歯があったらしく、結局何本か抜くことになった。
歯の入院処置自体は滞りなく無事に終わり、あの子は家に帰ってきた。しかし、今思えばあれがあの子にとっての最初のターニングポイントだったのかもしれない。
当時のあの子は十四歳と、犬としては充分高齢に含まれる年齢だった。わたしはあのときの処置で麻酔をしたことがあの子の体にとって負担になってしまったのではないかと、引いては寿命を縮めてしまったのではないかと今でも思っている。
それからあの子は散歩に連れ出してもよぼよぼとしか歩かなくなってしまった。家の前で用事だけを済ませて戻ることも多かった。だけど、根気強く付き合ってやれば、家の近くの道の突き当たりや近所の公園まで行けることもあった。
夏の夕方に人のいない公園まで連れていってやれば、あの子は同じところばかりだけれどちょこちょこと歩き回った。土があるからか、あの子は昔から公園が好きだったし、お散歩デビューもあの公園だった。