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悼み酒  作者: 七森香歌
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第二話

(チョコは――あの子はもう何も食べられないのにな……)

 あの子はチーズが大好物だった。わたしが前にあの子のお見舞いに買ってきた一袋千円の犬用高級チーズを火葬のときに持たせてあげたけれど、食いしん坊だったから、きっと空の上に着くまでに全部食べてしまったに違いない。

 あとはいちごも好きだったし、パンケーキも好きだった。あとはチーズ味のスナック菓子とか、夏場の道端に落ちている半生のミミズの死体とか。食糞の悪癖もあったので、常に目を光らせていないといけなかった。

 食いしん坊が過ぎて、何の小細工もなしに錠剤を食べたりだとか、犬には禁忌とされている葡萄を普通に食べてしまったりだとか(当時、わたしたち飼い主もそれがNGだとは知らなかった)。

 あの子は父があげるものであれば、何の疑いもなくばくばくと食べた。食べ物関連の話だけでも思い出すと枚挙にいとまがない。

(そういえば、昔、トイレのいたずらがひどくて、いろいろ辛いもの塗ったなあ……)

 口の中の酒を飲み下すとわたしは小さく笑う。白い呼気がすっと夜闇の中に消える。口の中に残る酒の味は甘いはずなのにどこか苦い。アルコールが回り始めたのか、とく、とく、と平時より心拍数が上昇しているのを感じる。いつもよりも周りが早いのは、月を見上げながら外で飲む酒だからだろうか。

 子犬のころのあの子はとにかくトイレのいたずらがひどかった。ペット用のトイレの中のシーツをどうやってでも器用に引っ張り出してしまうのだ。あの子が触らないようにと、父は何をとち狂ったのか、わさびとからしと豆板醤を練り合わせたものをトイレの留め具の部分に塗ったりもしていたが無意味だった。犬はそういった刺激物がダメなはずなのに、あの子はそれを舐めてしまい、トイレシーツを引っ張り出していた。それに対して父は大人気なく、ペットトイレの留め具をネジ止めするという暴挙に出たという逸話があるがどっちもどっちである。

 イタズラといえば、子犬のころはよくペット用のベッドの中綿を引っ張り出して遊んでいた。母がパートから帰ってくると、ケージの中が一面雪景色になっていたことも多かったらしい。たまに、直しきれなくなった母親がベッドと裁縫道具をわたしのところに持ってきて、度々修繕を押し付けてきたのを覚えている。あれはまだ、たぶんわたしが高校生のときだ。

(いたずらばっかりでもあったけれど、頼もしい子でもあったな……)

 わたしは高校のとき、地方にありがちな自称進学校なマンモス校に通っていた。わたしが高校のときといえば、就職氷河期やらリーマンショックやらがようやくどうにかといった時期だったが、わたしは何が何でも大学に進学させようとする校風に拒絶反応を覚え、次第に学校に行かなくなっていった。

 そんなとき、あの子は朝の散歩も兼ねて、オレについて来いと言わんばかりにわたしを駅までがしがしと引っ張っていってくれた。

 どうしても行けなかった日の昼も、自傷行為を繰り返してずたぼろになった後の夜も、あの子をぎゅっと抱きしめれば、大きなまん丸の目でこちらを見上げて話を聞いてくれた。

 学校に行けなくても、大人になって会社に行けなくなっても、それは変わらなかった。ODで死に損なった日も、どうしたらいいのかわからなくて縋りついた日も、あの子は話を聞いてくれて、一緒にいてくれた。あの子は家族であり、きっとある種の兄だったのかもしれない。


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