手立て(桶狭間1560)
永禄三年(西暦一五六〇年)五月十九日(六月十二日)。早朝。
薄暗い清州城の廊下を、伝令が走る。
「清須様! 鷲津、丸根の両砦から煙があがったとのこと!」
三郎信長は腫れぼったい目を開いた。
「で、あるか」
起きると、腹がしくしくと痛む。
昨日の段階で、信長にやれることはすべてやった。
寝て備えるつもりだったが、眠れず盃を重ねた。
それでも眠れなかったので幸若舞の『敦盛』も舞った。
──手は尽くした。できることは、あまりなかったがな。
泰然とした顔の裏で、信長の心は千々に乱れている。
──くそ、胃が痛い。がんばれ、わし。
信長が今川軍侵攻の噂を聞いたのは、今年一月。年賀の挨拶でのこと。
相手は、なじみの伊勢商人だ。
「治部大輔が尾張攻めの陣触れをしている?」
「噂ではありますが。領国のすべてに兵を出すようにと」
今川治部大輔義元は、駿河と遠江の守護であり、さらには三河も松平家と
結んでほぼ抑えている。
支配下にある三国に陣触れとあれば、二万は確実。三万も考えられる。
贈呈された高麗茶碗を撫でつつ、信長は「で、あるか」とだけ答えた。
この時は、義元による宣伝だと考えていた。二万、三万という兵力を尾張まで
繰り出したところで、作戦期間が短くなるだけだ。
ところが、新たに流れてくる情報は、どれも義元が本気で三万の兵力を動員し、尾張に攻め込む内容だった。しかも、服部党に兵糧を頼む念の入れようだ。
──わからんな。治部大輔の狙いは、なんだ?
兵糧を集めても、数万の軍勢を長期間行動させるのは無理だ。中世の兵は常備軍とは違う。自分の食い扶持を稼ぐため、領地経営は欠かせない。
なら、退却するまでの数ヶ月で、義元は確実な成果を得るつもりだ。
信長は手を尽くしたが、義元の目的は杳としてわからなかった。最初は、織田との係争地である大高城と鳴海城を確保することかと考えたが、それにしては兵数も多く、準備期間も長過ぎた。
──かける手間に比べて、えられる利益が少なすぎる。
悩む信長に、意外なところから答えがきた。熱田神宮の大宮司である千秋家の
跡取り、四郎季忠からである。
信長にとって少し年上の幼なじみは、困惑顔で書状を差し出した。
「治部大輔の家臣が、参拝の手順を確認してきた?」
「はい。親戚ですし、神職つながりで千秋家に連絡が回ってきたものを無下には
できません」
信長は書状を開く。相手は今川義元の家臣であり、入江荘の代官であり、入江大明神の神職である武士だ。
書状の内容は四郎季忠のいう通りだった。近く熱田神宮に参拝したいので、
正しい参拝について教えてほしいというものだ。
「入江大明神の主神は……ふむ、日本武尊か。熱田とは草薙神剣つながりと書いてあるな」
「はい。火難の伝説があり、剣で切り払って難を逃れたそうです」
「ほう」
「近隣では消えずの火の由来があるとか」
「面白そうだな」
信長が食いついた。
入江荘は後に焼津と名がつく。由来の元となった消えずの火は地下にある
天然ガスが漏れ出したものだとの説もある。
くだけた話をしたあと、真面目な顔に戻る。
「問題はなかろう。返事を許……いや待て。待てよ四郎。調べよ」
「は?」
「今川領内からの、参拝についての問い合わせだ。お前の元に届いたのは
これ一通かもしれんが、似た書状が、他の神職に届いておるやもしれん」
果たして。何通もの書状が今川領内のあちらこちらから届いていた。
「これは……くそっ、こっちが狙いか!」
手書きの地図に、書状にあった名前を書き込む。
びっしりと埋まった文字をみて、唸る。
今川領内で動員された軍勢は、国人や国衆と呼ばれる領主に率いられる。国人が義元と共に熱田神宮に参拝すれば、熱田神宮との間に人の縁が結ばれる。
「参拝するのが治部大輔だけなら、熱田神宮の総代に今川の名を入れて有耶無耶にできたものを……今川領の国人までも熱田神宮に参拝されては台無しだ。
何かあるたび、頼り頼られしてしまうぞ」
頼り頼られは人間関係の基本通貨だ。相談できる相手を何人抱えられるかで、人間関係の太さは決まる。
信長は知っている。尾張守護の斯波氏の経済官僚でしかなかった織田家が守護代を経て尾張の実権を握るようになったのも、面倒くさがらず人の縁を維持し続けてきたからだ。
此度の参拝で今川領内の国人領主が熱田神宮と縁を結べば、信長が管理している熱田神宮の利権を、義元が盗み取めるようになる。
信長がやきもきしていると、今度は津島から書状が届けられた。
「又右衛門か」
浅野又右衛門長勝は、信長の家臣だ。普段は津島湊で活動している。書状には、駿府商人の友野二郎兵衛から非公式に相談がきたという。
詳しい内容は使いの者に聞いてくれ、とあった。
「説明せい」
信長は、かしこまっている若者にいった。
足軽長屋に住む、木下藤吉郎だ。百姓上がりの小坊主で、機転が利くところを
見込んで信長が近習に取り立てた。
信長の家臣であるが、津島湊で商売をした縁で、浅野家ともつながりがある。
「治部大輔様が、殿様と和議を結びたいと申しておるそうで」
「和議か。で、何を要求してきた?」
「大高城と鳴海城。そして……」
「熱田湊の利権か」
「はっ」
「その和議を受け入れて、わしに何の得がある」
「二郎兵衛がいうことには、治部大輔様は、熱田の信徒総代はこれまで通りに、
清須様でよいと申されておるとか」
「ちっ」
信長は舌打ちした。
──治部大輔め。わしが絶対に譲れぬ一線を、見抜いておる。
熱田神宮を、名実共に義元が支配すれば、尾張で信長に従う者はいなくなる。
名が総代であり、実が銭である。
名実の両方を守れぬなら、信長としては名は捨てても実は残したい。義元は
それを見抜き、実はもらうから名だけで我慢しろといってきたのだ。
名すら維持させてもらえないと、尾張は再び混乱の巷となる。領地を広げる
人手のない義元にとって、それは許容できないことだ。
「おい、藤吉郎」
「はっ」
「牛頭天王まで駿府を向くと言い出すのではあるまいな」
「それがしにはなんともいえませぬ。ただ、津島湊はこれまで通り、
頼りになる方へ向きまする」
つまり信長が頼りにならないと判断すれば、津島衆も義元を頼るということだ。
腹は立つが、当然だとも信長は思う。
商人に一致団結という言葉はない。自分の利を求め、相手に損を押し付け、
争い続けるのが商人の宿命だ。
津島には、信長の祖父の信定が町に火を放って征服したと伝わっているが、
これは嘘だ。津島衆の中には、進んで織田弾正忠家に従う者も、他の有力者に
従う者もいた。今の津島衆は「悪鬼のような信定に従わされた」ことにして、
まとまっているだけだ。
津島衆のいう頼りになる、頼りにする、というのは身内の統制のため悪役を
引き受けられる相手かどうかでしかない。
──こやつ、やはりできる。
主君相手にその場限りの慰めを言わず、正しく現状を分析してみせる
藤吉郎を、信長は拾い物だと感じる。
「相分かった。又右衛門には、わしが話を聞いたとのみ伝えよ」
信長に伝わったのは、駿府の商人から津島の商人へ流された噂だけ。義元に
正式の返書を出すものではない。
その後も、伊勢や熱田の商人経由で義元の動向は清須に伝わってきた。中には
嘘や勘違いも混じっていたが、全体としての方向性は明らかだった。
五月。
今川領の各地から、国人領主が駿府に集まる。
同時に、国境の城に、兵糧が運び込まれた。
「馬を引けい!」
そして永禄三年(西暦一五六〇年)五月十九日(六月十二日)の早朝。
信長は、五騎の供回りを連れて清須城を出立。熱田神宮へと駆けた。
──道がよくなってる。藤吉郎がやってくれたな。
この半年。義元は銭と人をふんだんに使って手立てを積み重ねてきた。
受けて立つ側の信長には、手立ての積み重ねがほとんどない。
やれたことは、ふたつ。
ひとつは鳴海城と大高城の周囲に砦を築き、兵を配したこと。目的は今川軍と
戦うためではなく、見晴らせるため。特に両城への兵糧入れには注意するよう
伝えてある。
ふたつめが、清須城と熱田神宮の間を結ぶ道の普請である。こちらは藤吉郎に
やらせた。藤吉郎は、浅野の養女のねねを通して津島湊の銭と人を引っ張り出し、道を修繕した。
信長は知っている。ねねが、養父の名を持ち出してまで藤吉郎を助けたのは、
「この先どうなっても、借銭を積み上げられた藤吉郎様は逃げられなくなる」
という理由からだと。情が深すぎる。コワイ。
──昨夜のうちに、義元は沓掛城に入った……はず。大高城に三河衆に命じて
兵糧を入れたというのも間違いなかろう。朝になって移動を開始したとして、
今は大高城への途上だ。大高城で一泊し、熱田神宮へは明日、参拝するつもりと
みて間違いはあるまい。
時間切れは今日の日没だ。
熱田神宮に到着した信長の前に、泥だらけの足軽がひざまずいた。藤吉郎だ。
「お待ちしてました、清須様」
「泥まみれだな」
「通れそうな浅瀬に、竿を立てておりました」
「で、あるか」
信長が兵の集結拠点として指定したのは、熱田神宮だ。
信長の手元には約二千。今川軍の十分の一だ。この数では義元の熱田神宮への
参拝は止められない。だが、弱そうなところに一撃を加えることは可能だ。
「善照寺砦へ向かう。案内せい」
「ははっ!」
信長がたてた砦のうち、最重要なのが善照寺砦だ。ここで今川軍の進軍経路を
一望することができる。信長は泥まみれで走る藤吉郎の後ろを、ぽくぽく馬を
歩ませつつ、鞍上で手立てを思案する。
──このあたりは、起伏が多く、土地がうねっている。見晴らしも悪い。
大軍であっても、分散して進むことになる。
信長は、自分が義元よりも優れてるのは、前線指揮官としての経験と決断力だと考えていた。だから善照寺寺砦から見える状況しだいで打つ手は変えるつもりだ。自分がまだ決めてないものを、義元が読むことはできない。
──和議の後を考えれば、狙うは三河衆。義元は大高城主に元康を置き、西の
押さえとする気だ。
義元は、姪を元康に娶らせることで、三河松平家を今川家の準一門とした。
前日の大高城への兵糧入れも、元康を城主にする実績作りとみて、間違いない。信長の把握する限り、大高城の兵糧は不足していない。むしろ余っているほどだ。熱田参拝と手打ち式の直前に、わざわざ危険をおかし、衆目を集めてまで兵糧を
運び込む必要はない。
今川ほどの大国ともなれば、家臣の出世ひとつとっても、手続きに従って進めることが重要になる。家臣や領民の納得こそが、義元の力の源泉だからだ。
その三河衆に痛打を与え、信長への苦手意識を植え付けることができれば、
今川家と和議を結んだ後も、選択肢が広がると信長はみていた。
──義元が進む道は、王道だ。定石の積み重ねであるがゆえ、読みやすい……
読みやすいからといって、対抗できるかというと、別だがな。
信長は、藤吉郎の尻に視線を固定したまま、馬を歩ませる。
ここで、どれだけ事前に思案を重ねておくかが、勝負を決める。
善照寺砦に到着し、櫓を登る間も、信長の頭の中では、泡沫のように思案が
浮かんでは消えていた。
櫓の上まで登ったところで、わあっ、という声が眼下から聞こえてきた。
「誰ぞ先駆けをしたか」
眼下には細い扇川が、堀のように流れている。
扇川の反対岸には、簡単な柵で覆われた、中島砦がある。
中島砦の向こうには手越川が流れている。漆山や高根山もみえる。
声が聞こえたのは、漆山の麓にある諏訪社からだ。織田の旗が動いている。中島砦から出撃した部隊だ。数はおよそ二十人。
──佐々隊と千秋隊か。
諏訪社には、今川軍の物見がいた。佐々隊と千秋隊は、川土手を駆け上がって物見に襲いかかる。逃げる物見を、後ろから矢が追いかけ、二人を打ち倒す。
えいえい、と威勢のよい声が聞こえてくる。
「幸先がいいな」
信長は視線を上げ、今川軍の動きに変化がないかみる。
街道のあちらこちらに、今川軍の旗が見える。本軍に先行する大物見だ。
カンカンと鉦の音が鳴らされているのは、諏訪社の物見が排除されたことを
本軍に知らせているのだろう。
「さすが仮名目録の国だ。動きがいい」
信長は羨ましく思う。今川家は由緒正しい守護で、先例を重視する。
先例重視から生まれるのが、軍法だ。
対して、信長の弾正忠家は守護代のさらに下の、奉行の出身だ。統一された
軍法など最初から存在しない。
それでなんとかなっているのは、戦の場数が豊富だからだ。佐々隊と千秋隊が
信長の命なくして今川軍の物見を排除したのも、目の前でうろつく手頃な獲物を
排除することで武功をあげようという算段からだ。
ある意味、部隊単位で勝手な動きをしてるわけだが、信長はそれを良しとする。
──四郎は熱田の宮司として旗幟を鮮明にしたいのもあろう。隼人正も同じだ。
若くして家督を継いで七年。信長の立場は今も脆弱なままだ。
この半年を今川家の調略に晒された熱田神社では、有力な家ほど信長と義元、どちらが勝ってもいいよう振る舞いを変えてきている。だが千秋家と四郎季忠に、それはできない。四郎は信長の少し年上の幼なじみで、自他共に認める信長派だ。今さらに義元側につくわけにはいかず、積極的に今川軍と戦っている。
「さて、今川軍はどう動く?」
今川軍の旗の動きが変わった。諏訪社の周囲の諸隊が散っていく。
善照寺砦から見下ろす信長の目が鋭く光った。
──四郎たちを、囲みはじめた?
今川軍の諸隊が散開して見えるのは、渋滞を起こさないためだ。今川軍は、行軍隊形なので、縦に長い。てんでばらばらに織田勢に迫れば、近づくほど
動きがとれなくなる。散開して囲んだ方が、逃げ道を塞いで楽に勝てるのだ。
視点が低い佐々隊と千秋隊は、今川軍の動きに気づけない。それどころか、
もう一当たりできると、近くにみえる今川軍に向かって進みはじめる。罠だ。
「清須様、すぐに支援を!」
櫓の下にいる黒母衣をつけた馬廻りが進言する。信長が一声かければ、
即座に手勢を引き連れて駆け出す構えだ。
黒母衣衆は信長と同じものを見て、同じ結論に達したのだ。軍法なくとも
経験だけで判断ができるのが、織田軍の強みといえる。
喉の奥まできた「すわ、かかれ」という言葉を、信長はのみこむ。
──ダメだ。
早朝に清須を出て、今は昼。
今日のうちに戦えるのは、一回だけ。
ここを駆け下り、佐々隊と千秋隊を救えば、今日の戦いはそこで終わりだ。
それどころか、戦にすらならない可能性もある。善照寺砦から黒母衣衆が
出撃したのをみれば、今川軍より先に、四郎たちが「何かあるぞ」と勘づく。
そうやって周囲を慎重に探れば今川軍の罠に気づいて退く。
今川軍も、無理強いはしない。仕切り直して戦いは明日に持ち越しだ。
だが、それではもう遅い。熱田神宮への参拝を止められない。
──目的を見失ってはならん。
信長は何のために、戦うのか。
武士の面子か。それはそうだ。
ならば、面子はなぜ大事なのか。
──信用のためだ。
義元は信長と和議を結ぶため、大軍を率いてここにきた。
それは、信長ならば結んだ和議を守らせることができると信用しているからだ。
義元に不利な和議を押し付けられ、不満を抱く尾張の国人たちを、殴り宥めて
従わせる力を信長は持っていると。
──不利な戦況なればこそ、わしは力をみせ、信用を守る必要がある。
信長は顔を上げ、視界を広げる。
今川軍は、数十人から百人ほどの単位で行軍隊形を作り、街道を進んでいる。
これらは戦闘部隊だ。
その流れに逆らうものもある。丘の上に登っている部隊だ。上から両軍の動きを目視しようというのだ。右から順に、漆山、高根山、おけはざま山が見えた。
どの頂上にも、長柄や旗持ちが立っている。
──どれかに、治部大輔の本陣がくる。だが、どれだ?
ひとたび目標を決め、兵を送れば、変更はきかない。そんな軍法はない。
信長は熱田神宮で借り受けた軍配を掲げた。普段は使わないが、今日は特別だ。
「目標、高根山!」
根拠はない。勘である。
「すわ、かかれ!」
信長が命じると、黒母衣衆を軸に、諸隊はてんでばらばらに動きはじめた。
その中に、二人の足軽がいる。
「兄貴、なんか殿様が団扇ふってますよ」
「ありゃ軍配だ」
「どう違うんす?」
「馬鹿か、おまえ。団扇と軍配じゃあ、ありがたさが違うに決まってんだろう」
「本当ですか」
「おう。それに、あれは熱田大神から借りた軍配だ。神のご加護があるぞ」
「そりゃ、勝ったも同然じゃないですか」
「お、動きだしたな。おれらも行くぞ」
「で、どこ行くんです兄貴?」
「ついてきゃわかるだろ。大将の旗、見失うなよ」
「がってんでさ」
織田軍は、雑兵にいたるまで戦の場数を積んでいる。
だから、どこに向かうかは気にしない。
どこで、いつ、誰と戦うかは、雑兵の考えることではないからだ。
そちらを考えるのは、現場指揮官の仕事である。
「右衛門尉殿。某の隊はどう動けばようござるか」
問いかけを受けた中年の男は、善照寺砦の指揮官だ。名を佐久間右衛門尉信盛という。織田弾正忠家の筆頭家老で、あまり考えごとを言葉にしない信長の頭の中を読み取り、手筈を整える達人である。
「三左衛門殿か。森隊は北に迂回してもらう。ほれ、あそこ。高根に向かう
間道に入る所に、旗持ちが立っている。あれを目印に進んでくれ」
森三左衛門可成の問いに、信盛は思慮深く答えた。
「遠回りですな」
「今川軍には見つかりにくい。それが大事だ。近づいても道がわからぬようなら、旗持ちに聞いてくれ」
「わかりました」
善照寺砦を任された信盛は、周囲の地形に明るい。
毎日のように自分で歩きまわり、ここぞという場所には目印をつけた。今朝は
早朝から旗持ちの武士を散らした。
今日のうちに信長が善照寺砦に来るとわかっていたわけではない。
ここにきた信長がどう判断するかも、信盛は知る立場にない。
しかし、推測はできた。
──清須様が来るなら、それは今川軍の動きをみるためだ。
そして、信長が攻めかかると判断したならば、目標も推測できる。
──目標は治部大輔の本陣だ。今川軍が本陣を置くのは、視界の広い場所。
漆山、高根山、おけはざま山だ。
どれであっても近づけるよう、信盛は手配りをしておいた。
案に相違せず、信長は兵を率いて善照寺砦へとやってきた。目標も高根山と
決まった。
砦を出る諸隊を、信盛は弟と一緒に案内して回る。
一段落ついたところで、弟が聞いた。
「兄上。清須様の兵は、今川軍の本陣までたどり着けましょうか?」
信盛は、内心で無理だと思った。
──治部大輔とて、わかってよう。今、ここで、清須様に狙われるのが自分の
他にないことを。
少しでも頭があれば、誰にでもわかることだ。
高根山の麓までは近づけよう。だが、駆け上がる途中で食い止められる。
食い止められなくても、逃げられる。
「安心せい。清須様には、熱田大神の加護がある」
砦を任された身として、口からだす言葉は選ばなければならない。
験担ぎに、景気の良い言葉を選ぶ。
──ここで義元本陣を下げさせれば、首級をあげられずとも、勝ったと同じ。
それはそれとして、砦を任された信盛には責任がある。
諸隊を送り出した後、信盛は弓隊と鉄砲隊を再配置した。
武運拙く味方が崩れたら、砦から退却を援護するのだ。
──勝つか。負けるか。
櫓の上で、信長は観察と思索を重ねる。
勝てば問題ない。負ければ追撃を受ける。
追撃を振り切るには、善照寺砦で今川軍を引き止める必要があった。具体的な
手配りについては、万事遺漏のない信盛に任せておけばよい。
──んん? なんか変だぞ。
信長が違和感に気づいたのは、織田軍の旗が高根山の今川軍に迫った時だ。
信長の予想より今川軍の崩れ方が早かった。さては本陣ではなく物見だったかと歯噛みしたが、それも違うようだった。
高根山にある今川軍の旗がぱたぱたと倒れ、遠のいていく。「えいえい」という歓声が山頂のあたりで聞こえた。
その、少し前。
「あれに見えるは、本陣ぞ! すわ、かかれ!」
高根山の麓で、森隊の指揮官の可成が叫ぶ。雄叫びをあげ、足軽たちが斜面を
駆け上がっていく。
防ぎ矢が飛んでくるが、数は少ない。突破できずとも、退路は確保できそうだ。
可成は、周囲を確認した。この上が今川軍の本陣なのは間違いないようだ。
兵の息が切れるまで戦わせた後、可成が殿軍となり兵の撤退を援護する。
──んん? なんか変だぞ。
駆け上がった足軽どもが、なかなか戻ってこない。悲鳴も怒号も、遠ざかる。
やがて上から「えいえい」という声が聞こえた。
その、少し前。
「おらああっ! 死ねやああっ!」
森隊に所属する二人の足軽が高根山を駆け上がっていた。目の前に現れた敵に
槍をつける。弱い。いや、弱くはないが、動きが悪い。雑兵の戦いは、二人か
三人一組で、一人を相手にするものだ。普通は相手もそうだから、なかなか決着が
つかない。槍で殴り、殴られるうちに、息が切れ、後ろに下がる。
「兄貴! いけそうっすよ!」
「おう! やっぱ、熱田大神の御加護だな、こりゃ!」
なのに、今日は違った。今川本陣を守っているのは綺羅びやかな鎧をまとった
武士で、立派な格好の割に、集団戦のイロハを身に着けていない。弟分と呼吸を
合わせ、押し込み、引き倒し、前に進む。
「とにかく押せる間は押すぞ! 崩せ崩せ!」
「了解、兄貴!」
できれば首も取りたかったが、武士の周囲には郎党がいる。集団戦は知らない
相手でも、倒れた武士を囲まれてしまえば、首は取れない。
「あっちだ! あっちに隙間があるぞ! 登れ!」
「了解、兄貴!」
今川本陣といっても、柵を立てる時間はない。その代わり、大将がいる場所は、馬廻りに囲まれ、近づくことはできない──はずだった。
しかし、どういうわけか、大将の周囲は隙間だらけ。陣幕だけは綺麗なので、
違和感がある。
──んん? なんか変だぞ。
何かおかしいと今川治部大輔義元が気づいたのは、高根山に登ってしばらくしてからだ。
織田軍の旗が麓にたどり着くや、義元はすぐ本陣を下げる決断をした。
ここに登ったのは、軍法に大将は見晴らしがよい場所で督戦するとあるからで、義元のみたところ、戦いそのものは決着がついている。
熱田神宮への参拝を決め、今川領国内から主だった国人領主を集めた。商人を
通して進めた調略も順調。この半年で義元が積み重ねた手立ては、信長が何をどうあがこうが盤石だ。ここから信長が逆転するには、それこそ義元を討ち取るほどの奇跡的大勝利が必要となる。
──わしが狙われておるのは、間違いない。危険をおかして、最後まで確認する必要がどこにあろう。
高根山の麓まで織田兵が迫っているなら、さっさと降り、大高城に進むまで。
そう考えて撤退命令をだしたのに、そこから何もかもがおかしくなった。
「輿の準備はどうした。馬廻りは何をしておる」
近習に問いかけるも、困り顔で首を振るだけ。
義元は周囲を見回した。
義元が決断し、命令を下す。ここまではいつも通り。だが、その後が違う。
命令を理解して動く者と、理解できず動くフリをしている者がいる。後者が
もたつくのをはなぜかを考え、そして気づく。
──これはしたり。もたついているのは、熱田神宮参拝のため集めた連中か。
義元は今回の遠征に総動員で臨んだ。総数が一万なら、本陣を守る馬廻り衆も、軍法を叩き込んだ古強者だけで編成される。それが、今回は三万になった。
いつもの馬廻り衆の多くが、前線指揮官に再配置された。空白を埋めたのが、
普段は領地経営に専念している武士たちだ。
──日常業務で覚えた軍法はできても、撤退のような非日常業務な軍法では、
もたつくのか。
それは、後の世なら誰もが当然と思うことだ。
だから、軍も警察も、緊急時に備え訓練する。頭だけでなく体に覚えさせる。
でなければ、視界の外で誰が何をしているのかわからず、混乱が広がる。
──私の過失だな。次はこのような事態を想定して軍法を整え……
義元がそこまで考えた時、本陣を囲む陣幕が切り裂かれた。
雑兵。名乗りもせず、飛びかかってくる。背に永楽通宝の旗印。織田兵だ。
「今川の本陣が崩れました!」
「治部大輔を討ち取ったそうです!」
善照寺砦の信長に、前線から次々と報告がきた。
信長は、手にした軍配を見る。この奇跡的な勝利は熱田神宮の加護か。
負けた時について考えていた諸々を、ひとまず棚上げにする。
本当に義元を討ち取れたかは未確認だが、本陣を崩せたのはここからも見える。
「で、あるか」
いざ勝ってしまうと、今の段階で信長にできることは、あまりない。
もうすぐ日が落ちる。旧暦で五月十九日(六月十二日)は一年でもっとも日が
長い時期だが、朝から駆け通しで兵も将も体力気力が限界だ。
そもそも、後方から新たな命令をだそうにも、ここからでは前線の兵に伝わる
まで時間と手間がかかりすぎる。
「見事なものだ。織田にもやはり、軍法が必要か」
本陣撤退の連絡が鉦と鼓で伝えられるや、鮮やかに退いていく今川軍の旗を
眺め、信長は感心してつぶやいた。