森のくまたん、うさたんの midnight ちょっとスクリーム 《水音》
「森のくまたんです」
『うさたんよ』
「『くまたん、うさたんの midnight ちょっと スクリーム の時間(よ』)です」
『寝苦しい夜が続いているという貴方に贈る真夜中の一時。
眠れないなら、いっそ眠るな!!
思わず叫びたくしたくなるお話で目をギンギンにしてもらいたいわ』
「相変わらず挑発的なスタートだよね」
『それでは、今日も怖い話を聞かせていくわよ。
きっと聞いた人たちは後悔することになるわ。今から10数えるから覚悟のない人は、その間に羅時を切りなさい。いいわね。
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
では、始めるわ』
ピチョン ピチョン
どこかで水が落ちる音が聞こえる。
男は物憂げに目を開いた。
ソファの上。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
疲れがたまっているのだろうか、ひどくねむかった
男は、開いた目を閉じる。
ピチョン
ピチョン
ピチョン
男は忌々しそうに目を開いた。一度気になった水音は耳にこびりついて離れない。
男はベッドから出ると台所へ向かった。
案の定、蛇口からポタリ、ボタリと水滴が落ちていた。男は蛇口を締めるとベッドへ戻った。
しかし、暫くすると……
ピチョン
また、水音がした。
男はしばらく我慢したが最後にはベッドからおりて台所へ向かい蛇口を締め直した。
締めた後、しばらくじっと蛇口を睨み付ける。完全に止まったことに満足した男はベッドにもどる。
と、ベッドにたどり着く前にまたもやピチョンと水音がした。
男は大きなため息をつくと踵を返し、蛇口をこれでもかと締め上げた。
じっと蛇口を見つめる。
もう水滴がにじみ出てくることはない。男は納得すると台所を後にした。
ピチョン ピチョン ピチョン
台所を出たとたん、背後から水音が聞こえてきた。男は取って返すと蛇口を三度締め直す。苛立ちで呼吸が荒くなる。一度締め、さらにもう一度、これでもかと力を込めて締める。
そして、ふうと満足げに息を吐くと、男は台所から出て行く。去りゆき際一度、振り返り様子を伺う。
音はない。
一人頷くと、男は台所から出ていく。トントンという足音が少しずつ小さくなっていった。
というのは見せかけで、男は台所からすぐの戸口のところに身を隠していた。時間を見計らってそっと台所を除いてみた。台所は真っ暗ですべてが濃い影と化していた。
しばらくの間、暗闇を見つめていた男の耳に、しゅりしゅりと床をこする微かな音が聞こえてきた。
何の音だ?
男は目を凝らし台所をにらみつけたが、何も見えない。闇、闇、闇。黒一色だ。
だれかいるのか? と思うがすぐに否定する。
誰もいない、居るはずがないのだ。
さっき、蛇口を締める時だって、だれもいなかった。それは間違いない。幽霊でもなければ、暗闇から誰かが湧いてい出てくるなんてありえない。だが、幽霊という単語を思い浮かべた時、男の肌がぞくりと粟毛だった。と、ピチョンと水音がした。それを合図に、男は弾けるように台所へとびこみ、大声で叫んだ。
「だれかいるのか!」
そう叫びながら、電灯をつける。瞬間的に台所が明るい光に包まれる。
「な、なんだ……」
男は絶句する。
電灯で照らされた台所。シンクの前にうずくまり蛇口へ手を伸ばしたいる髪の長い女がいた。見知らぬ女、いや、髪に隠れて顔は見えないから顔見知りかどうかは分からない。女は服を着ておらず、あばらが浮き出るほど痩せた体は痣だらけの痛ましい姿であった。土気色の肌は生きている者とは思えない。
女の頭がゆっくりと動く。男の方を見ようとしているようだ。髪がゆらゆらと動き、女の顔が露わになる。その顔をみて男は息をのんだ。
女の顔は、顔は……
硬直して動けなくなった男に向かって、女は腫れ上がり、血にまみれた唇を歪ませ、にやりと笑い、つぶやいた。
「見つかっちゃった」
「ぎゃああ、なに、なに、その女の人、意味わかんないよ!」
『くまたん、あなた、うるさいわ。怖い話してるのに、そんなにギャーギャー騒いだら余韻が台無しでしょ』
「いや、でも、でもさ、なんなのその女の人、生きてるの? 死んでるの?」
『ふぅ、嫌ね。そんなことは問題じゃあないわ。よいこと、問題は男のほうよ』
ラジオからの声に男は目を覚ました。
いつの間にかソファーで眠ってしまっていたようだ。男はゆっくりと体を起こす。固まった関節からギシギシと音が聞こえてきそうだった。鈍い頭痛と喉の渇きを覚える。
男は座りなおすとあくびを噛み殺した。
なんだか思考が巡らない。頭の奥でなにかが詰まっているかのようだった。
リビングは真っ暗で外からの微かな光で辛うじて物の配置が分かるぐらいだった。
ぼうっとする頭で、足元に転がるビール瓶を蹴とばす。瓶はごろりと転がりすぐに別の瓶にぶつかった。
男はだるそうに女の名前を呼んだ。
喉が渇く。水が飲みたい。
もう一度女の名前を呼んだが反応はなかった。男は舌打ちをすると立ち上がった。
あいつ、どこにいやがる。全く使えねぇ女だ。
もう一度、女を呼ぶ。
ほぼ怒鳴り声だ。
いつもなら飛んでくるはずの女は一向に姿を現わさなかった。それがさらに男の怒りに油を注ぐ。
いないのか? どっかに勝手に出かけたっていうなら、許さねぇ。またぶんなぐってやって、立場を分からせてやる
男はそう思いながらふらつく足取りで台所へ向かう。まずは、喉の渇きを何とかするのが優先だ。
冷蔵庫にはなにもなかった。
仕方なしに蛇口に口をつけ、水を喉に流し込む。口中に不快なカルキ臭さが広がった。
「クソ女が」
蛇口を締めると吐き捨てる。
不愉快なことはすべて女にまとめてぶつけてやろうと男が心に決めたその時。
ピチョン
水音がした。男は怪訝そうに蛇口を見つめる。だが、蛇口はしっかりと締まっており、水が漏れてくることはなかった。
ピチョン
また、音がした。間違いない、水音は別のところから聞こえてくるのだ。
ピチョン
ピチョン
ピチョン
なにか、妙に神経に障る音だった。男は音の出所をさがして部屋の中をさ迷い歩いた。
まずは風呂場へ行き、耳を澄ます。
ピチョン
だが、風呂場からではない。むしろ音が小さくなっている。ここではない。
一体どこから聞こえるのだろう。
ズキンと頭が痛んだ。
なにか大切なことを忘れているような落ち着かない気持ちになる。
ピチョン
玄関の方へ顔を向ける。
いや、違う。音はしない。
ピチョン
リビングへ戻るが、そこでもない。転がった瓶からもれているのかと思ったが、違うようだ。
ピチョン
水音はやまない。頭痛もひどくなるばかりだ。
ピチョン
ピチョン
水音が男の鼓膜にちくちく刺さり、その度に頭がキリで突かれたようにギリギリと痛んだ。
最後に残った寝室のドアをあけ放つ。
ピチョン
水音が一際大きくなった。どうやら音は寝室から聞こえてくるらしい。
男は室内灯のスイッチを入れた。
ベッドに女が横たわっていた。顔を男の方へむけて微笑んでいる。
いや、ちがう。目の焦点はあっていない。もう女の目は誰も捉えることはない。
鼻と口元が流れた血でベッタリと赤黒く染まり、口は腫れて半開きになっていた。それがまるで笑っているように見えただけだ。
男は鈍い頭痛とともに思い出す。
なんかつまらない理由で男は女を殴った。
いつものことだ。ただ、その日はいつもより強く、長く殴ったかもしれない。
抵抗した女の指が男の頬をひっかいたせいだったように思う。つい力が入った、たぶんそんな気がした。力任せに散々殴って、そのままリビングで酒を飲んだ。
ああ、そうだ。そういうことがあったんだ。いや、そんだけの話だ。ただの痴話喧嘩じゃないか
男は力なく女の名を呼んだ。
答えは返ってこない。
鼻から垂れた血が頬を伝い、ぽとりと落ちる。床の血だまりがピチョンとなった。
『なにがあったか知んないけど。女を粗末に扱う男の末路なんてのはろくでもないものよ
きっとラジオの絵空事の方がずっとましだと思うわよ。
だから、ラジオを聴いている人たちもみんな気をつけなさい。
最初にいったけど聞いたことを後悔することがないように、ね』
ラジオからの声はぷっつりと途絶えた
2022/8/18 初稿