08:花の雨と祝福を
ふわりとした白い花弁に、思わず顔が綻んでしまう。
国花とされるロッチェの花枝を受け取ったわたしは、活気あふれる広場で今か今かとそのときを待っている。
夏至日である今日は、三日続く花祭りの最終日だ。
この日は式典に陛下がお出ましになり、ロッチェの女神が愛したとされる剣を手に舞うことになっている。剣舞が終わるそのときに、貴族も庶民も関係なくロッチェの花を投げて雨のように降らせることが習わしだ。
「オレリア、あちらを」
フェルド様が指差すほうを振り返ると、間もなくしてトランペットの音が鳴り響いた。
王宮から続く道には正装された陛下と、近衛騎士たちと。
その後ろには、凛とした王女殿下のお姿が。
騎乗したままきれいな隊列で広場まで進む御一行に、可憐な姿を見て取って街が揺れるような大きな歓声が上がった。
「……本当に殿下がいらっしゃるのですね」
女性で爵位を賜っている方もいらっしゃるけれど、男性優位なのがこの国の現実である。
特に、前国王陛下はしきたりや伝統といったものに厳しい方で。現国王陛下が即位されて二十年以上経つけれど、古くからの重鎮や年配の貴族たちへの影響は未だに根強い。
陛下は若くして人々の上に立たれたときから今の今まで、染みついた意識を変える政をなさってきている。
治療院や修道院を保護したり、増税するかわりに庶民でも通える学舎を作ったり、わたしが知っているだけでもたくさんある。長い間ご側室しかいらっしゃらなかったのも、そのご側室から正妃をお選びになったのもいろいろな事情があってのことで。
とにかく、男性しか即位できないとされてきた王家のしきたりをしきたりとせず、次代は王女殿下が受け継ぐのだと市井へ報じたのはこの年が明けたとき。
誰もが半信半疑で戸惑ったけれど、お触れが取り消されることもなくむしろ行事で王女殿下が寄り添う姿が多くなれば、次第に言葉の真実味は増していく。
馬から降りて、陛下が群衆に手を上げると歓声が次第に止んで静けさがやってきた。
朗々と響く厳かな声が、夏の訪れを祝い、ここにいる人々の労をねぎらう言葉を紡ぎ始める。
毎年のことなのに、いつも陛下のお言葉はまっすぐと胸に届くから不思議だ。
陛下の挨拶が終わると、剣舞が披露されることが例年だったが。拍手と歓声のあとに、王女殿下の声が響くと打って変わって誰もが口をつぐんだ。
みんながみんな、耳を澄ませ、殿下の言葉を聞き逃すまいとしていることが空気で伝わってくる。
ああ、本当に本当に、変わっていくんだこの国は。
殿下のお言葉のあとに、さざ波のように広がっていく拍手。
「子が生まれることを手放しで喜べる世の中は、今よりも幸せが増えるだろうと。――その象徴として選ばれたのが殿下なのでしょう」
ああ、女の子か。そうやって産声を上げる赤子にため息をつくことがなくなるように。
女児だから、男児だから、と線引きをする必要がないものは誰でも自由に選べるように。
国王が真っ先に示してくださることで、これから根付いていくものが確かに増えていくはずだ。
目の前で剣を構えたお二人の姿こそがまさに。
代々国王は男性だったのだから、夏至祭で女性が剣を握ったこともない。この場に、立ったことさえも。
高い音で指笛が囃し立てる。
殿下のうつくしく波打った栗色の髪が真っ青な空に靡いて、手にした白銀の輝きが日を浴びて目に眩しい。
水が流れるように穏やかに、落ちるように激しく。
二振りの剣が、陛下と殿下が、初夏の空を背に背負い軽やかに舞った。
歓声が上がる。
手を叩き声を上げ、人々の熱気は収まることを知らない。
そろってお辞儀をしてみせたおふたりが、白く染まるのはすぐだった。我先にと人々はロッチェの花を投げて祝う。
降り注がれるたくさんの白い花弁たちは、歓声に負けることなく数を増やすばかり。途切れることを知らない祝福に、陛下も、殿下も、その顔を綻ばせた。
「なんて、きれいなんでしょう」
今までついたため息とはどれとも違うため息がこぼれた。
わたしの横で眩しそうに目を細めているフェルド様は、まっすぐと陛下たちのお姿を見つめていて。
きっとわたしの想像がつかないくらい、いろんな気持ちを抱いていらっしゃるのだろう。
わたしは、まだ手にしたままだった白い花を、そっと隣へ差し出す。
「フェルド様の新たな門出に」
目を見開いたフェルド様は、ふわりと表情をやわらげて。
同じようにロッチェを手に取りわたしへと向けた。
大事そうに見つめてから、ゆっくりと口を開く。
「それなら、レディ・オレリアの輝く明日にも」
一緒にそろって手の中に祝福を落とすと、やわらかな風がさらっていって花の雨を増やした。