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07:春がうまれた日


 ティルアナは不機嫌と上機嫌を両手に抱えて持て余していた。

 あの夢見がちで世間知らずなマイセル・デイズリーが、お姉様の婚約者でなくなったことは飛び上がるほどうれしいけれど。他に想い人がいるからなんていうふざけた理由で婚約の解消をしてきたことは、目の前のテーブルをティーセットごと蹴り飛ばしたいくらい頭にくる。


 それでもティルアナがイライラするだけで大人しく家に留まっているのは、自分よりも両親が静かに怒りをたぎらせているのがわかったからだ。

 とくに、お母様が怒っている。あれはめずらしくカンカンだ。普段は澄まし顔で、お姉様の前では厳しい母親を装っているけれど、なんなのあれ! 信じられない! と侍女にこぼしていたのを聞いた。お母様の実家からついてきている侍女だから気心が知れているのだろう。


 ティルアナが部屋に入ると、トゲトゲの声が嘘だったみたいにいつもどおりのにこやかなお母様で、ああやっぱりこの方は自分の母親だなあと思った次第だ。

 お父様は変わらず穏やかではあったが、すぐにデイズリー家への処遇を整えて周りの者たちへ指示を与えていたから、本当にこの人は見かけによらないなあとしみじみしてしまった。


 気丈にふるまうお姉様が傷ついたことは明白で。

 あんなことがあったのに、人前では落ち込む様子も見せずにいることが返って痛ましく思えてしまう。

 だいたい、お姉様はああ見えて現実的な考えをお持ちだ。

 目の前で問題が起こっても、きっと大丈夫だよとやわらかに微笑むようなマイセルとは違って、すぐに情報を集めたり大人の手を借りたりと動き出すのがお姉様なのだから。ティルアナにしてみたらさっさと自分から動け! とまごまごしている男の尻を蹴飛ばしたいと思っていた。

 思っていただけでやらないし口にも出さないし、母譲りの澄まし顔で佇むけれど。


 お姉様は部屋で休んでいると聞いて、どうしたものかと腕を組む。

 今、下手な慰めはうっとうしいだけ。

 顔を見に行くとしてもお姉様の気が休まらないから、ひとりの時間が大切なのかなというのがティルアナの結論だが。頭ではわかっていても気になってしまうというのが正直なところだ。

 なにか別方面でやれることがないかなと部屋から出ようとしたとき。逆に扉がノックされた。

 返事をすると、顔を曇らせた妹がいた。


「ティルアナお姉様、オレリアお姉様とお会いしました?」

「さっきチラッと顔見ただけ」


 中に招くと、さらさらの長い髪がきれいに靡いた。

 母譲りのピンクがかった金髪がベルティアにはよく似合う。もうすぐ十二歳になるが、年の割に大人びた顔をするからそこもまた可愛らしいと思う。


「やっぱり落ち込んでいらっしゃるかしら……マイセル様はせっかくのお誕生日にひどいです」

「ベルは婚約続いてほしかった?」


 尋ねるとベルティアの眉がきゅっと寄る。


「それは……あの方がオレリアお姉様を大事にしてくださるなら。今となってはお任せできません」

「まあ、そうだよねえ」

「大体、あの方は見かけだけではありませんか。いつも決められずにお姉様が助言するばかりで。先月のお茶会なんて、ご自身で飲むお茶の銘柄ひとつ選べずに迷った末にお姉様に聞いたんですよ?」


 呆れる部分がさらにふえて、脳裏には無駄にキラキラした容姿の困り顔まで浮かんでしまい鼻で笑って一蹴。頼りないにも程がある。

 それでも、その横でお姉様が困った方ねと微笑む姿まで簡単に浮かんでくるんだ。


「まあ、好きだったんでしょうね」

「……オレリアお姉様らしくないです」

「今のお姉様が、今のマイセル様に出会ったのならそりゃあ選ばなかったと思うけど。小さい頃からご一緒だから、気心が知れていることだってあるし。初めはよかったんでしょ、マイセル様だって」

「では甘えるばかりでご自身のことは疎かになさったのでしょう」


 そんな相手が、間の悪い婚約破棄を言い出したのは納得がいくものでもあるが、よくぞ決断できたなとも思う。

 伯爵令嬢への想いが強かっただけなのか、相手のご令嬢がしたたかでそう仕向けたのか。伯爵令嬢を愛してしまった自分が愚かだと嘆く姿はしっくりきたので、たぶん可哀想な自分に酔っているだけなのかもしれない。

 なんにしても、腹は立つがあの男がロッシュ家に入ることはなくなったのだ。それを前向きに受け止めよう。


「誰と婚約するのがいいかなあ」


 公爵家の長女。男兄弟はおらず、お父様に兄弟もいない。

 婚約が解消された今、お姉様のお相手は慎重に選ぶ必要がある。


「オレリアお姉様が、頼れるくらいの方がよろしいのでは?」

「そうそう。お姉様は考えすぎなところがあるからね、安心させられるくらいの甲斐性がないと」

「家のことを考えると、身分も必要ですし」

「それはまあ、そうだけど。お姉様は家柄だけじゃなくて好きになったお相手がいいんだよ。ベルだって、うんと大事にしてくれるやつじゃないとダメだよ」

「それはティルアナお姉様だってそうです」

「はいはい」


 趣味は乗馬。伯父様から剣術指南も受けている自分は、お姉様やこのかわいい妹のようにはできないとよくわかっている。

 このまま、王女殿下の護衛になれたらいいのだけど。

 そんな自分だ。政略結婚が一番合っていると常々思う。

 甘い言葉を向けられても頬を赤らめるどころか白けてしまうし、恋愛をしたいとも思わない。だから、理解し合える相手といい関係を築けたらと思う。それが一番難しいのかもしれないが。

 家のことや人の気持ちが絡むと一筋縄ではいかないからなあと、ティルアナはため息をつく。まあ、自分たちが頭を悩ませてもお姉様の慰めにはならない。


「そういえば。ベル、着替えたの? 叔父様のところに行っただけだったよね」

「……ええ。少し汚してしまって」

「ふーん」


 お母様の弟にあたる叔父様は、趣味が乗馬と読書だった。

 叔父様が王都の別邸に来るのに合わせてベルティアは本棚を見せてもらっているらしく、今日も何冊か借りてきたようだ。

 そそっかしいところもなく大人しい性格の妹が服を汚すとはめずらしいなと、まじまじと顔を眺めたのは居心地を悪くしたようだ。

 こほんと喉を鳴らした妹が違う話を切り出した。


「それより、お姉様。今日のお夕飯をパイ包みにするのはいかがです? オレリアお姉様も召し上がるかしら」

「いい考えだね。料理長のところに行こう」


 食べなければまた違う方法を考えたらいい。

 今できることをやって、だめなら次。

 パッと笑みを浮かべた妹の手をとって、ティルアナは部屋を後にした。






 そんなこともあったなあと、数か月前を思ってティルアナは不思議な気持ちになる。

 婚約破棄の騒動があったかと思えば、今度はアイシャ・コーエンが余計なことをしてくるし。よりにもよって、お姉様のデビュタントで。

 マイセル・デイズリーといい、その相手であるこの令嬢といい、ろくなことをしないなと舌打ちしたのがもうそんなに前だとは。

 その一方で、ランフェルド様とお知り合いになって順調に距離を縮めて、すんなりとふたりが婚約を結んだことにティルアナはらしくもなく安堵の息をこぼしてしまった。


 しかも、人を苛立たせるのがうまいマイセル様とアイシャ嬢の婚約も無事に受理され、公爵家が最後の役目と言わんばかりの結婚式の日取りも決まったそうだ。

 この先、どんなに苦難が予想できても本人たちが気の迷いだったと悔やんでも、絶対に彼らの婚約が破棄されることはなく取り計らわれることになる。正式な謝罪に訪れた公爵家から説明されたから間違いない。

 今後の援助は一切しないとの公言があること、すでに周りは彼らに見切りをつけていることもあり、コーエン家があとどれだけ持つかを賭けている下品な輩までいると聞く。


 おそらく、一番後悔しているのはアイシャだろう。

 公爵家という後ろ盾がないマイセルは、人脈もなければ家を立て直す決断力もない。誰にも見向きもされないこの状況で、共に苦難を乗り越えようとアイシャの手を取るお花畑な思考のマイセルに、真っ青な顔で泣き喚いたアイシャがいたとかいないとか。べったりくっついている今の関係が壊れるのは目の前な気さえしてくるが、同情などする余地もない。自業自得だ。

 人の注目だけはまだ集めている彼らのことを噂する人は多い。

 けれども、その噂さえもうお姉様の耳には届かないようランフェルド様が手を回しているから、ティルアナは知らん顔できてとても気分がよかった。


 ランフェルド様であれば、まあ、マイセル様よりもお姉様のこともこの家のことも大事にしてくれそうだ。

 陛下の近衛でもある方だから、あわよくば稽古もつけていただけるかもしれない。それはなかなかいい。護衛の道に一歩近づいた。

 次女である自分は家に入る必要はないからこそ、周りとのつながりを強める役割があるだろうし、それが王家ならば願ったり叶ったりだ。幸いなことに、王女は同い年で友人とも言える関係を築いているから尚のこと。

 あとは、お姉様が楽しそうなのが一番の理由ではある。

 ジルの似顔絵だったり、お芝居の広報紙だったり、役者や庭園などの絵、ロッチェが刺繍されたリボンなどなど。お姉様の部屋にはランフェルド様からの贈り物が丁寧に並べられ、その数は少しずつ増えているし嬉しそうに手に取っている姿があれば、もう言うことはない。


 ランフェルド様とは城の庭園で会ったことがきっかけと聞いたが、おそらくこれはお父様が引き合わせたようなものだろう。事前に人払いをしているのなら、庭園に誰がいたかは報告を受けているはずだ。

 つまりは、よい相手だとお父様は思っていて。でも、お姉様の気持ちを大切にすることには変わらないから、とくに興味を持たなかったらそれまで。うまくいけばいいなあ、くらいの気持ちかもしれない。実際、そのとおりに進んでいるから侮れないが。お父様はそういうところがある。


「お姉様、今日はどちらへお出かけです?」


 光沢のある深緑色のドレスは、裾からふんだんなレースが覗いて華やかだ。ついてきていたジルが、ちらちらと目で追っているからじゃれつくのも時間の問題かもしれない。

 艶やかな髪も綺麗にまとめた姿は清楚でうつくしかった。


「フェルド様と湖のほとりをお散歩よ」

「へえ。天気がよくてよかったですね」


 今日から暦は春に移るが、あたたかくなってきたとはいえまだ風が吹けば日向でも肌寒い季節。

 侍女や護衛が膝掛けやら上着やらと準備をしているから大丈夫だろうが、日差しがあるにこしたことはない。


「冷めてもおいしいと思ってミートパイにしたのだけど、フェルド様が気に入ってくださるかしら」


 心配そうに頬に手を当てたお姉様に、ティルアナは遠慮せず肩をすくめる。


「気に入らなくたってきちんと召し上がるでしょうね」

「だから悩んでいるのよ。せっかくならお好きなものをご用意したいわ」

「それなら、なにがお好きか今日聞いてみたら? 今日は今日。次は聞いたものを用意すればいいじゃないですか」

「聞いて……なるほど、そうね。変に憶測だけで悩むのはよくないわ。さすがティルね」


 褒められるほどのことでもないと、肩を竦めたのに返ってきたのは花が咲いたようなきれいな笑み。

 やっぱり、お姉様はこういうお顔が似合う。

 思わずこちらも笑みが浮かんだ。


「それじゃあ、楽しんできてください」

「ありがとう」


 馬車の用意ができました、とかけられた声に返事をした背中をティルアナは穏やかに見送る。

 たぶん、土産話をするお姉様もとびきりいい顔なんだろうなあ。

 まだ出かけてもいないのに、帰ってきてからの様子が思い浮かんで笑ってしまう。

 その出迎えをするまでの時間で、今のお姉様の様子を妹に伝えておこうとティルアナは自分も部屋を後にすることにした。

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