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02:迷路を抜けた先には

 わたしの誕生日からひと月後。

 秋が深まったこの季節に、わたしはまたドレスに身を包んで憂鬱な気持ちを抱えていた。

 貴族の子供たちがデビュタントとして参加する奉納祭が開催されるのである。

 十六歳を迎えたわたしは、マイセル様とそろってこの晴れやかな日を迎えるはずだった。ひと月前のわたしはそれを少しも疑っていなかったし、こんなに複雑な心境で王宮に行くことになるとも思っていなかった。


 あの日の話は瞬く間に広がって、それと一緒にマイセル様とアイシャ様のロマンスも知れ渡ることになる。

 身分差に好奇の声も聞こえるが、大体は当家との関係を壊したデイズリー家に厳しい意見とのこと。それを喜べるわけでもなく、わたしはまた胸でもやもやする気持ちをどうしたらいいのかわからないでいた。

 お母様たちには新しいドレスを仕立ててもらい、髪型をどうしようとか明るい話をしたり。お父様には乗馬に連れて行ってもらったり。お母様のお兄様――わたしの伯父様からは突然猫の面倒を見てほしいと飼い猫の一匹を預かったり。


 いろんな人たちが口にはしないけれど気遣ってくださるのがわかって、それにわたしはため息をつく日々。うれしいのに、気持ちがどうしてもふさいでしまう。情けない。

 少しでも気をまぎらわせようと膝に寝転ぶジルをなでていると、あたたかくてやわらかな毛並みにじんわりと慰められた。今日は一緒にいられないのが寂しいくらいには、ジルはわたしに寄り添ってくれる。


「オレリア、ここで待っているだけでは退屈だろう。一緒に散歩はどうかな」


 始まるまでまだ時間があり、控え室で待っているのだと思っていたわたしへお父様が声をかけてくださった。

 お気に入りの靴をドレスの裾の隙間から見ていたわたしはパッと顔を上げてうなずく。

 お城の中を歩き回れる機会はあまりないけれど、宰相をしているお父様がいれば初めてのところへ行けるかもしれない。それに、お父様はよく道に迷われるので思いもしないところに着くなんてことも、もしかしたら。


「お父様とでしたら、いろんなところへ行けそうですね」


 わたしがよろこんでソファーから立ち上がると、隣にいたお母様がくすくす笑った。

 いってらっしゃいとやわらかな声に見送られてふたりで部屋を後にする。


「きみは不本意だろうけれど。初めのダンスを一緒に踊れるのはうれしいなあ」


 わたしに腕を差し出しながら、穏やかにお父様が口を開いてわたしの心をくすぐった。本当にうれしそうに目元をゆるませていらっしゃる。


「お父様ったら。そうですね、わたしも楽しみです」


 お母様とダンスがしたくてたくさん練習したのだとおっしゃっていて、その甲斐あってかお父様と踊るのはとても安定感があってわたしは好きだった。

 わたしはあまり得意ではないから、いつもマイセル様の足を踏んでしまわないかドキドキしていたけれど、お父様が相手ならきっと大丈夫だろう。

 日が暮れ始めた回廊を歩いて、角を二回曲がって、着いた先は秋薔薇が薫る庭園だった。


「ちょうど見頃だから、少し歩くのによさそうかなと」

「お城の中では迷わないのですね」

「……この庭は特別だからね」


 微笑んだお父様は、恥ずかしげに頬をかく。

 奥にある生垣は迷路になっているのだと教えてくださるので、お父様が道を覚えるのは大変だっただろうなあ。ここで行ったり来たりしている姿を思い浮かべて微笑ましくなってしまう。

 行ってみようかとお父様が腕を差し出してくださったとき、旦那様、と従者が駆け寄り耳打ちする。少し離れたところに人影があることを見て取って、お父様は小さくうなずきわたしを振り返った。


「オレリア、すまない。少しご挨拶が必要な方がいらっしゃるから待っていてくれるかい」


 どうやらお仕事の話のようだ。わたしは一歩後ろにさがる。


「わかりました。お庭を見ていてもよろしいですか?」

「うん。この辺りは警備がしっかりしているから安心して大丈夫だ。でも、庭園からは出ないようにね」

「はい」


 迷路はお父様と一緒に行くとして、手前にある花壇や石像を彩るアーチや植え込みの仕立てを見て歩くのもおもしろそうだ。

 まずは鮮やかに咲いている花壇を――、と足を踏み出したわたしの視界を見知った影がさっと横切る。


「あっ、ジル!」


 どうしてこんなところに。

 いるはずのない姿に、見間違いかとも思ったけれど。なーん、と高く鳴いた声もジルのものだった。クリーム色の毛並みがたたたたっと素早く通路を横切って奥へと向かっていく。

 知らぬ間に追いかけてきていたのか迷い込んだのかわからないけれど、王宮を自由に出入りするのはよくないかもしれない。このままでは見失ってしまうから、わたしは反射的に駆け出した。

 ジルは伯父様が王都に住んでいた間、一緒に暮らしていたから家へ帰れないとは思わないが万が一誰かに見咎められることは避けたい。


 ふわふわの尻尾がベンチを飛び越えて、石像を避けて、薔薇の生垣へ滑り込んでいったのがわたしが最後に見た姿だった。

 庭園は石畳になっている通路もあれば、土が剥き出しになっているところもある。

 どうしよう。わたしはここで足を止めてしまった。

 今履いているのは踵の高い靴だ。木を彫ってロッチェの花枝を模したものが踵についているため、見ているだけでもため息がこぼれてしまう。デビュタントではロッチェという国花をあしらったブローチや髪飾りなどをつけることが大多数で、わたしはこの靴。

 お祖母様が街で仕立ててくださった素敵なものを、ここで壊すことはしたくなくて。わたしはほんの少し迷ってから、その靴を脱いでひんやりとした石畳に足を下ろした。そしてすぐに駆け出す。


 薔薇の生垣は迷路になっていて、軽い足音とジルの澄んだ鳴き声を頼りに進むと水の音が大きくなってきて噴水が目の前に現れた。

 そこには、ジルだけではなくて。

 背の高い紳士が表情のない顔をぼんやりと、きらきらと光る水面に向けている、ように見えた。

 なーん、とジルが近づくとすぐに時が動き出し、その方はふわりと目元をやわらげて片膝をつく。

 首を傾げたジルは紳士の足元をくるりと回ると、こっちにおいでと言わんばかりにわたしに向かって鳴いてみせた。それにならって振り返った相手と目が合った。


「こんにちは、レディ。おひとりでどうされましたか」


 騎士服をまとった体つきはしなやかで、さらりとした栗色の髪は短く清潔感があった。

 ヘーゼルの目がわたしの手を見て一度瞬いたのに、わたしは自分が靴を脱いでいることを思い出す。しまった、と思ったけれど今更それはどうしようもない。わたしは靴を抱えたまま背筋を伸ばした。


「ジルの足が速いのでこの靴では追いつけないのと、もしかしたら大事な踵を壊してしまいそうで。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」


 ここは王宮の庭園。入れる人は限られているだろうし、滅多なことは起こらないはず。

 まして、勝手に入り込んだジルにやさしく手を伸べてくださったことがうれしくて、わたしは微笑んで頭を下げた。

 すると紳士も丁寧なお辞儀を返してくれる。


「レディ・オレリア。私はランフェルド・レイヴァンと申します。よろしければこちらにお掛けになりませんか? お似合いのドレスの裾をこれ以上汚すのは忍びない」

「まあ、お心遣いありがとうございます」


 おそらく、裾は汚れていないはずだ。ランフェルド様は素足でいるわたしを気遣ってそう表現したのだろう。

 前髪を後ろに流している髪は栗色。やわらかく細められた瞳はヘーゼル。

 国王陛下とよく似た色彩をお持ちのこの方が、その甥にあたるランフェルド・レイヴァン様だとわたしも予想がついていた。たしか、お歳は二十七歳。自分が小さな頃にご挨拶をしたしその後で何度かお見かけしたこともある。

 失礼ながら目立つ容姿ではないのに、どこか華があるような上品さと優しそうな雰囲気をお持ちで、なんだかとても不思議な方だった。


「水の近くで体が冷えなければよいのですが」


 言いながら胸元から出したハンカチを噴水の縁へ敷くと、わたしへ手を差し出す。それに手を重ねるとやさしい強さで導いてくださった。

 ばさりと騎士服のケープを外してわたしの肩にかけてくれるまでの動きは、まったく迷いのないもので。

 これがマイセル様だったら、はしたないと裸足のわたしを咎めただろうと思った。そして、わたしが足を汚していることにどうしたらよいのかわからず立ち尽くすだけだっただろう。


「今宵がデビュタントですか」


 落ち着いた声色に、はっと沈みそうになった思考を呼び戻された。

 内心で慌てて取り繕うが、表に出ないよう努める。


「はい。閣下も、舞踏会にはいらっしゃるのですか?」

「……そうですね。このあと支度をするつもりです」

「それでは足止めしてしまい申し訳ありません」


 立ち上がろうとするわたしを、ランフェルド様は微笑んで遮った。


「いいえレディ、心配には及びません。男の支度などほんの数分で終わるものですよ」

「まあ」

「私よりも、その素敵な靴の仕度のほうが重要です。お父様はご一緒ですか?」

「はい、入り口のあたりで少し用事をしております」

「それなら、すぐですね。お父様が迷われないことを、ここで祈りながら待ちましょう」


 からかう口調はどこかあたたかく、お父様とも親しいことがうかがえた。

 今日は、憂鬱なデビュタント。

 それは変わりようがなくて、すぐふさぎ込もうとするわたしの心は、穏やかな声にひょいと引っ張り上げられたみたいに軽くなった気がして。思わずわたしはくすくす笑ってしまった。

 足元にいたジルまでごろごろ喉を鳴らすので、ますますわたしはうれしくなる。


「オレリア」


 ほどなくして。迷路のほうから足音が聞こえたのに顔を上げると、少しだけ前髪が崩れたお父様が駆けてくるのが見える。


「お父様」


 わたしが立ち上がると、お父様はほっとしたように微笑んだ。

 傍らにランフェルド様がいらっしゃることに驚いた様子もなくて、そのまま穏やかに口を開く。


「噴水のところにいてくれてよかった。――フェルド様、申し訳ありません」

「いえ、私が好きでやったことです。お気になさらず」


 もしかしたら噴水までの道しか覚えられていないのかもしれないなと、お父様のお顔を見てわたしはこっそり笑ってしまった。

 同じことを思ったのか、ランフェルド様と目が合ってくすぐったくなる。

 そんなわたしたちをよそに、お父様はわたしの足元に目をやって首を傾げた。なーん、と鳴いたジルがそれを真似するみたいに首を傾げる。


「ジルがどうしてここにいるんだい?」

「わからないけれど、見かけたので急いで追いかけたらこんなに奥に来てしまいました」

「ああ、なるほど。ついてきたのかな、迷子になるまえでよかった」


 ふんと鼻を鳴らしたジルを、お父様と一緒に来た従者が籠へと移す。大人しく収まったので、これならもうお城の中を歩き回ったりしないだろう。

 ジルのことを気にしている場合ではなく。すぐに濡れたタオルで足を拭ったり怪我がないか確認されたりと周りが忙しく動き始め、時間を置かずしてようやく靴に本来の役目に戻ってもらえそうだ。

 みんながてきぱきと準備を整えている間、ランフェルド様はお父様とお話になっていた。

 庭園を楽しんでいた静かな時間を壊してしまったことが申し訳ないのに、嫌な顔もせず親切にしてくださった。そのお気持ちにどうお返ししたらよいのか、わたしは考えて眉を寄せる。


「オレリア、どうして拗ねているんだい?」


 振り返ったお父様がとっても不思議そうな顔をした。

 わたしはそれに首を振る。


「拗ねてなんていません。ただ、その、閣下がそうなさるとお決めになったことへ、わたしが謝るとお気持ちが損なわれるのではないかと思っただけです」

「それなら、申し上げる言葉は決まっているのでは?」


 やわらかな声に背中を押され、わたしはうなずいた。

 くださった厚意へ謝るのはやはり違うように思う。

 姿勢を正して、今までで一番きれいなお辞儀になるよう気を付けて頭を下げた。


「ランフェルド・レイヴァン様、素敵な時間をありがとうございました」

「こちらこそ。レディ、どうぞ楽しい夜を」


 手を取って軽い挨拶をしてくださるのがなんだかくすぐったくて。

 まだ少し残るぬくもりが消えないように、わたしは自分の手を大事にそっと握りしめた。


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