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銃声の声色  作者: あきひろ
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働いてるんだよ?

 入学から二か月、涼太は大学の最寄駅に隣接した本屋の前に立っていた。帰宅途中での出来事だった。キャンパスを出て、大勢の学生がそうするように駅へ歩き、改札口を通って、電車に乗るはずが、本屋の窓ガラスに貼られた店員募集の貼り紙を見て、涼太は動けなくなっていた。

 四月半ば、涼太はボランティアサークルに入会した。だから、お金がかかる。活動するにも、サークル内の付き合いにも、金銭の負担はある。無一文では何もできない。加えて、政繁や健吾と学生食堂を利用することもあるし、持て余した時間で漫画を読んだり、音楽を聴いたりすることもある。涼太は貼り紙に黒いマジックペンで太く書かれた応募先の電話番号をスマートフォンに残して、帰宅した。そうして、翌日に電話をかけ、受けた面接の結果、無事にアルバイト店員として採用された。

 その後、早くも働き始めて二週間が経とうとしている。

 その日の午後も涼太は支給されたエプロンをつけ、レジに入っていた。

「堀越くんって大学生、今年からだよね?」

「そうですよ」

「まだ六月だよね?」

「そうですね」

「それでもうバイトするって早くない?」

「そ、そうですか」

 涼太の世話係になったのはこの本屋で最も長く働いている松村信二(まつむらしんじ)という大学学生だった。信二は店長からの信頼も厚く、涼太以外にも新人のアルバイトの世話をする役を何度も任されていた。電話で採用を告げられ、再び店を訪れた涼太に店長はアルバイトの説明と合わせて信二の存在を教え、涼太を安心させた。

 しかし、信二には日頃から人を見る目に偏見があり、立場の弱い相手を顎で使うところがある。だから、採用されて間もない学生の世話をした経験があると同時に、その学生を辞めさせたこともあるのだ、と安心した涼太を脅して、店長は苦笑いをした。

 手の空いている信二は涼太との雑談を続ける。

「それと。堀越くんってさ」

「はい」

「どうしてボランティアなの?」

「ああ、それですか」

「ああそれですか、じゃなくてさ」

「あんま理由はないんですけど。でも、楽しいですよ? 松村さんも一緒にやります? 外部の人も参加できますし」

「俺はやらないよ」

 涼太が傍にいる信二を見ると、自動ドアが開いて、ブレザーを着た女子高生が来店してくるのが視界に入った。高校生はすでに下校できる時刻である。それを実感しながら、露骨に嫌な顔をする信二に、涼太は少し緊張した。

「俺は君と違って、付き合う人を選ぶ性質だからね。別にボランティアだって、やらなきゃいけないことではないだろう? てか、堀越くんって、根は学級委員みたいなタイプ? 善意はいつも善意的な。そういうの、悪いとは言わないけどさ。でも、それが当てはまらない人には差別的発言に捉えられるから、やめた方がいいよ?」

 信二は時々、ムッとする言葉遣いをする。

 しかし、全てを受けとめることがコミュニケーションを成立させる鍵ではない。信二の言葉を聞き流して、涼太は軽い相槌を打ち、視線を店内に向けた。ブレザーを着た女子高生は物色せずに、学習参考書の置かれている棚へ歩いていく。

「堀越くんって、自分より他人を大事にするタイプ?」

「極端にそうではないと思いますけど。どうしてですか?」

「いや、ボランティアやってるから。てっきり偽善的なタイプなのかなってさ」

「ああ、そういうイメージはありますね。でも、それだけじゃないですよ? 勉強にもなりますし。発見があるというか。言ってしまえば、僕が馬鹿なだけかもですけど」

「へえ。例えば?」

「例えばですか」

「そう例えば」

「例えば。自分が小さく見える時があるんです。無力だなあって」

信二は全くの無関心な様子を隠さず、ああ、そう、と相槌を打った。

「そうなんですよ」

 涼太にはそう言う他なかった。

 しかし、満面の笑みを浮かべて、涼太が信二を見つめると、決して悪事を働いたはずもない信二は罰が悪そうに目を逸らして、ボソッと言葉を漏らした。

「そ、それは知らなかったよ」

「そうなんです。知ると物の見方が変わるんです」

 ボランティア活動は空気に似ている。

 差し伸べる手に意思はいらない。

 肺に入れる空気があって、生命を繋ぐ酸素があればいいのと同じで、伸ばした手の平に乗っているものが優しさなのか同情なのかはまるで問題ではない。

 涼太がボランティアサークルで最初に参加した活動は近隣のゴミ拾いだった。当然ながら見返りはなく、ただ黙々とアスファルトの歩道に屈み、潰れた空き缶や汚い煙草の吸殻を拾うだけの活動だった。面白味があるかどうか、と訊かれたら、まず誰もが首を横に振ること。けれど、その代わりにゴミを捨てた人について考える。

 どうしてこれだけの物があるべき場所へ持って行かれずにいるのか、と自己完結してなお、切りのないゴミがあるから、終わりなく考えさせられる。

 義務と呼べるほど手頃な首輪もなければ、親切と呼べるほどの生産性もない。そんな活動。涼太はゴミを捨てたことがなかった。けれど、何遍考え直しても解決策は拾うことだ。捨てずとも拾わない。そんな胸をなで下ろすに足りる倫理観を掲げ、汚れる歩道やどこかの山や海の現状に嘆く権利を買っている。

 涼太はその必要がないと知りながら自傷した。そうして、活動前は空だったビニール袋がゴミで膨れていくのを確認しながら、少しだけ楽しくて笑った。

 歳を取るにつれ、得しないことをする人間は馬鹿にされがちだが、例え理屈に合わずとも、意義のあることは大人になっても残っている。説明の要らない微笑み。損得なしの温もり。それらを信じられる行為は幾つになってもちゃんとある。

 ブレザーを着た女子高生が大学受験の参考書を持って、レジに来た。

 信二が参考書を受け取り、会計を始め、涼太は信二からもらった参考書に店名の印刷されたブックカバーをかけて、レジの台に置いた。

 女子高生はレジの台から参考書を取り、それを鞄に入れると、店を出ていった。

「まあ、いいんじゃない? ボランティアも。堀越くんがいいならそれで」

 信二は愛想がなかった。けれど、ボランティア活動への想いを全く否定しないでいることに、涼太は密かに好感を持っていた。

「ありがとうございます」

「お礼とか気持ち悪いな? あっ、それより。さっき店長が呼んでたよ」

「えっ! ほんとですか?」

「ほんと。てか、ここで嘘を吐く訳ないだろ? ああ。でも、バイト終わりでいいって言ってたから、大した話じゃないんだろうね。帰りに話してみたら?」

 信二は淡々と舌を回して、店内を見回した。

 しかし、涼太は働き始めてから今日までに起こした失敗を思い返して、落ち着かなくなった。慎重に呼吸をし、手の平の湿りを感じながら、壁にかかった時計を見上げる。アルバイトが終わるまでの時間。秒針はちょうど六の数字を過ぎたばかりで、あと三十秒も経たないうちに短針が次へ進むところだった。

 何もできずに次の時刻が迫ってくる。

 信二は涼太につられて時計を見上げ、独り言のようにボソッと言った。

「堀越くんのバイト、もう終わりだね」


 涼太がスタッフルームのドアを開けると、店長の大川直樹(おおかわなおき)はデスクワークから顔を上げ、軽く声をかけただけで、デスクワークを再開した。

 よからぬ話なのだと緊張を隠せない涼太は自ら恐る恐る直樹に声をかける。

「す、すみません。店長。松村さんから呼ばれてたって聞いたんですけど」

 涼太が言い終えると、直樹の指が叩いていたタイピングの音がとまった。

「ああ、そうだった! まあまあ! いいよ? とりあえず着替えてからで。な?」

「はっ、はい!」

 涼太はすぐさま更衣室へ入り、急いで制服を脱ぐと、デニムのズボンを履き、シャツとパーカーを被って、てきぱきと着替えを済ませた。無駄な時間はかけず、更衣室を出て、直樹の後ろに離れて立つと、直樹はキャスター付きの椅子をクルッと回して振り向き、涼太の顔を見上げた。涼太は気をつけの姿勢を取っている。

「お前、着替えるの早くない?」

「い、いえ。普通です」

「そうか? ならいいけど。てか、話ってのは大したことじゃないんだけど、ちょっとした確認でな。お前、もう働き始めて、二週間くらいか?」

「えっと、正確には明後日で二週間です」

「少しは慣れたか?」

「な、慣れました。少しは」

「働いていけそうか?」

「あっ、はい。頑張ります!」

 直樹に苛立っている様子はなかったが、涼太は立ち続けるので精一杯だった。

 相槌を打ち、直樹の視線から目を逸らさないようにしている。しかし、視線のぶつかる時間が長いほど、心の奥底を覗かれている心地が落ち着かなかった。

 その結果、目を合わせたり、合わせなかったりを繰り返している。

 肩の力を抜いて、全身の緊張を解いてはならない。

 涼太は直樹の言うことを噛み砕く余裕もなく、故にただ丸呑みして、その姿勢を認めてもらうことをゴールに、それで手にする僅かな安らぎで精神を保っている。

「話を変えるが、松村はどうだ?」

「なっ。仲よくしてます」

「ならよかった。お前も色々大変だろうけど。あいつも大学四年で辞めるのも近いから。まあ、あと少しだけ仲よくしてやってくれよ」

「は、はい!」

 他愛のない会話。相手の真意を探ろうとしないやり取り。

 涼太はいつまでも緊張していたが、少しだけ背負っている気持ちの重りを下ろそうかと腰を屈めた。けれど、直樹が両手で勢いよく両膝を打ち、バチンと音を立てて、発した声が途端に低いのを聞き取ると、涼太は再び身体を硬直させた。

「んでだ!」

 涼太は生唾を飲んで、は、はい、と擦れた声で返事をした。

「昨日のことだが、お前、客の探してた本を見つけるのに二十分かかったって?」

「あ、はい」

「んで、見つかったのか?」

「い、いえ。お客さんも商品がよく分からなくて、探しているうちに時間が経ってしまって。結局、また来る、と言って、帰っていきました」

 涼太はお客から次々と告げられる検索ワードをメモして、検索機で一つずつ確実に調べ、それと思しき商品があれば、お客に確認をしてもらった、昨日の出来事を思い出しながら、直樹に当時のことを説明した。

 涼太は自身が大変できたアルバイトだとは思っていなかったが、昨日の出来事に限っては他にやりようがなかったと認識していた。

 しかし、直樹の表情は説明を訊く前と後でまるで変わらない。

「別にお前のやり方が全て間違っていたとは言わない」

「はい」

「ただ、お前がその客に掴まっている間に、松村は他のお客の本を探して、レジ打ちまでしている。言いたいこと、分かるか? 誰かに感謝されるのは正しいことだ。褒められた行為に違いないさ。でもな、アルバイトもビジネスなんだ。感謝されるだけじゃ生きていけない。そもそもお前は感謝されるにも至っていない。昨日みたいな場合はな。少し調べてから分からないことを詫びて、出直してもらうのが正解だ」

「い、いや。しかし」

 涼太の口からつい反論の言葉が出た。

 けれど、出かけた言葉を慌てて飲み込み、黙った。

「お前からしたら、優しくない行動かもしれない。でも、これも一つの誠実さ。できないことに手を尽くして客に罵倒されないだけで終わるなら、二十分も要らない。早めに判断しなきゃいけない。客も期待しちまうからな。分かるか?」

「わ、分かります。すみません」

「分かればいい。まあ、学生のアルバイトにこれだけ言うのも、ちゃんと仕事を学んで欲しいって俺の願望さ。頑張ってくれよ? お前が一生懸命なのは分かってるから。でも、仕事はボランティアと違うから。そこは間違えるなよ?」

「あっ。いや!」

 直樹が首を傾げ、ん? と声を漏らす。

 涼太は慌てて、首を振った。

「どうかしたか?」

「い、いえ。がっ。頑張ります」

 緊張している胸の中にどす黒い感情が落ちていく。引き上げようにも馬力がない。もしも縛りつけている理性を無視して、思いのままに行動したなら、あるいは解消できたかもしれないが、涼太にはその選択ができなかった。

「よし。帰っていいぞ! お疲れ!」

 直樹は上機嫌にそう言い、キャスター付きの椅子をグルッと回して、デスクワークに戻った。背を向けられた涼太は一言、挨拶をして、スタッフルームを後にする。店内で働いている信二にも声をかけ、店を出ると、空は暗くなり始めたばかりだった。

 直樹が仕事の説明にボランティア活動を出した時、涼太は物申したかった。しかし、その発言に働いて二週間のアルバイトが意を示すのは難しいことである。

 涼太は大きな溜息を吐いて、駅のホームへ歩いた。

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