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銃声の声色  作者: あきひろ
3/19

友人と呼ぶには

 今日はここまで、という一言。それで講義は終わった。

 教授は教壇の上で資料を片づけ始め、さもそれが合図であったかのように、学生たちは席を立った。涼太は持参した筆記用具やノートをバッグにしまう。けれど、その間にも何人もの学生たちが教場を後にしていく。

 終わりを告げられるより前から準備をしていなければ、それほど早くに席を立つことはできない。一人、また一人、教場内の学生が減っていく。

 ただし、それは教授も同様で、すでに教壇には誰も立っていなかった。

 高校では授業を受けないだけで、不良と呼ばれ、教師に目をつけられたのに、大学ではそうではないらしい。涼太は大学生になって初めての講義がものの十五分で終わったことに順応できず、頭をかいた。

 三十分ほど前、見知らぬ女子学生に抜け道を教わり、そこを通って、涼太はこの教場へやってきた。しかし、さほど重要ではなかったようだ。初回の講義は受講の注意事項や評価基準、それと購入必須の参考書を説明しただけだった。

 涼太は出入口へ向かう学生たちを見送り、一つ空けて隣の席に座っていた男子学生がちょうど椅子を引くのに気づいて、咄嗟に声をかけた。

「ああ。あのさ」

 男子学生は立ち上がって、涼太を見た。背の高い男だった。

 厚手のパーカーにデニムを履いて、髪は短く、身体つきはがっしりとしている。首回りや肩幅は細いけれど、立ち上がる動作一つで、見えない筋肉が窮屈そうに動くのでその構造が伝わってくる。男子学生の顔に表情はなかった。

「ん? 俺?」

「あ、その。よければ、一緒に昼飯食べないかなって。俺、まだ友達いないんだ」

 座ったままの涼太が見上げて、話しかける。

男子学生に喜ぶ様子はなかった。けれど、特別表情を曇らせることもなかった。

「いいよ。行こうか」

「ありがとう」

「てか、俺も友達いないんだ。よろしくな」

 男子生徒は小さな笑みを作った。

「こっちこそ。俺、堀越っていうんだ」

「俺は林田(はやしだ)。じゃあさ、あとで連絡先、交換しようぜ」

 涼太は席を立って、バッグを掴んだ。けれど、すぐに肩を叩かれ、昼食の約束をしたばかりの男子学生、林田(まさ)(しげ)を見た。

 政繁は一つ隣の机の席にいる男子学生を指差している。

「あいつもいい?」

「俺はいいけど。知り合い?」

「いや、なんか目が合ったから」

 政繁は一歩も動かず、その場で少しだけ声を張った。

「お前も一緒に昼飯行く?」

 政繁が呼んだ男子学生は顔を上げ、ちらりと涼太たちを見た。

 金色に染められた髪。それが逆立って、見る者を威圧する。

 けれど、眉の下で瞳はころころ動き、落ち着きのなさを伝えてくる。胸元のネックレスは男子学生が視線を外す一つの動作に反応して、銀色に光り、政繁の誘いに葛藤する心情を表すみたいに揺れている。

 男子学生はすぐに席を立ち、バッグを背に担いで、決まりの悪い表情で近づいてきた。

「い、行くよ」

 その声は小さかったが、決して聞こえない声量ではなかった。

 なのに、政繁は手を耳に添え、わざわざ首をかしげて、男子学生に訊き返した。

「ん、何? 聞こえない」

「だから、行くっての!」

 男子生徒は途端に声を荒げ、その声の落差にびっくりして、涼太は少し顔をしかめた。教場に残っている学生はもう数えるほどしかいない。

 男子学生は俯き、頭をかきながら、小声に戻らない声で言った。

平井健吾(ひらいけんご)だ。よろしくな」

 三人は出入口へ歩き出した。涼太は校門で抜け道を教えてくれた女子学生を思い出し、二人にばれない嬉しさをスニーカーに乗せて踏んだ。人との繋がりは気分なので、今日叶ったことが明日叶うとは限らない。だから、声をかけることに意味はあれど、相手が誘いに乗る、その普遍的な答えなどどこにもない。

 出口まではあと少しだった。けれど、その途中で涼太は足をとめた。

「何だよ? 早く行こうぜ」

 健吾がつられて立ちどまり、不満を漏らす。

「わ、悪い。ちょっと待った」

 涼太は健吾に断って、二人から離れ、一つの座席に向かった。

 その席では眼鏡をかけた男子生徒が一人で読書をしている。教場に残っているのは涼太たちの他に、その男子学生だけなので、近づく足音に気づいて、男子学生は涼太が声をかけるより前に顔を上げ、文庫本を伏せた。

「なあ」

「な、何ですか?」

 黒縁の眼鏡。その向こうにある瞳が涼太に向けられる。涼太は手を机について、前屈みになり、その視線と合わせると、明るい声で軽やかに舌を回した。

「一緒に昼飯、食べに行こうぜ?」

「い、いや」

 瞳が伝える脅え。それをすくい上げようとする笑み。

 そのあまりの落差に引っ込めようとする手が見える。人を困らせてからする後悔。それをどう扱えばいいかが分からず、描いたシナリオがただの妄想であったみたいに予期していなかった不満と恥ずかしさに襲われて、目的の違う笑みで隠している。

「僕は遠慮するよ。悪いけど」

 男子学生はただそう言った。


 だから言っただろ、と健吾は言う。学生食堂の受付に食券を出し、それを白い帽子を被ったおばさんが受け取ったところだった。しかし、政繁がすかさずその発言を否定する。健吾の後ろに立って、受付の順番を待っていたので、健吾が料理の受取口へ移動するのと入れ替わりで、政繁は食券をおばさんに渡した。

「平井、何も言ってなくない?」

「言ってはないけど、分かんだろ。読書してたんだぜ? そりゃ、俺らの誘いには乗らねぇって。もう無暗に人を誘うのはやめた方がいいぜ。なあ、堀越?」

 涼太は政繁の次に食券を受付に出して、スープをコンソメにするか、ポタージュにするかをおばさんに訊かれ、答えているところだった。

 政繁が涼太に代わって、受取口の健吾を追いながら言い返す。

「お前、誘われなかったら、ここにいないけど」

「俺はいいんだよ? 読書してなかったし」

「やれやれ」

「つか、俺を誘ったのは堀越じゃなくて、お前だろ?」

 そこへ涼太が二人に追いつき、口を挟む。

「平井を誘ったのは林田だけど、林田を誘ったのは俺だよ」

「だあ、もう! 悪かったよ! でも、誘われる方にも都合とかあるからな。そっちはそっちでやって、って。そういうのあるからな」

 健吾は声を荒げて、腕を組んだ。

 その間にも調理は進み、受取口から皿に盛られた料理が出てくる。

 最初に出てきたのは政繁が頼んだカレーライスだった。政繁は皿をトレーに乗せて、学生食堂の空いている席に歩いていく。次に出てきたのはミートソースのかかったパスタとポタージュスープだった。涼太はそれらをトレーに乗せ、後を追って、政繁の向かいの席に座った。少し待つが、健吾はまだ調理に時間がかかるようだ。

 すると、政繁はセルフサービスのサーバーを指差し、腰を浮かした涼太を制して、一人で麦茶の注がれた湯呑を三つ運んできた。そこへハンバーグステーキとライスの乗ったトレーを持って、健吾が政繁の隣に座った。

 三人が席に着いて、それぞれが自分の料理に手をつける。

 涼太はフォークをパスタに刺して、巻いた。

「あのさ。サークルとか決めてる?」

 政繁はカレーライスをスプーンですくったところだった。

 質問したのはハンバーグステーキにナイフを入れている健吾だ。

 政繁はスプーンを手に持ったまま、少々ぶっきらぼうに答えた。

「俺はサッカーやる。部活で」

「部活? サークルじゃなくて?」

「そう。決めてたから」

 涼太は一口目のミートパスタを口に入れた。

 政繁もスプーンを口に運んで、カレーライスを食べ始める。会話が途切れて、素っ気ない相槌を打った健吾はナイフを前後に動かしながら、口をつぐんだ。

 けれど、肉が切れると、食べる前に涼太を見て、健吾はまた口を開けた。

「んじゃ、お前は?」

「俺はまだ決めてない。でも、あんま面倒なことはパスかな」

「だよな! 普通、そうだよな!」

 健吾は途端に喜んで、共感の反応を見せ、フォークに突き刺した肉を口に入れた。そこへさらにライスをかき込んで、頬を膨らませ、とても会話のできる状態ではない口で咀嚼し始める。涼太は無視して、熱々のポタージュスープを飲んだ。

 今度は涼太が口を空にして、政繁に話しかける。

「林田はサッカーやってたの?」

「ん? ああ。小学校の二年生からやってる。だから、もう十年? 十年はやってる」

「すごっ! 俺、そんな続けてるもの一個もないって」

 涼太はミートパスタを食べて、政繁から視線を隣席に移した。

 健吾はまだもごもごと咀嚼を続けている。けれど、凝視する涼太の目には気づいていて、咀嚼物を飲み込むと、涼太に不機嫌な声をぶつけた。

「どうして俺を見る?」

「平井もないだろ? ずっと続けてるものとか」

「俺だってサッカーはやってたぜ?」

「いや、サッカーじゃなくて他のことでもいいけど。てか、それ、部活っていう義務だろ? 俺が言いたいのは自主的に長く続けてることないだろ、って。そういうこと」

 そこで政繁は口へ運ぶスプーンをとめて、顔を上げずに健吾に言った。

 カレーライスの皿はほとんど空になっている。

「お前、馬鹿だろ?」

「おい! 何て言った? お前」

 健吾は凄んで、鋭い目つきで政繁を睨む。

 一瞬、時がとまった。

 けれど、政繁に彷彿する苛立ちを静める気はないらしい。

「まあ、俺がすごいからいけないんだよ。ごめんな?」

 さらに健吾を逆撫でして、また食べ進める。

 いつしか時間は忍び足で進み、重力を持っていた。

「やってらんねぇ!」

 健吾はナイフを持った拳をテーブルに叩きつけ、学生食堂にある視線を全て引きつけたのではないか、と思えるほど大きな音を出して、辺りを無音にした。

 それでも、政繁は一切の関心を示さず、残りのカレーライスを平らげ、湯呑の麦茶を飲み干すと、一人で席を立ち、トレーを返却口へ運んでいった。

「置いてかれた?」

「かもな」

 涼太が訊くと、健吾は顔を上げずにボソッと答えた。気にせず食を進める健吾をよそに涼太がその姿を目で追うと、政繁は学生食堂を出ていった。


「遅くて悪い」

「いいよ」

 涼太がミートパスタを平らげ、ポタージュスープを飲み干すまでの間、健吾は席を立たなかった。ハンバーグステーキとライスの皿はすでに空になっている。

 涼太が謝ると、健吾は右手を軽く振った。

 しかし、その声に勢いはない。

 出会って二時間足らずで壊れてしまった関係。その不甲斐なさとやり切れない気持ちを抱えて、二人は腰を上げた。トレーを返却口へ運び、次の講義を受けるために学生食堂を後にする。ドアを開けて、外へ出ると、健吾は両手を上げて、伸びをした。

「さてと。んじゃ次行くか。講義の場所って分かる?」

「俺、マップ持ってるわ」

「お、いいね! サンキュー」

 涼太はバッグから入学式後のガイダンスでもらったキャンパス内のマップを取り出し、開いた。さほど離れていないことを確認して、正面の広い通りを指差す。健吾も正面を見た。すると、顔を上げた二人の視線の先から駆けてくる人がいる。

 その人は学生食堂へ入るではなく、真っ直ぐ二人に向かってきた。

「な、何だ? お前?」

 健吾が戸惑う声を出す。けれど、その人は和やかな笑みで、まあまあ、と返して、詳細を言わずに、涼太と健吾を学生食堂へ引き戻し、空いているテーブルに並んで座らせると、向かい席の椅子を引いて、手荷物から缶コーヒーを三つ取り出した。

「何なんだよ? お前、いきなり戻ってきて」

 テーブルに並んだ缶コーヒーを無視して、健吾が再び問いただす。

 二人の前にいるのは先ほど一人で出ていったはずの政繁だった。

「さっきはごめん。考え直して戻ってきた」

 涼太はポカンとして、何も言わずにいる。

 政繁は駆けて乱れた呼吸を整えながら、ゆっくり腰を下ろした。

「これはお詫びの印だ」

 健吾は腕を組み、政繁を睨んだ。

 けれど、その瞳には迷いが混じっている。

 少しの沈黙があり、涼太は先に口を開いた。

「俺はいいよ。仲よくやろう」

 涼太はそう言い、テーブルに置かれた缶を見比べた。缶のパッケージは三つとも違っている。涼太はそこに書かれた文字を読みながら、これ選んでいいの、と訊いた。

 政繁はニコッと口の端を緩める。

「いいよ。好きなものを選んで」

「ありがと」

 涼太はテーブルにある缶から顔を上げて、隣席に座る人を見た。健吾はまだ腕を組んで、眉間に皺を寄せている。涼太は心の中で小さな溜息を吐き、平井はどうするの? と訊いた。すると、健吾も溜息を吐く。それは耳に聞こえる溜息だった。

「わ、分かった」

「何が?」

 涼太が健吾の顔を見たまま続ける。

 政繁は何も言わない。

「なかったことにしよう!」

 今度は政繁が頭を下げ、口を開けた。

「ありがとう」

 涼太は何も言わない。ただ、その代わり、テーブルに手を伸ばして、缶コーヒーを一つ取った。涼太の右手が缶を掴む。その動作を健吾と政繁も見ている。

 健吾は再び声を上げた。

「おい、待て! 取るのが早い!」

「いいじゃん。早く決めないと講義始まるし」

「いや、馬鹿か? まず優先権は俺だろ!」

 涼太は右手に缶を持ったまま、政繁を見た。

 政繁はきょとんとしている。

「林田。これって、平井が優先なの?」

「いいや。別に誰でもいい」

 もう謝罪が済んだからかもしれない。

 政繁の声は他人事だった。

「よくねぇだろ! アホか、お前ら!」

 健吾は矛先を涼太に向けて、組んでいた腕を解き、肘をテーブルにつけた。

 涼太は不機嫌な目つきで、持っていた缶のプルタブを開ける。

「どうでもいいけど、平井も早く選べば?」

 その隙に、政繁もテーブルにある缶コーヒーを一つ、手に取った。健吾がすぐに気づくが、政繁は数秒前に自分の謝罪した相手の文句を待たずにプルタブを開けた。人形のように無関心な目だった。

「おい! 俺が残り物だぞ」

「残り物には福があるよ?」

「林田。巧いこと言うなあ」

「えへへ。そう?」

「だあ、もう! 分かった。悪かったよ!」

 健吾は文句を言いながら、残りの缶コーヒーを取って、プルタブを開けた。

 人は人を求める。けれど、そこに完璧はない。だから、騒がしくてもいいし、物静かでもいい。抜け道を知らないままでは過ごせなかった時間が流れ、出会えなかったものを想像すること。想像することは誰にでもできる。

 ただし、実際にそれをするかどうかは人による。

 人との出会いに価値がつくならば、この想像なくして価値はつかない。出会えなかったかもしれない、という寂しさなくして価値はつかない。

 文句を言う健吾を政繁がたしなめ、二人の言い合いが始まる。涼太は右手を傾ける度に舌の上に流れるコーヒーを味わいながら、その様子を見守っている。しかし、政繁が缶コーヒーを出した時に開けたバッグの口から水色の紙がはみ出ていることに気づいて、涼太は思わずそれを指差した。

 その紙は勧誘活動に使われているビラだった。

「それ、ビラ? どこの?」

「ああ、これ? 今朝の勧誘でもらったんだけど。いる? 俺、いらないし」

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