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銃声の声色  作者: あきひろ
2/19

一年経っても

 一年前、大学に入学した涼太は入学式を終え、講義の履修登録を済ませ、週明け、意気揚々と登校した。家を出て、電車を乗り継ぎ、最寄駅から歩いて、キャンパスが見えてくる。そうして、校門で立ちどまった。

 キャンパス内の景色は先週の入学式と違って、活気に溢れている。

「野球同好会です! 今度練習試合やります!」

「旅行は好きですか? 私たちと楽しいキャンパスライフを送りませんか?」

「音楽に興味のある人! 一緒に好きな音楽を語りましょう!」

 キャンパス内は部活動やサークル活動に所属する在学生の勧誘活動で賑わっている。看板を掲げたり、ビラを配ったりして、新入生に声をかけている。

「月一の活動です! 皆さん、山登りは興味ないですか? 掛け持ちでも大丈夫です」

「今日の夕方にコンパやります! 新入生はタダです。是非来てください!」

「テニスサークルです! 初心者でも大丈夫。友達、沢山できます! 一緒に汗を流しませんか?」

 涼太に所属したい団体はなかった。けれど、大学生活への期待は持っていたし、さらに広がる自分の活動エリアとその時間の過ごし方に夢を膨らませていた。だから、もしも登校したばかりの涼太の姿を見かける人がいても、決して不自然ではなく、涼太は予想だにしなかった騒がしい勧誘活動の光景に足をとめた。

 付近には涼太と同じく足をとめている人もいれば、すぐにこの状況を飲み込み、突き進んでいく人もいる。せっかくの春、まるで歓迎がないよりはこれはこれで華やかだ。涼太はそう考えながら空を見上げた。

 空は晴れている。雲が少ないので、綺麗な青色を広げている。

 けれど、気温は高くない。快晴だと日差しがあって、暖かいというイメージがあるけれど、その先入観を壊して、空気は胸を刺すほど綺麗だった。

 見上げなければ気がつかない。勧誘に夢中になればなおのこと気づくはずもない。そんな些細なこと。でも、そんなことを理由にして、人は周囲との距離を測る。

 涼太は視線を下ろして、この光景を前にして芽生える感情が自分の背中を押すことがないのを確認すると、帰宅を決めて、キャンパスに背を向けた。

「ねえ、君?」

 しかし、そこへ知らない声が飛んでくる。足をとめて、辺りを見渡すと、少し離れたところに背の低い女子学生が立って、こちらを凝視している。知らない人だった。

 涼太はきっと自分の立っている場所が女子学生と、呼ばれた相手との間に入ってしまっているのだと思って、歩き出した。自分には関係のないことだ。そう思った。

 けれど、女子学生は涼太を追いかけ、近づいてくる。

 そうして、女子学生は正面に立つと、向かい合わせになって進路を塞いだ。

「あのさ、呼んでんじゃん」

「え。俺ですか?」

「そうです。俺です」

 茶髪のショートヘアに、きっちりと施されたメイク。派手なアクセントはないが、涼太が通っていた高校の誰より、その容姿は落ち着いていて、女性を魅せる可愛さを保っている。女子学生がもしも新入生であったなら、少しでも入学したての心細さを持っていたかもしれない。けれど、その姿はあまりに堂々としていて、そんな様子など微塵も感じさせなかった。

「ああ。勧誘はちょっと」

 むしろ挙動不審になったのは涼太の方だ。

 涼太は女子学生の手に水色のビラがあるのに気がついて、後退りした。

「ん? ああ。これね?」

 女子学生はビラを扇いでみせる。

 校門付近はまだ勧誘者が少ないので、多くの新入生がその安全地帯として立ち往生している。けれど、勧誘側からすれば動いていないターゲットが集まっているので、これほど声かけのしやすい場所はない。

 涼太はどうしたらこの勧誘を撒けるだろうかと女子学生の様子を窺った。

「言っとくけど勧誘はしないよ」

「ん、えっ!」

 涼太は面食らって、つい大きな声を出す。

「だって、嫌でしょ? 見れば分かるよ」

 女子学生はビラを持っていない手を振って、あっけらかんと言った。

 涼太は声をかけられた理由を見失って、身構えてしまう。

「あのさ? 警戒しなくていいから。てか、君、ここ通りたいんでしょ?」

 女子学生は決して強迫的ではなく、ゆっくりとした口調だったが、咄嗟の問いかけに慌てて、涼太は黙り込んだ。すると、それが気に障ったのか、女子学生はビラを扇ぐ手をとめて、目つきを不機嫌そうにキツくした。

「違うの?」

「あ、いえ。そっ、そうです」

「でしょ? だから、抜け道、教えてあげるって」

「えっ! はあ?」

 女子学生は悪戯な笑みを浮かべ、細い人差し指をキャンパスの右手にある赤茶色の小さな建物に向けた。

「あそこに建物が見えるでしょう? あれ、大学の部室棟なんだけど、まずあそこを目指して。そしたら、建物を右から回り込む。建物の裏には隙間があるから、そこを進めば、向こうまで抜けられるわ。まあ、狭くて通りづらいけどね。OK?」

 女子学生の指差す方へ目を向けると、そこには確かに赤茶色の建物が見える。

 しかし、涼太は未だ女子学生のことが信じられなかった。

 なんせ抜け道を知りたい人はこの場にたくさんいる。もし女子学生が勧誘と称して抜け道を案内しているのだとしても、その行為のどこにメリットがあるのか、涼太にはまるで検討がつかなかった。

「あのさ! もう一度言わなきゃダメ?」

 女子学生は苛立って、舌打ちをする。

「い、いえ。あの建物を右から回り込む」

「そう! それで正解!」

 女子学生が生き生きと振る舞う。そのペースにのまれてしまわぬように、慌てて頭を働かせ、涼太は受け答えをする。すると、予想する未来を全て裏切って、女子学生はビラの一枚も差し出さずに背を向け、軽い別れの挨拶をして離れていった。

 涼太の乾いた舌はそこでようやく動き、しがみつくような声で女子学生を呼びとめる。

「あ、あの!」

「何? もう一度言わなきゃダメ?」

「いえ、そうじゃなくて」

「なら、何?」

「だ、だから。その。何でですか?」

 涼太が素直に問いかける。しかし、女子学生は問われたことがすぐに理解できないようだった。どうやら自分の声をかけた見知らぬ男子学生はなんら疑うことなく、言われるがままその助け船に乗り込むと本気で思い込んでいたらしい。

 ただ、すぐに涼太の問いの理由を察したらしい女子学生は嬉しそうに口を開いた。

「別にさ。信じなくていいよ」

「えっ?」

「だから、信じなくていいって。そもそも理由もない。ただ、君があからさまに嫌そうな顔をしてた。だから、もういいや、って思っただけ。まあ、私がビラ持ってるから何を言っても説得力はないんだけどね。でも、嫌がることはしたくないじゃない? 自分を騙すのって気分が悪いんだよ。少なくとも私はそう。だから、まあ、君も頑張んな? だって。今日しか出会えない友達がいるかもしれないじゃん。その友達と作れたはずの思い出が作れなくなるのは嫌じゃない? そう考えたら、ここで挫けるのは勿体ないよ」

 女子学生はそう言い終えると、離れていった。

 涼太はしばらく立ち尽くしている。すると、肩を叩かれ、また声をかけられる。

「君、君! 写真に興味ない? 今度ぜひ遊びに来てよ」

「あ、いえ」

「いいじゃん! すごいんだよ? 綺麗に撮れたときとかハマるよ?」

「いや。いいです、俺は」

 耳に入る勧誘の声は相変わらず煩い。けれど、この空間から切り離して、先ほどとはまるで別の場所にいるみたいに、涼太は感じた。一つの出会いで世界は変わる。空を見上げ、深呼吸をし、冷たい空気を肺に入れる。涼太はもう一度、赤茶色の建物を見た。抜け道があるかどうかは分からないが、このまま帰るよりは意義があるかもしれない。もし抜け道がなければ、その時こそ家に帰ればいい。

 涼太はそう考えて、帰り道に背を向け、歩き出した。

 それから一年、ボランティアサークルに所属している大学二年生の涼太は逆の立場になって、校門付近に立っている。それもこれも勧誘活動をしないという主張が昌幸とメンバーに却下されたためだ。手には昌幸が張り切って用意したビラを持ち、後から後からやってくる新入生に声をかけ、そのビラを配っている。

「ボランティアサークルです! よろしくお願いします! あ、お願いします。お願いします。ボランティアサークルです! お願いします!」

 当たり前だが、ビラを差し出しても、もらってもらえるとは限らない。押しつければ受け取ってくれる人はいる。けれど、大半の新入生は怪訝な目つきで、涼太を観察し、無視して行ってしまう。まれに愛想よくお礼を言って受け取ってくれたり、面倒くさそうに無言のまま掴み取っていったりする人もいるが、サークルの活動に興味を示されている気がしないのは同じだ。

 涼太は脇に寄って、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。

 ビラ配りの間に受信したメッセージ。相手はアルバイト先の店長で、明日のシフトに急遽入ってくれないか、という依頼だった。涼太はパパッと了解の返事をして、スマートフォンをしまい、何気なく空を見上げた。

 空は一年前と違って、曇っている。

 配合に失敗した水彩絵の具みたいに、薄い灰色に覆われた景色。雲の割れ目から所々光が漏れてはいるものの、空の青さはほとんど目に入ってこない。綺麗だね、と言われても、首を傾げてしまいそうなバックグラウンド。

 綺麗じゃない景色に見惚れる心が好きだ。

 涼太は小さい息を吐き、曇り空から視線を下ろした。すると、周囲の学生が嫌でも視界に入り、その中にいる一人の女子学生が視界に目を奪われた。

 その女子学生は立ち尽くして、遠い方を見ている。

 視線の先には涼太が見ていた灰色の雲しかない。涼太はろくな考えを持たず、ただ引き寄せられるまま、女子学生に近づき、声をかけた。

「あの、君?」

 女子学生は涼太の声に振り向き、鋭い目つきをした。

「ああ。違う。俺は勧誘じゃないよ」

 涼太はすぐに否定する。けれど、その言葉がすんなり信じてもらえるはずもない。

 初対面の人に声をかけること。相手の知らない声を対面するより先に聞かせてしまう恐怖を、まさか自分が与えてしまったことに声をかけてから気づき、慌てた。

「違う、違う。俺はただもし君が向こうへ通り抜けたいと思っているなら、抜け道があることを教えたかったんだ。細い道だから通るのはちょっと大変だけど、あそこに赤茶色の建物が見えるだろ? あの建物を後ろから回ったところに細い隙間がある。そこを通れば、勧誘されずに向こう側まで抜けられるよ」

 涼太はきちんと用件を伝えるも、まるで自分が昌幸みたいなことを口にしていると感じて、途端に嫌になった。

 女子学生に話しかける理由。そんなものはない。

 涼太が話しかけなくても、女子学生の生活は平常に回っていたし、無駄に他人を睨むことに神経を使わなくてよかったはずだ。なのに、そこへ要らぬ声をかけ、車輪にブレーキをかけるように、女子学生の生活を乱したのは涼太以外にいない。

 涼太は抜け道の説明を終え、すぐに反省した。もし自分が新入生に話しかけられる理由があるとするなら、それは勧誘しかない。そうでなければ、ただの迷惑でしかない。涼太はどうすればこれ以上、下手なやり取りをせずにこの接触を終わらせることができるだろうか、と考え始めた。共感が何だと言うのか。この世に空は二つとないから、この場にいる学生の一人か二人、空を見上げていても何らおかしいことはない。

 しかし、涼太が黙っていると、女子学生が先に口を開いた。

 その言葉は涼太にとって予想外だった。

「どうして、私ですか?」

「ああっ。ははは!」

 その返しに、涼太はつい笑ってしまう。

「何が面白いんですか?」

「ああ、ううん。ごめん、ごめん」

 女子学生はあからさまに機嫌を損ねた。

 涼太は急いで笑うのをやめ、咳払いをして落ち着いた。

「笑ってごめん。でも、身構えなくて大丈夫だよ。抜け道はちゃんとあるし。怪しい話じゃないよ」

「怪しい人は皆そう言うと思いますけど」

「ああ。まあ、そうだよね」

「あの? 私のこと、馬鹿にしてます?」

「いや、そんなつもりはなくて。正直に話すと、声をかけたのは君がつまらなそうにしてたからなんだ。このままこの勧誘活動にうんざりして、家に帰っちゃうんじゃないかって思ったから。でも、もし講義を受ければ今日しかない出会いがあるかもしれないし。その可能性を捨てるのは勿体ないなって」

「はあ? それだけ?」

「そう。ほんとに。それだけ」

 女子学生は黙り込んだ。涼太は何も言わずに、返事を待った。

 けれど、しばらく待っても、女子学生の口から何か返事があるとも思えず、あまり話し過ぎても不信感が募るだけだろうと気にしながら、涼太は控え目に口を開いた。

「どうしても信じて欲しい話じゃないから、帰りたかったら、とめるつもりはないよ。どっちにするか、決めるのは君さ」

 涼太は考え得る限り、丁寧な口調でそう言った。

 そして、もう一言つけ加える。

「困らせてごめんね」

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