ジュリアの誘いと内心海老ぞりするヨナス
一方表情に趣があると評価されたジュリアは仕切り直しと微笑んで、
「それで、ヨナス君は本が好きよね?」
いいえ嫌いです。と脊髄から出た言葉を理性が止める。
嫌な展開が続きそうだ。と、その理性が大声で教えてくれるがどうしようもない。
学院で暇があれば本を持ってるような奴は自分一人である。
「はい」
「良かった。あのね、『もしかしたら』なんだけど、ミーアは王都に帰るかもしれないの。その時、ね」あ、うわ。これは本当に? ヨナスの見るところ目の前の地雷美女には躊躇いがあった。
―――その思いを大事にしてほしい。シンシアリーに。くそ。動揺して英語使っちまった。
「ヨナス君も一緒に来ない? 本を幾らでも読めるわよ。ヨナス君くらい頭が良ければ、王国学校へ入っても―――」ジュリアは少しの間俯いて何か考え、
「これは良い考えじゃないかしら。ヨナス君ほど賜物があれば官僚に、騎士にだってなれるかも。そうだわ、院長先生にもお話ししてみましょう。学院の方が学力の保証をしてくれたら入学が簡単になるはず」
―――うわ。うわ、うわああああああ! ウンコ! 奥様の目は太陽の光を受けた宝石のようですが、お陰で私の心はウンコまみれよ!
そう仰け反り絶叫したいのをこらえるヨナスだが、これが破格という言葉さえ足りない親切なのも分かっていた。
王国学校。
臣下の子供を集めた小さな学習所であったものが王国の拡大と比例して拡充され、今では平民から貴族まで一定の学力保証があれば無料で受験出来るクローゼ王国唯一の国営学校である。
貴族が国に収める書類はこの学校を卒業した者にしか作れないし、優秀な官僚が一代限りの貴族位を得るには此処での学習が必須だったりなど、ド辺境なラウメン領まで轟く表現し難いまでの権威を持っていた。
つまりクローゼ王国の統治体制を強固な物とし続ける為の大黒柱と言える。ヨナスに言わせれば意識高い系の集う蟲毒の壺だが、それは極少数派の個人的意見。
当然教育に金と時間を使ってくれる親の居ない孤児には天上の世界であり、話を聞けば院長先生なら喜び勇んで背中へ突進してくる確信がヨナスにはあった。
最もヨナスにとっては蟲毒なのも天上世界なのもチョロイ問題だったりはする。
こちとら二十一世紀日本の教育をそれなりに真面目に受け、大陸に無い知識を持つ身。精神的に円熟しているのもあり圧倒的学力でブイブイ言わせられるだろう。ヨナス君すごーい。頭いー。すてきー。お婿さんに来てー。となるのは確定事項とさえ言える。
ただそれも想像するだけでさぶいぼが立つ話。
世間を知らずという言葉通りの、テストの点数がそのまま評価となる幸せに愚かな年頃なら喜びもしよう。しかし社会を経験した身では。
よほどの精神異常でもない限り、子供と比べて優秀などと言われたら身の置き所が無い程の恥ずかしさを感じると思う。加えて既に人生の目標があるのだ。公務員では厳しい目標が。
更に想像するだけでヨナスは背筋が痛痒くなるのだが、子供と比べて褒められて自慢に思うようになったり、自分が考え出した訳でもない知識をひけらかしてしまったら―――。
新幹線技術を盗んだ挙句自国開発と言うにも等しい下品さ。想像するだけで地面を掘り自分を埋めたくなってしまう。
事故を起こした電車のように。事故原因を調べるより早く。
そもそも滅亡寸前文化の技術を未来あるこの国に伝えるのは死んでもごめん。そうヨナスは決めている。
勿論目立たない成績に調整する手もある。だが問題はそんな自己流価値観以前の話だ。
知る限りの情報と推測全てで政治闘争的な物に圧倒的劣勢と示されている目の前の女性に、誰もが破格と認める恩義を受けて派閥に加わる? 末路は石田三成と心中する羽目になった島左近だろう。しかも三成にあったワンチャンさえ彼女にはあるか怪しい。
故に今の状況は最悪であった。
何をどう頑張ろうが、目の前の対戦車地雷美人が強行を決めたら此処の領主でさえ止められないように思える。
だがせめて拒否はしなければ。厚遇に大喜びと思われては地獄に溶岩となりかねない。そう考え、ヨナスは震えそうな声を何とか戸惑い程度に聞こえるよう落ち着かせてから、
「ジュリア様、私の願いをお話ししてもいいでしょうか」
「勿論。何かしら?」
善意十割の美しい笑顔であった。―――親切は難しい物なのだぞ小娘。と、説教がしたい。
「私はここを離れたくありません。ですので王都へ行くのも嫌です」
ジュリアの表情に戸惑いが浮かぶ。
「―――、もしかして寂しいの? ヨナス君なら王都でもいっぱいお友達を作れると思うけど。あ、学院の子も一人二人ならわたしが責任を持てるから誘うのはどう? 喜ぶ子も居るだろうし」
確かに。
ド田舎であるこの地の人は、物語や偶に来る行商人から明らかに捏造モリモリな煌びやかな話を聞く事で、王都へ大なり小なり憧れを抱いている。
身近なところだとガキ大将要素に恵まれてるのにボコられて舎弟となってしまった哀れなフューラー君が、昨今王都にある最強の常備軍近衛騎士団の存在を知り、騎士と王都への憧れを持つようになった。
先日も『オレ、将来第一近衛騎士団に入るよアニキ』とキラキラした目で言うので、『第一団は騎兵団だってよ。つまり鳥に乗る練習をした事も無い俺らには無理だ』と優しく教えたばかり。
あの時泣いていたフューラー君なら、何も考えず目の前の見た目だいたい女神な人を女神と確信してこの話に飛びつくだろう。と、ヨナスは思う。
そして東京砂漠に突っ込んでしまった田舎者のように、孤独さに負けて鬱病コースである。
「寂しくはありません。ただ、今学院を出るのは、―――えーと、私にとって悪い道だと思うんです」
「悪い、道? ―――将来の事かしら? ヨナス君がどんな大人になりたい。とか、欲しい物の話? それなら是非教えて」
何であろうと王都へ行く方が良いわよ。と、考えてるのが明らかだった。
一般的にはその通りとヨナスも思う。精神が耐えられるのであれば、だが。
「欲しい物はお肉です。なので将来は猟師になろうかな、と」
猟師になる本当の狙いは徴兵された時少しでも安全なようにと、赤子からずっと滾らせている恐竜観察という欲望を果たすためと、何よりとある目的に沿って旅をする時、ついでに稼ぎやすい職を得ようとしてなのだが、今はどうでも良い。
「それなら大丈夫。王都でも美味しい肉はあるし、海が近いからお魚もいっぱいご馳走出来るわ。食べ過ぎは良くないから、幾らでもとは言えないけど―――」
どうにもこの子供が何を言いたいか分からない。といった様子。だよな。と心では同意しつつ、
「えっと、ジュリア様だけじゃなく誰かに貰うのが悪い道だと思うんです。前に院長先生がお話ししくれました。『今あるもので満足しなさい。欲しい物があるなら、今無理でも大人になって働いて、自分の力だけで手に入れられるよう頑張るのです。
盗んだり、貰ったりして楽をしようとしてはなりません。他の人から盗めば酷い目に合いますし、貰うとしてもそれに相応しい自分かを考えないと不幸になります。―――例えば騎士様の剣を貰ったとしますね? でも騎士様と同じくらい強くないと、剣を欲しがる誰かに狙われて殺されたりするんですよ』って。私はその通りだと思いました。王都に行くのも、学校に入るのも、私では無理なはずだから必ず不幸を呼ぶと思うんです」と、ヨナスは言った。
院長先生本人の考えは町の子供より与えられる物が少なく、色々と我慢の必要な孤児が道を逸れず、かつ自分を慰められるように。であって、偉い人からの抜擢を蹴飛ばせとは欠片も考えなかったであろう事は言わなかった。
勿論言われた方は其処まで分かる訳も無い。
ジュリアは愕然とした様子で何か言おうとしては止めるのを繰り返した後、
「とても―――立派な考え、よ。ただ、その相応しい自分となる為にも王都は良い所なの。子供が良い大人となれるよう、国王陛下が色々と用意してくださっててね。
ミーアが言っていたわ。ヨナス君は親切で皆の手助けをしていると。君なら王都でもっと成長出来る。そうすればより多くの人へ親切を、助けられるようになる。それはとても素晴らしい事だと思わない?」
―――めっちゃくちゃ仰りやがる。
子供らしい英雄願望を満たして誘導する気か。と疑いながらお美しい笑顔を見、心中げんなりしつつ視線を下げ、気づいた。
時々手が震えている。思い起こすとさっきの声には何か強い感情があった気もする。騙そう、という訳ではないのかもしれない。
それはそれとして―――親切。しかも『より』多くの人にとは。酷い勘違いである。
「あの、私が親切にするのは元気で、暇な時だけです。より多くの人を助けたいなんて考えた事もありません。
ジュリア様、町の人は偶に私を鼠と呼びます。自分たちが作り税として払った麦で勝手に育ち、汚く、迷惑な所がそっくりだと。そんな子が誰かを助ける為に王都へ行くなんて聞いたら笑いますよ。私だってなんか、気持ち悪いです。自分で自分の食べ物も作れないのに」
等と言いはしたが学院の子は職員方の偉大なる忍耐により、成人する頃には殆どの者が真っ当な労働力として領内で働いているので、鼠呼ばわりは見識が狭いというのがヨナスの本心だ。
第一学院が無ければ孤児は浮浪児を経て泥棒の職業を得るので益々迷惑になる。
孤児を皆殺しにしろというのなら理論的には正解な気もするが、徴兵されて親が死んだ子も居るのだからそうもいくまい。
とはいえ自分もコロナの時期に政府が金をばら撒いたのは、すぐ貯金が無くなる一部の人を泥棒に変えない、或いは我慢すればお金が来ると思わせて少しでも犯罪を躊躇わせよう。という考えがありそうだなんて想像もしていなかった過去があり、今自分を鼠と呼ぶ人たちを馬鹿にするのは恥知らずだろうなとも思う。
誰に聞かれた訳でも無くこうまで考えるヨナスは明らかに恥ずべき面倒臭い奴で、自身も死前より直すべき所と感じていた。が、死んでも治らず今後も治りそうに無い。
「そう、なの。でも―――」
一方受け取り側は子供の言葉を額面通り受け取ったようで、表情に『失敗した。こんな幼い子供に自分を鼠と言わせてしまった』と文字よりも分かりやすく書いてあった。
こうなると流石のヨナスも眼前の見た目国だって転がしそうな奥さんの腹が、肌の色と同じように透明と判断せざるを得ない。
―――マジかー。精神病でもない二十を越えた超上流社会の方が、純真なんてあり得るのか……。