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苦悩


       1



 ――どうして狼天様は私を食べないの?


 ――村は未だに狼天様に襲われてはいない。


 ――あの方は、「食べるところがないから食べない」と言っていたけど――


 おくぅが狼天の元に行ってから数カ月が経過した。一日一日がただ狼天に合わせて過ぎていく。たいていおくぅは洞穴の中を掃除し、狼天が外に行けばついて歩き、同じ風景を目にした。


 たまに狼天の友人である狸の妖怪――蓮狸が様子を見にやってきていた。彼女はとても親切で、妖怪であることを忘れてしまうほど気さくだった。


「狼天様?」


 曇天の夕刻。狼天は一人住処の石窟から出ようとしていた。その手には普段使わない刀が握られている。


「腹が減ったから都で喰ってくる」


 狼天は月に一度食事をしに人間を襲うようだった。ここに来てから数回こういった日があった。おくぅはその度に自分を喰って腹を満たす様に進言してきた。しかし、その度に妖怪は「喰うところがない。お前は非常食だ」と拒否していたのだった。


 自分の体が小さいから食べるところがない。言いたいことはわかるが、食べられないところが全くないわけではないはずだ。そのことが理解できず、おくぅはその度に悶々としたものを感じていた。


「何か言いたげだな」


 珍しく狼天がその表情から何かを感じ取って声をかけてきた。おくぅは嬉しくなり思わず彼の手を、おくぅは握っていた。


 しかし、狼天はその手を払いのけ「言いたいことがあるなら言え」と突っぱねて退けた。


「どうして私を――」


「お前はいつもそれだな。他に言葉を知らないのか?」


 そう言うと狼天はドカッとその場に座り込んだ。


「こっちにこい」


 鋭い視線。手にしていた刀も置き、おくぅを見据えている。少女はいつもと違う雰囲気の妖怪に戸惑い、どうしていいものか困惑ぎみに手を胸にあてた。


「早く来い!」


 声を荒げられ、おくぅは慌てて狼天へと駆け寄った。


 しかし、刹那――。


 狼天の手がおくぅの着物の襟へと延びた。そこを掴まれ力任せにグイッと引っ張り寄せられる。


 ビリリと布が千切れる音が背中の方でした。しかし、そんなことを気にする暇はなかった。今目の前にはあの時――初めて狼天と出会った時の妖怪の顔がある。


「答えろ……。どうしてそんなに喰われたがる? お前は今生きている。それで十分のはずだ?」


 おくぅはその答えを模索するように目を泳がせた。しかし、その視線の先にはしっかりと狼天を見据える。紅い目に困惑する自分の顔が写っている。あの時と一緒だ。


「私に残っている……最後の意味だから……」


 迷った挙句、その言葉は出てきていた。深く考えず出てきた言葉。


 村を出る時。そう決めていた。ただその答えが出てきただけだった。


「喰われることがお前の存在意義だとでも言いたいわけか? ガキのクセに偉そうなことを言うんじゃねぇ!」


 声を押し殺す様に狼天は言い放つ。


「俺は喰いたいときに喰う。俺は今お前がいらねぇから喰わねぇ、それだけだ。喰いたくなったら容赦なくお前を喰らい殺す。お前はその時が来るまで俺が喰いたいと思える女になってればいいんだ。喰ってくれと俺に指示するな。俺に命令できるのは、俺だけだ」


 そう言うと狼天は着物を握っていた手を突き放す様に手放した。


「死ぬことを受け入れた人間はマズイ。喰う時、その命が無くなることに絶望する肉が美味い。そのことを覚えておけ」


「じゃぁ……あの時私が『助けてほしい』って言ったら狼天様は私を食べたんですか?」


 シンプルな質問だ。その答えに、狼天はしばしの間を置いた。特に思考をしているわけでもなく、ただおくぅを見つめているだけのようだ。


「……かもな」


 狼天はおくぅを一瞥し出て行った。


「私は、どうしたいんだろう?」


 ――死にたいのか? 死にたくないのか?


 ――死にたくない。生きていたい。


 答えは至極簡単だ。死にたいわけがない。しかし、生贄の候補として自ら名乗り出た以上、それを放棄した人間だ。それに……。


 ――妖怪の好みじゃなかったから戻ってきました。


 などと村に戻るわけにもいかない。そうすれば、自分以外での生贄候補がまた話し合われるだろう。弟たちに生きてほしい一心で自ら名乗り出たのに、それでは意味がない。


「何難しい顔してんの?」


 不意に声をかけられた。


 振り返るといつもの山伏姿の狸の妖怪があっけらかんとした顔で立っていた。手にはいつもの大きな風呂敷がぶら下がっている。


 彼女はほぼ毎日ここに足を運んできている。目的はおくぅらしいのだが、その真意はわからない。ただ、悪意は感じられない。そのため、少女もよく会話の相手として時間を潰していた。


「まぁた狼天に食べてもらおうと思ったわけ?」


 そういうと彼女は狼天が良く寝ている場所に腰を下ろした。おくぅはそんな蓮狸の顔をマジマジと見つめる。狼天の獣の姿を見たことはあるが、彼女のはない。


 ちょっとした好奇心がくすぶられる。


「これ、野菜の差し入れと、この前使った塗り薬。余ったからあげるわ」


 蓮狸は風呂敷をドカッと置くと、少女の視線を感じて目を細めた。


「獣姿にはならないわよ。私、この姿気に入っているし……。獣姿って素っ裸じゃない。恥ずかしいわ」


「はぁ……」


「まぁ、いいわ。あなたって人間としては特殊な思考をしているわよね?」


 そう言われ、おくぅはしばらく無思考状態になる。


「狼天の事、どう思ってる?」


 興味深そうに尋ねる蓮狸。その問いに、おくぅは答えに迷った。


「きつい性格しているわよね。まぁ、あいつの事知らない人間からしたら、凶暴な妖怪ってことになるのかしらね?」


 ケラケラと笑う蓮狸。大きな尻尾がバシバシとその感情を表現するかのように叩き埃が舞う。


「まぁ、そんなあいつに凝りもせず一緒にいるあなたも大概だけどね。普通の人間なら我が身かわいさに逃げ出しているでしょう? あいつにこうして話しかけられるのって私ぐらいしかいなかったし。狼天自身も戸惑っていると思うわよ」


 笑いを止めた蓮狸はおくぅの着物が破れていることに気づいて「こっちにきて」と手招きしてきた。


 言われるがままにおくぅは彼女に近付きそっと腰を下ろした。蓮狸は胸元から裁縫道具を取りだした。


「あいつに破られたの? まったく、相手が子供とはいえ女の扱いが解ってないんだから……ね?」


「は、はぁ……」


「嫁入り前の女になんて事するのよ……私だったら引っぱたいているわ。責任とれるのって」


 何を言っているのか理解できず、おくぅは動かないように指示され、言われた通りその場で彼女の言葉に耳を傾け続けた。


「まぁ、悪い奴じゃないから仲良くしてやってよ。あいつ、頑固だから食べられたいならじっと待ってればいいと思うわよ。まぁ、私個人としてもはあなたには生きていてほしいわけだけど?」


「なぜですか?」


「ん? あなたが面白いから。人間の話し相手とか貴重だもの……。ほら、妖怪と関わり合いたいって思う人間なんてそうそういないもの」


 おくぅと話す蓮狸は本当に楽しそうだ。


「終わったわよ。あ~。この時間がずっと続けばいのに~」


 蓮狸はそういうと大きく伸びをしたのちおくぅを抱き寄せた。


 温かい。まるで忘れかけていた母親の温もりのようだ。


「本当……続けばよかったのに……」


 もう一度、蓮狸は呟いた。その声色には、悲しみが含まれていることに、おくぅは気付かなかった。



          2



 ドサリと重々しい音と共に捨てられたのは女の体だった。

 

 体のあちこちに欠損があり、その姿は人のものとは言い難い。一撃で仕留めたのか、頭部は無い。捨てた主は狼天。都の人気のないところだ。


 衣服は女の血で赤く染まり、その爪と牙からもポタリポタリと凝結前のそれが滴れている。


 雨が降り始め、石にあたった雨水が四散して飛沫を上げる。徐々に雨脚は強くなり、ザーッという音が目立つようになった。


「そろそろ来るころか?」


 狼天は女の死体に今一度視線を落とした。身にまとっていた衣服は喰う時に破いたため無残な事になっているが、それをおくぅのそれと照らし合わせる。


「いたぞおおおおお!」


 男の声だ。その声に反応するように、狼天は女の胸から心臓を引っ張り出すとそこから血を絞り出して飲み干した。


 遠くには明かりが無数に見えた。前回襲った時よりも人員を増やしたようだ。確実にこちらをしとめに来ているようだ。


「さて、もう少し腹も空いているからあと少し仕留めるか……」


 手にした刀を引き抜く。雨粒を滑らせ、刃が持ち主の目と同じくギラつく。まるで、血を求めている生き物のようにうごめいているように見える。


 狼天が手にした日本の刀は、彼が空を舞うとともにその切っ先から妖気の筋をつくった。


 両腕を広げ、路地を駆け抜ける姿はまさに獣。人では決して到達できないほどの速度で走り、すれ違いざまに都警備の人間を斬り伏せる。そして、切り飛ばした腕、足を掴むとそれを口へと運んだ。


「毛の処理くらいしろ……ペッ!」


 切り飛ばした足を放り投げ、狼天は残りの兵に向かって走り始めた。その顔は狂喜に満ちていた。



            ・・・



 蓮狸が去ってからどれくらいの時間が経っただろうか。雨が降っているためか、時折吹く風が体温を奪うような感じだ。


 おくぅはブルッと身を震わせると部屋の隅で狼天の帰りを待った。


 そんな時、バシャっと何か重々しい音がした。


「グルルルル……」


 唸り声をあげ、一匹の巨犬が入ってきた。狼天だ。雨に濡れているにもかかわらず、口元には血のあとがベッタリと残っている。


 そして、その体にも血が付いている。しかし、それは狼天の体から出ている血の様だ。所々に刀が突き刺さっている。パッと見で3本だ。


「狼天様!」


 駆け寄るおくぅ。刺さっている刀に触ろうとすると、「触るな」と言わんばかりに狼天は少女の手に噛みつこうとした。


「で、でも……このままにしておくのは……。どうしよう……あ! そうだ、蓮狸様に……」


 そう言うと、舌打ちをするかのように牙を見せた狼天。忌々しそうにしているが、ゆっくりとその場に腰を下ろした。


「サ……サト…………シ、ロ……」


 喉を鳴らし、意志を伝える狼天。それを確認すると、おくぅは慌てるように狼天の後ろへと回った。


 刺さっている箇所は脇腹、横腹、そして、背中だ。


「オ……マエ、ガ……ヌ、ケ…………」


 人の言葉が発しにくいのか、もどかしそうに唸る狼天。その言葉に戸惑うおくぅ。右往左往していると、急かす様に狼天から「グゥゥ」と喉を鳴らすような呻き声があった。


「わ、わかりました……」


 ゆっくりと突き刺さっている刀の柄を握るおくぅ。その手に力を込め、息を飲み込んだ。


「い、いきます、ね?」


 狼天の口元が強張った。


 それを確認し、おくぅは力を込め引っ張った。かなり深く突き刺さっているため、全体重をかけるように体を傾けた。


 ズルゥ……。


 生々しい感触が刀越しに伝わっていた。それと同時に血が噴き出ておくぅの着物を汚す。生暖かい感触が少女を包み、抜けると更に血が噴き出た。


「ギャン!」


 狼天が声を上げると同時に、グッと体を硬直させた。傷口は筋肉により強引に閉じられ、出血は収まった。


 その光景におくぅは目を丸くし、その場で呆然としていた。しかし、すぐに現実へと引き戻され立ち上がる。


 突き刺さっている刀はまだ二本ある。


 おくぅは手についた血を床に擦り付けるようにある程度とると他の刀へと向かった。


「いきますね?」


 他の刀も同様の作業で取り除き、狼天は体を硬直させ、傷口を強引に閉じてみせた。血もすぐに止まり、止血はすでに終わったようだ。ただ、傷口だけは痛々しく皮に刻まれている。


 恐らくこれも一晩ほど休めば消えるのだろう。


 しかし、おくぅは安心できなかった。人間の治癒能力では回復することがないほどの傷だ。先程蓮狸から渡された塗り薬をてにし、狼天にそっと近づこうとする。


「グゥウウウウウ……」


 近寄るなと言わんばかりだ。


「これ、塗らないと……」


「イラ……ナイ……」


「で、でも……」


「ガウ!」


 噛みつこうとする狼天。おくぅは尻餅をつき、体を強張らせて身を震わせた。


 狼天も傷の痛みが落ち着いてきたのか、ゆっくりとであるが体が小さくなり、徐々に人型を取り始めた。体毛が消えてゆき、人の肌が見えてきた。


 狼天は近くに収めてある着物に手を伸ばすとそれを羽織ってしゃがみ込んだ。


「俺にかまうな……すぐに傷も消える」


 とはいうものの、いかに止血が終わったといえ、狼天の傷が深いのは確か。そんな妖怪に、おくぅは「わかりました」と他人のふりをしていられなかった。


 ただ、彼の背中の傷を見つめ直してあげたいと立ちつくしていた。


「なんだ? もう寝ろ!」


「い、いやです」


「なに?」


「あの、く、薬塗らせて……ください」


「そんなものは、いらん!」


 人の姿をしているが、獣の状態みたいにカッと噛みつくようなそぶりを見せる狼天だが、その時に表情を歪めた。


「お前は、俺が死ねばいいと思わないのか?」


 狼天の額からは汗がにじみ出ていた。突然の問いに、おくぅは戸惑いの表情を浮かべ口を動かすも声を発せられなかった。


「俺が死ねば、お前は自由だ。村にも帰れるだろう?」


「殺しません」


「なぜだ?」


 訝る狼天。そんな彼に、少女は言葉を模索するように目を泳がせた。


 そして出た結論は――。


「死んでほしくないから……」


「妖怪の俺をか? 理解に苦しむ」


「妖怪は怖いです。でも、妖怪も生きているんでしょう?」


「だが、俺を殺せば少なくともお前らは安心して暮らせるぞ。まぁ、俺に変わって別の妖怪が来るかもしれんがな……」


「そうかもしれませんが……。怪我をしている人を目の前に、知らんぷりは……それに……」


 おくぅは上目使いで狼天の様子を窺った。彼は相も変わらず仏頂面だ。視線で早く言えと言わんばかりだ。


「狼天様はそんな悪い方ではないと思っています」


「なに?」


 険しい表情の妖怪の顔に一瞬だったが変化があった。吊り上った眉が僅かに緩んだのだ。


「私と初めて会った時、私を助けてくれました」


「本当にそう思っているのなら、お前はとんだ楽天家だな。ここは俺のシマだ。俺の許可なく狩りをしたのが許せなかっただけだ」


「だとしても、私は助けてくれたと思うことにしています」


 純粋無垢な少女の言葉に、バツが悪そうに狼天はそっぽを向いた。


「人間とは、面倒臭い生き物だ。それが人を殺め、喰い散らかしてきた妖怪に平然と言うんだからな。だが、喰った人間がお前の関係者でも同じことを言えるのか?」


 意地悪そうな顔で問う狼天に、おくぅは黙り込んだ。


 脳裏に弟たちの笑う顔を思い浮かべると、目頭が熱くなる感覚を覚えた。


 その表情を汲み取ったのか、狼天は「ふん」と顔を背けた。


「薬を塗るならさっさとしろ。ただし、俺の見えない角度でしろ、いいな」


 その言葉に、おくぅは塗り薬を指に取った。そして、狼天の背後に回り込むと背中の傷に薬を塗り込んだ。


「ぐ! お前、強く塗り込み過ぎだ!」


 唸り声をあげて威嚇する狼天。思わず本性が出たのか顔の一部が獣化していた。


「さきほど、意地悪を言った仕返しです」


 頬を膨らませるおくぅ。その後は優しく振れるように薬を塗っていった。


 対する狼天はというと、バツが悪そうに「グルル……」と喉を鳴らしていた。


雨音が一瞬激しくなった。その後、徐々に弱まった雨脚は静寂へと姿を変えていった。



           ・・・



 狼天の住処から少し下山した場所に、蓮狸の家がある。


 その言えば木造建ての――村によくある古い家だ。


 家の横には小さな小川があり、水車が回っている。先程まで雨が降っていたため、増水の影響からそれは力強く回転をしていた。


 蓮狸はそこで今日採れた野菜を煮込んでいた。


「狼天……人といる以上あなたはいつか大事な決断を迫られる」


 蓮狸は窓から狼天のいる方へと視線を向けた。雨雲をながす風と、囲炉裏の音と小川の音だけが彼女の耳に響いている。


「私は間違えた……。でも、あなたは間違えないでほしい」


 そう言うと蓮狸は煮込んだ野菜をお椀に救った。


 ――そこにある命は脆く、触ろうものなら簡単に壊れてしましそうで。そして何より……。


 ――短いのだから……。

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